第4話

 「久しぶりだね。三人で教室行くの」


 彩は少し怯えながら言った。夏休み、それもお盆で、生徒はもちろん、職員もいない暗い校舎内は怖くて不気味だ。少しでも、思い出話をして気をまぎらわせたくなるのも当たり前だ。


 そんな校舎にすんなりと入り込み、十年前に卒業した僕らのことを知っている人って一体何者?

 「着いちゃったね」

 「行くよ」


[――こんにちは。挨拶は元気良く。あ、忘れてた。もう、マスクをつけてある必要はないね]


 「谷先生!」

 彩が叫んだ。こいつは僕らの担任だった谷先生だ。

 「こんにちは。彩花さん」

 「近づくな彩! 何で呼んだ? 脅しの目的は?」

 「冷静さを欠いているぞ、拓海くん」


 「質問に答えろ」

 拓海の言葉を聞き、緩んでいた緊張が戻ってくる。

 「仕方ないね、拓海くんは。呼んだのは君たちが私にたどり着くのは時間の問題だと思ったからだ。脅しの目的は別にある。それを話す前に、私の話を聞きなさい」


 今にも飛びかかりそうな拓海を僕は体を張って制止する。

 「いっ、一旦、聞こう。ね?」


 「ふん。今から二十七年前、この町で私は教員になって初めてクラスを持たせてもらった。幸い、私は三年間、彼らの卒業まで教壇に立ち、教鞭を採らせてもらった。私にとっても特別な生徒たちで、三年もすれば生徒との関係は強固なものとなり、卒業した後も多くの生徒が連絡をとりつづけてくれた。同窓会にも数えきれないほど呼ばれた。その後、今からちょうど十五年前、もう一度同じ職場に学校に戻ってきた。君たちと出会うことになる出来事だ。やはり最初の職場であるこの校舎に安心感が強かった。そして、二十五年前の私の初めての卒業生の一人が私に気づいた。彼は転勤祝いといって町にいた同級生を集め話をしてくれた。どうやら彼は薬学の大学に進学後、町の農家を農薬で支援していると言っていた。生徒が私に気づいてくれたこと、思い入れの強いこの町に生徒を通して貢献できていたことに、私は感極まって涙した。その翌年、事件は起きた。君たちも知っている通りだろうが、その年、彼の農薬で伝染病が広まった。農家を中心に町の人々は彼への苦情を口にするようになった。最悪だったのは、私が感染してしまったことだ。私が感染したことを知った彼は私に謝罪の一文を残した後、私との連絡を絶ち、数日もせずに、両親とともに自殺した。もし、私が感染しなければ相談にものってやれたかもしれない。もっと早く感染する前に彼の心に気づけば話をできたかもしれない。二度と同じことを起こさないと心に決め、君たちの授業をもちながら医学や薬学、心理学。いろいろな可能性を模索しながら必要なスキルを身につけた。私はその中である可能性に気づいた。彼に自殺をさせたのは周囲の目なのだから、周囲の要因を潰す必要があると。……そして、私はその方法に薬物を選んだ」

 「まさか。連日の町民の病院搬送の原因は!」

 拓海が叫ぶ。


 「察しがいいな。その通りだ。薬物を選んだ理由は単純。彼の自殺後、遺品整理団体から譲り受けていた彼の研究レポートが偶然、目に入ったから。何故、私はもっと早くこの可能性にたどり着かなかったのか。不思議なくらい、当たり前のことだった。だが、安心しなさい。自分の愛する教え子を殺したりはできない。解毒剤はここにある。そして、ここにあるこのスイッチを押すと和希くんの夢も叶うんだよ」

 馬鹿馬鹿しい話に、僕も声を荒げた。

 「なんで! スイッチがそこに! あんたが作ったのは本当なのか」


 「奏太、見ろ」

 冷静になった拓海は僕の腕をほどき、写真をつき出した。

 「これは……和希の夢は『悲劇を救うヒーローになる』だったのか」


 「そうだ。彼のいう悲劇は十四年前の感染症のことで、彼は今薬学者として活躍している。そして今日もこの村にいる。この夢を叶えてやるために私は薬学に本腰をいれ、先日の叶明祭でウイルスを混入したドリンクを売った。和希くん以外の誰かが解毒剤を開発し、ヒーローになっても意味がないから、事前に和希くんにヒントとなる資料も送っておいた」

 「彩、奏太、和希のもとへ急ごう」


 「まあ待ちなよ。一緒に見届けよう」


 ◇


 逃げようとした瞬間、後ろから大きな何かに拘束され、そのまま意識がなくなった。そして今、目の前には黒いモニターぐらいの画面が三つ。ここは何処だ? まるで研究室みたいだ。


