第4話純粋だった記憶
小学生の頃まではありふれた子どもだった。大人の言うことは何でも正しくて、クラスメイトでも友人でも見知らぬおばさんでも、相手のことは等しく信じていた。喧嘩をすることはあっても、翌日には元の関係に戻れる単純な世界だった。
数が多かったわけではないけれど、私にも友人は複数人いた。その内一人とは飛び切り仲が良くて、よく私の家に遊びに来ていたくらいだった。私の兄はカードゲームが大好きで、当時からコレクション用と遊び用のカードを集めていた。だから遊び用のカードを借りて、私たちはよく遊んだものだった。
けれど、ある日。戻れなくなった日が来てしまった。
「ねぇ藍瑠、なんでいつもあたしと一緒のグループにいたがるの?」
小学生の頃、仲の良かった友人は、詰るように尋ねた。思いがけない質問に、私は空いた口を閉じるのに精一杯だった。
「正直言ってさ、イヤなんだけど」
「え……」
冗談かと思った。冗談だって言って欲しかった。嘘で構わないから。けれど、冗談でも嘘でもないことは彼女の表情を見れば明らかだった。突然の話に理解が及ばなくなった私の脳は思考を停止して、真っ白な虚無に覆われた。
「友だちじゃないのに友だちぶっちゃってさ。迷惑なんだよね、あたしB班に行きたかったのにさ」
お陰で全然楽しくない。そんなことを言うと、彼女は苛立たしげに腕を組んだ。
仲が良いと思っていた、友人だと信じていた彼女は、私のことをそんな風には見ていなかった。私の家でよく遊んでいたのはカードゲームをしたかったからであって、カードゲームができる環境があれば誰が相手でも良かった。
彼女にとって私は友人ではない、ただの都合の良いおもちゃに過ぎなかった。
それがようやく分かった時、脳裏に広がっていた考えを喰らう純白な雲は、真っ逆さまに堕ちて心の中で永遠の雨を降らせる真っ黒な雨雲となった。雨に降られた私は、もう何を信じるにも疲れてしまった。
「それからは誰が味方で誰が敵か、敏感に感じ取ろうと常に周囲の会話を聞き入ったわ」
窓に反射するボロボロな姿の私が当時の自分に重なって見えた。もしあの時本当の自分の姿が、心の姿が見えていたらきっとこれくらいボロボロだっただろう。そんな過去を跳ね除けるように話を続けた。
「自分だけが一方的に相手を信用して騙されるなんて、もうないように」
「それで今は?」
亜十夢が訊いた。
「高校に入ってからは、また友だちができたの。あんな風に鬱いでいた私に声をかけてくれてね」
他でもない、実花のことだった。高校で知り合った彼女とは、段々と打ち解けあってようやく仲良くなれた。
「でもまた違ったのよ」
「違ったって、どうして?」
事の発端は先月のこと。夏休み明けに憂いだ生徒たちが続けざまに続いた夏休み明けテスト、通称第二期テスト期間をよう
やく終えて自由になった日の翌日のことだった。
忘れ物をした私は、実花に先に更衣室へ行くように伝えて、教室に一度戻っていた。すっかり忘れていた体育用の中靴を掴んで、急いで隣の棟にある更衣室へと向かった。あの声が聞こえてきたのは、着いた更衣室のドアに手をかけた、その時だった。
「やっと体育で羽を伸ばせるー!」
実花の声。夏休み期間を含めたら約二ヶ月振りの体育の授業だった。運動が好きな彼女にはずっと退屈だったのかもしれない。
「良かったね、実花」
同じクラスの女子の声がした。
「やっと本領発揮できるじゃん。実技派実花のスーパープレイいつも楽しみなんだよね」
「やーね、照れるじゃん」
「ま、いつも一緒にいるあの子が下手くそすぎるのもあるでしょ」
クラスメイトAが言ったのは、紛れもなく私のことだった。彼女の言葉に更衣室からはゲラゲラと笑い声が溢れた。
「ネタにすんなって。あれは本気出してないだけでしょ」
「流石にそっか」
なおもまだ更衣室での笑い声は絶えなかった。
