第6話夢から醒めた夢

 空き缶が転がっている。電車の中で。たった一つ、誰が拾うことも捨てることもしないまま。電車の揺れに合わせてカラカラと音を立てて左右に転がる。


「……って。終点ですってば」

「え……?」

 耳慣れない誰かの声にふと目を醒ます。視界に入ったのは駅員と思しき男性だった。

「高島駅です。終点なので、目的駅じゃなかったら折り返しの電車をご利用ください。今乗ってるこれは、そのまま車庫に入るんで」

 急なことに驚いてよく分からなくなってしまった。今までいたあの世界は、もしかして夢だったのーー?

スマートフォンを取り出した。バキバキに割れてはーーいない。指を乗せると開いた。難なく使える。私身体も痣や擦り傷の痕もなかった。

あの世界が夢なのか現実なのか、まだよく分からなかった。それでも確認しておきたくて、車掌につい尋ねた。

「あの、私の他に男の子がいませんか? 亜十夢っていう、小学生か中学生くらいの子なんですけーー」

「いいえ、いませんね。まだこの電車を降りてないの、お客さんだけなんですよ」

 車掌の声から聞こえたさっさと降りろという意味の言葉が耳に刺さった。本当にあの世界は夢だったのか。それにしては、あそこで経験した感覚はリアルすぎる。

 とにかく亜十夢の安否が、行方が気になって、電車を降りた

私はプラットホームを見渡した。電車は駅に着いて時間が経っていたようで、駅には誰も人がいない。仕方なしに折り返しの電車に乗って、各車両を見て歩いた。学生も数人乗っていたものの、亜十夢の姿はない。

 もしもあれが本当に起きた出来事だとしたら、ゲームに勝って助かったのは、私の方ってことになる。つまりそれはーー。

 着いた隣駅に降りた私の足が止まった。嫌な予感という冷たい気配が背筋を駆け上がり、私の中に恐怖が忍び寄ってくる。

私は、亜十夢を殺したの?

 駅は人で溢れて、皆忙しなく改札口へと歩んでいった。その人混みの中にも亜十夢の姿はなかった。

わずかな希望をかけて、また電車に乗り直そうと足を向けた、その時だった。

「お姉ちゃん?」

「亜十夢⁉︎」

 亜十夢の声が耳元で聞こえた。知らないうちに笑みが広がる。振り返ってみると、そこには亜十夢がーーいない。近くには誰もいなかった。

「亜十夢? 平気なの? どこにいるの?」

「ありがとう、おかげでボクは救われた」

「ねえ亜十夢、あなたどこにいるの?」

電車から離れて、待合室の方を見た。そこにも亜十夢の姿はない。ホームのコンビニの裏にもいなかった。

「藍瑠のおかげだよ」

「ーーえ、今……」

 私は結局、亜十夢に名前を教えてなかった。最初は面倒だったから。亜十夢を知るに連れて、名前を教えることに少し恐怖を感じたからだった。でも、その名前が今彼の口から溢れた。

「今、名前言った? 私、教えてなかったのに」

 亜十夢の笑い声が聞こえた。あの独特なヒステリックさを感じる笑い声だった。

「そりゃ知ってるよ。だってボクはずっと、藍瑠の中にいたんだから」

「……え……」

 歩みが止まった。さっき駆け上がったあの嫌な気配が全身を包み込んで、身体中凍りついた。

「そ、そんなわけ、ないでしょ」

「ボクはずっと藍瑠、君の中にいたんだよ。ボクは藍瑠、君の一部。ルートはね、心の中に複数の存在を宿して疲弊した時に開く場所なんだよ。君はずっと、一人で生きてきた。その裏でボクという負の感情が芽吹いて成長していったのさ。他人に対する不信感、拒絶、憎悪。それらがボクを作り上げた」

「待ってよ、そうなんだとしても、どうして私はーー」

「無事に生きてるのかって? 結果的にボクを消したからだよ。別にあの扉の外に出すことが勝敗を決めるわけじゃない。自分という存在が消えずに残った者が勝ち、意識を取り戻した時にその者の心の全てとなるのさ。あのままボクを消そうと外へ出していたら、君という存在は負に堕ちて消え、逆に今頃はボクが藍瑠の全てとして存在していただろうね。ボクが負の存在であるのに対して、藍瑠、君は疲弊した正の存在だった。まさかボク自身の君への憎悪が君を助ける糸口になってしまうだなんて、思いもしなかったよ」

 考えの追いつかない私に対して、亜十夢は軽い笑い声を上げた。

「まぁせいぜい生き苦しむんだね。ロクでもないこんな世界を」

 まるで電話がプツリと切れたように、それから声は聞こえなくなった。

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