 「目が覚めたか」

 「先生! ここは何処だ? 拘束を解け!」

 怒鳴り声を上げて威嚇するが、意味もない。相手は落ち着いている。


 「まあ、落ち着きなさい、奏太くん。ここでゆっくり和希くんの有志をみようではないか」

 「そんなことしてられるか!」


 「安心しなさい。君たちには抗ウイルス薬を打ってある。我が生徒の死は避けたいからな」

 そう言うと、モニターがついた。

 「和希! 和希に一体何をする気だ!」


 「和希くんには見えないくらいの小さな追跡カメラをつけてるだけさ。さあ、ともに見守ろう」


 プルルルル。モニターの中で和希の電話が鳴った。

 「お、和希くんに電話だ」


 「もしもし、瀬戸くん。君が帰省してる千明町の連日の緊急搬送の容態が、この前見せてもらったウイルスの感染と同じようなの。大丈夫?」

 「俺は問題ない」

 「そう。ならよかった。関連するデータは送っとくわ。速やかに粛正して」

 「はい。すみません。この小さな町に」

 「いいの。もし感染拡大したら、結局うちで扱うことになるんだから」

 「分かりました。頑張って努めます」


 電話が切れる。

 「谷先生のデータのウイルス……どうして? まるで予知したように」


 「さすが、和希、俺のデータに食いついてるぜ」

 先生が笑いながら言う。

 「早く伝えなきゃ。拓海、彩、どうにか脱出するぞ」

 と、小さな声で伝えようとしたが、ふと気がつく。二人がいない。


 「二人はどこにいる?」

 気づかなかった。彩も拓海もいない。

 「二人ともお前と同じように拘束され、抗ウイルス薬を打たれ別室にいる。そうだ。監視カメラがついているから、残りの画面に写してやろう」


 だが、画面に映るのは誰もいない部屋。

 「いないじゃないか」

 「おかしい。監視人はいるのに。脱走か! 探し出せ!」


 その時、ガチャッとドアが開いた。

 「先生!」

 入ってきたのは町長だった。

 「彩も拓海も! 先生が助けに来てくれたんだよ」


 驚きの声を上げる奏太に、町長は冷静に答える。

 「この前、三人と見つけた監視カメラについて捜査班を手配させておいたんだ。そして今日、実際に来てみれば、カプセルが開いたまま置いてあり、さらにカメラが増えていた。おまけに木を調べると中からスピーカーと盗聴機が出てきた。スピーカーがオンのままだったおかげで、こちらの情報が筒抜けで助けに来れたんだ。よく考えれば学校関係者によって設置されたと考えるのが最初から妥当だったな。まあ、スピーカーがオンだったから、情報以外にも貴重な話も伺えた。大変だったんだな。話を聞けばできれば手に縄をかけたくはない。分かったらさっさと去るが良い」


 「手に縄をかけたくはない。それは慈悲のつもりか。そんなことされても彼は戻らない。この町を許しはできない。それに聞いていたなら分かるだろう。もうウイルスは繁栄している。新町長さんよ、私はこの町を許さない。優秀だった彼の大学のデータをもとに生み出したウイルス。死にたくなきゃ、あんたがしっぽ巻いて逃げな」

 町長は毅然とした表情で返す。

 「その必要はない。私から正式に事態粛正に協力するように瀬戸和希くんに依頼した。彼の所属するDoc.Iからも協力が来る。そのボタンも必要ない」


 「さすが先生だ……」

 思わず感嘆の声がこぼれる。


 「誰が先生か! 貴様らの先生はわしじゃ。まあ、よい。せいぜいあがけ、先生。和希くんが解毒剤を完成させる頃には町民の半分が死んでいるだろう」


 谷先生に向かって、僕は懇願するように叫んだ。

 「谷先生! 解毒剤と抗ウイルス薬をこちらに渡してください。それをそのまま和希に託します。今のあなたは何をするかわからない。町長、取り抑えてください」


 しかし谷先生は反発する。

 「そうはさせるか」


 僕はもう一度、声を張る。

 「ほら! 早く! 谷先生! もし、さっき言ってたように心に彼を抱え、医学などを学びながら僕たちを教えていたんだとしても、そんな崩れたまさに悪魔のような顔はしなかった。あれから数年でどんなことがあったかは分かりませんが、強い憎悪を秘めるようになった。それでも、先生はまだ先生でいたいんでしょ。だから、僕ら分の抗ウイルス薬を用意していたんでしょ。さっき我が生徒の死は避けたいと言っていた。これも紛れもない本心でしょ。なら、町長にしたがって薬を置いて去ってください。お願いします。崩れていく先生を、僕たちも、何より十五年前自殺したその人も見たくないでしょう」


 谷先生は膝から崩れ落ち、泣き始めた。その姿はまるで廃れていく建物のようで、崩れる中からトゲの外れた心が現れるようだった。


 「どんなに大きな力に抑制されても効果がないことでも、生徒に言われただけで必要以上に心にしみり、人生を変えられてしまう。それが先生という生き方です。与えたものの分だけ生徒の言葉の力は強くなる。それだけ、生徒に尽くしてきたということ、君の生きた道を表している。どんなにこの子達が私を先生と呼び、従おうとも、それを本職とする先生に叶うはずがない。あなたこそが先生と呼ばれるにふさわしい人物。先生、彼らにこの子達に報いる方法はいくらでもあります」


 そう言い残し、町長は立ち去った。捜査班も撤退し、谷先生も機器を片付け帰っていった。僕らに気を遣ったのだろう。

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