「今度の体育祭、楽しみにしててね。あたし藍瑠と一緒の競技にするから」
「え、いいねそれ。ただでさえ凄い実花のスーパープレイがよりカッコよく見えるじゃん」
キャハハハハと明るい笑い声が上がる。戸口に掛けていた手はもう既に下がっていて、窓に掛かったカーテン越しに覗く
うっすらとしたシルエットがぼやけて見えた。
小学生のあの日のような、スッとする寒気や痛さは感じなかった。その代わりに感じたのは、胸の奥に残っていたその時のしこりが、膨れあがってさらに重くなったこと。鈍い痛みをもたらしたことだった。
「結局のところ、私は引き立て役にすぎなかったってわけ」
体育の中靴を忘れたことにして、私はその日の授業を見学していた。ソフトボールで打った実花の球は、投げられた時よりもずっと早く飛んで、ボールを取ろうと追いかける女子の間をすり抜けていった。当の実花はあっという間に一塁を走り去ったと思うと、一瞬にしてホームベースに帰って来た。ホームに戻った実花は、チームメイトたちと笑顔でハイタッチをして、キラキラと輝く汗を体操着で拭った。
実花が輝くその場所には、私がいる必要なんてなかった。
「一つ訊いていい?」
「なに?」
「ボクの話、あんた信じたの?」
「え?」
てっきり今した実花との話か、小学生の頃の話のことを聞かれると思った。だから予想外の亜十夢の質問に変な声で答えてしまった。対する亜十夢の声色は、今までよりもずっと重くて真剣さを帯びていた。
「ルート2って、意味分からない世界の話。ここではボクらは死んでいて、これから消えるのかどうかを決めるゲームが始まるって話。そんな理解不能な異常話を赤の他人からされて信じるくせに、友人のことは信じられないんじゃ、問題あるのは相手じゃなくてあんただろ」
吐き捨てるように言うと、彼はその長い前髪越しに私を見据えた。ギロリと睨み、低く据えた声で話す彼は、さっきまでのような生意気も子どものような悪戯っぽさもなくてーー彼の本性が現れ出たようで、どことなく怖かった。
「相手が何を考えているかとか、自分のことをどう思っているかなんて、何億年経っても分からないことを気にしていつまでも相手を信用しないなんて、どうかしてるとしか思えないね。友人を信用できないのは自分に信じる勇気と自信がないだけだろ」
そんなこと、ない。
音のない声だった。決して聞こえることのないはずなのに、亜十夢はそれを聞いたかのように、鼻で笑った。
「いつまで自分は被害者面してんだよ。どんな理由であれどんなかたちであれ、友人を信じられず友人だと認めてないのはあんたも同じだろ。てめぇだって自分がされてトラウマ級に嫌な思いを相手にしてる加害者なんだよ」
「そんなことーー」
ない。言いたかった。でも言えなかった。
あの一件から私は徹底的に実花を避けた。遅刻ギリギリの時間に登校して、授業間休憩は寝たフリをして、帰りのホームルームが終わるとすぐに帰宅した。こうしていれば自然と相手が離れていことは、経験から分かってたから。けれど、実花はそれでも変わらなかった。他の女子と語らうことも、私を見て見ぬ顔もしないで、話半分にしか聞かない私の席にやって来ては、昼食を食べながらくだらない話をしていた。
一ヶ月と十日。普通なら詰まらなくなって他へ行こうとするのに。ほぼ口をきかない私とずっと一緒にいた。
なのに私はーー。
「今更ありがたさに気づいて涙するなんて、甘すぎんだよ」
亜十夢の声が滲んだ世界から現実へと私を連れ戻した。
「別に感謝したくて泣いたわけじゃない」
手の甲で涙を拭った。手の甲にも傷はあったけれど、不思議と痛みを感じなかった。
「申し訳なくなっただけ。あんな風にお別れしちゃったから」
「お別れ?」
その言葉に異議があるのか、彼は片方の眉をピクリと上げた。
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