第3話ルート

 まあ座りな、という彼の言葉に、一席空けた彼の隣の席に腰を下ろす。けれど、どことない不気味な気配と彼の言葉の違和感が不安を助長させて、恐怖が脳内を占めてしまうのをなんとか抑えている状態だった。

「ボクもこの場所に来た時、この世界の案内人ってヒトに聞いたんだけど」

「案内人?」

 私の問いに彼は小さく頷いた。

「この世界はルートと呼ばれる場所。どうやら乗客はボクらまでみたいだから、ルート2ってことになるかな。分岐点だよ、ただそれだけ」

 乾いた声で告げる亜十夢の姿は、ついさっきまで少年のよう、小学生の男の子のようだったのに、今では中学生くらいの年齢に見えた。

「分岐点って何と何の?」

 年齢が異なって見えたのは目の錯覚。不安に駆られたせいだと言い聞かせて、私は尋ねた。彼はそんな考えを嘲るように鼻で笑った。

「何と何って、分かるだろ? 生か死か、それだけさ」

 抑揚のない平坦な声色。いささか低くなったその声は、それだけ答えた。

 どういうことなのかサッパリ意味不明だった。これでも私は下校途中で、ついさっきまでーーとは言えなくても、少なくとも今日の日中までーーは学校にいて、日常を送っていた。それが何をどう間違えれば、こんな意味不明な状況に陥るというの。

「あれ、もしかしてまだ意味分かってない?」

 心配する、というより揶揄うように彼は訊くと、仕方ないな、と呟いた。

「ゲームなんだよ。生きるのか死ぬのか、まぁ正確に言えば、生き還るか消えてなくなるのかを賭けた、消失点を決めるゲーム」

「待ってよ」

 消失点とかルートとか、数学の授業以外で聞かない単語はスルーが出来ても、聞き捨てならない言葉がそのセリフの中に混じっていた。

「生き還るって……バカじゃない? あんたはどうか知らないけど、私は死んでなんかーーっ」

 途端に身体が重くなった。身体中から力が抜けて、座っていなければ倒れ込んでしまいそうな、地球の引力に引き寄せられていく感覚に捕らわれる。怠いのとはまた違って、ベタついた汗が額にゆっくり滴るような、気持ちの悪い感覚。

真っ暗な窓に反射して映る私の姿は窓に映した姿でも分かるくらい蒼白で、髪型はぐしゃぐしゃに乱れていた。

背もたれに寄り掛かっていた身体をなんとか起こして、足下に視線をやる。痣と擦り傷だらけだった。それ以上何かを見たら

恐怖のあまり失神してしまいそうで、私は視線を戻した。

「あんたのスマホ。完璧なまでに大破してたな。何したんだ?」

 亜十夢はまだ揶揄うような生意気な声だった。

「何って」

「身投げ? 飛び込み? それともただの交通事故?」

 バカなことを聞かないで。そう言いたかった。言えなかった。ただ一つ明確に言えるのは、私には死んだ認識がなかったということ。それだけだった。

「覚えてないわ」

「ふーん、そんなもんなんだ」

 彼は呟くように言うと、サッと両腕を前に突き出した。けれど、長袖のシャツがピンと張っているのは肘の辺りまでで、そこから先の肘から指先の部分は、シャツはだらんと垂れ下がっている。

 それが暗示することに驚きを隠せなかった私は、小さく短い悲鳴のような声を上げた。

「これ、って……」

 腕が。手が、指がないっていうこと? 訊けるはずなんてな

く、私は口を両手で覆った。亜十夢は私の様子を見て楽しんでいるのか、ケラケラと笑った。

「ボクはね、死んだ時にこの両腕を失った。どうやって死んだかは訊くなよ? グロすぎるあまり吐かれたらイヤだからな」

 彼はまた軽く笑うと、先の途切れた腕を下ろした。

「ま、そんなわけでボクらは死んでる。あんたは制服からして高校生ってところ?」

「そう。あなたーー」

「ボクは幾つだと思う?」

 私の質問を遮るように亜十夢は尋ねた。正直言って、今の亜十夢の姿や声口調と、数分前の彼ではまるで別人のようだけど。

「そうね、さっきは小学生って感じだった。でも今は中学生くらいかな」

 ふぅんと返す亜十夢。どうやら答えを教えてくれる気はないらしい。さっきの小学生のような無邪気さは全くない、擦れた様子だった。

「中学生か」

 去年の今頃の私は、中学三年生だった。高校に入ってから、何がどう変わったのかは、特にあるわけではないけれど。

「あなたを見てて思ったんだけど。私もさ、小学校くらいまではちゃんと良い子だったんだよ、きっと。でもそれが色々経験する内に、段々削り取られていってそうなるんだよね」

 そう、経験から人は成長していく。良い意味にも、悪い意味にも。

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