第二章 ラスタリア王国の危機

第1話 聖地ラスタリアの花売り娘

 大陸の西端に位置し、広大な西大洋に面するラスタリア王国の首都アニス。


 市街地には赤レンガの建物が密集し、いにしえの栄華を引き継ぐ荘厳な聖堂が点在している。その佇まいは歴史の重みを感じさせ、訪れる者を魅了する独特の趣をたたえていた。

 水の都とも称されるこの街は、大小の運河が網の目のように発達し、大型帆船さえも街の奥深くまで入り込むことができる。その港や運河には、無数の帆船が停泊し、セイルを畳んだマストが、大小の十字架を無造作に立てたかのように並んでいた。

 

 この賑わう港に、エクセル王子の帆船「ブルー・ホライズン」が静かに近づいていた。

 甲板に立つエクセル、セナ、そしてアリア。彼らの視線の先には絵画のような情景の首都アニスの町並みが広がる。

 彼らの背後には、少し距離を取るように立つルーシーの姿もあった。しかし彼女はエクセルに近づくことはできない――いや、近づこうとするだけで胸の鼓動が高まり、狭心症のような状態に陥ってしまうのだ。

 それでも、リヴァイアサンの一件以来、ルーシーはアリアに伴われエクセルやセナと行動を共にすることが増えていた。


 船の欄干に肘をついて港の様子を眺めているセナが、皮肉たっぷりに口を開いた

「ほとんどが、ガイア教国の船だな。本当にここは、ラスタリア王国なのか。しかも、王子の船が端の桟橋に停泊させられるとは」


 彼の言葉通り、港や運河にはガイア教が崇める巨神ラ・ムーアのエンブレムを掲げた船が並び、その存在感を誇示している。


「まあ、そう言うな。今のラスタリア王国の軍事力だけで、西のアルカディアスの侵略は防げない。ガイア教の軍隊があってこそ、このラスタリアの平和が保たれている」

 エクセルはの言葉に、ルーシーが後ろから小声で問いかけるように言った。


「なぜガイア教が、小国のラスタリア王国を守ってくれるのだ……ですか」


 それには 振り向いたアリアが、手短に経緯を語り始めた。

「実は、ガイア教はこのラスタリアが発祥の地なのです。けれど、かつてラスタリア王宮から迫害を受け、大陸の未開の地に追いやられました。そこから土地を開拓し、町を作り、経典を広めて……十数年でラスタリアよりも数倍の大国になったのです。もはやラスタリア王国など取るに足らない存在でしょうが、ここはガイア教の開祖の地、つまり聖地です」


「聖地、ということか……」

「はい。ですから、彼らがいつか征服しようと考えているのは明白です」


 アリアの話に続けて、セナが険しい表情を浮かべ。

「この港を見ればわかる。ラスタリア王国はもはやガイア教国の属国だ。完全に立場が逆転している。『西のアルカディアスの脅威から守る』だなんて言っているが、実際は軍事介入じゃないか」

 彼は苛立ちを隠せない様子で続けた。

「それに、わずか十数年でここまでの巨大宗教国家になるなんて、普通じゃない。きっと世間に言えない何かをやっているに違いない」


 声を荒げるセナに、隣のエクセルがおどけた調子で答える

「まあ、証拠もないし、考えてもしかたないでしょう」

「全くエクセルはのんきなのか、考えているのかよくわからんな」

 あきれるセナに、ルーシーも笑っている。それを見たアリアが話題を変え


「ルーシーって最初、お兄様と目があっただけで狭心症を発症していたけど、最近は3m程度まで近づけるようになってきましたね。それに、言葉遣いも、だいぶまともになってきたし」

「え、そうか……なのです」

 面映い表情のルーシーに、アリアも笑っている。


◇街の花売り娘


 数日後……


 賑わう王都アニスの石畳の街路を、一台の荷車がゆっくりと進んでいた。

 荷車には色とりどりの花々が積まれ、それを引くロバの横には、双子の兄妹とエプロン姿の娘が寄り添うように歩いている。


 一見するとどこにでもいる庶民の花売りだが、その正体は、変装したアランとフェス、そしてアテーナであった。


「王都って大きいね!」

 妹のフェスは瞳を輝かせながら、街の景色に目を走らせる。

「それに、運河があってとっても綺麗な都だよ。あのゴンドラ、私、乗りたい!」


「今度のお休みに乗りましょうね」

 アテーナがスカーフを巻いた髪を軽く押さえながら優しく微笑む。

 

 噴水が目を引く中央広場にたどり着くと、広場の一角に新しい銅像が立てられていた。見上げると、船の舳先に立つ女神が海の彼方を見つめている。その足元には、『北の海域に女神ルシファー降臨』と刻まれた銘があった。


 アランは驚きと呆れが入り混じった声を漏らした。

「これ……もしかしてルシファー様?  盛りすぎじゃない?」

 フェスが同調するようにうなずき

「盛ってるね。どちらかと言えば、精霊のビーナスじゃない? 」

「うん、完全にビーナスだよ。絶対間違えてる」


 北の戦いで突如現れたルシファー。その噂は王都を駆け巡り、早々に彫像が建てられた。それを耳にしたアテーナたちは、ルシファーの真意を探るべく王都に潜伏し、花売りの店を開いて情報収集を始めていた。


「でも、アテーナ様、本当にルシファー様は人間に味方したのかな? 沖で姿を消して停泊している『スカーレットジャスティス』のビーナスが言ってたけど。どうも、ここの王子様に一目惚れして付いてきたそうだけど」

 妹のフェスの問いに、アテーナは複雑な表情で答える。

「どうなのかしらね……直接会ってみないとわからないわ」


「だよね。もし敵だったら、このラスタリア王国、滅びちゃうかもしれないよ。いらちで、持久戦大嫌い、兵法無視の皆殺し突撃大好き娘でしょ? ラスタリア王国、ご愁傷さまって感じだよね」

 アランが冗談めかして手を合わせると、フェスが笑いながらせかすように言った。


「それより早く会いに行こうよ。だいたい場所もわかったし、なんとか王宮への納品もできるようになったしね」

  さらにフェスは声をひそめながら続けた。

「ビーナスが、ルシファー様はルーシーって名前で密かに潜伏しているって言っていたけど。隠密のつもりが、結構有名人になってるみたい」

 アテーナはため息をつき、苦笑いを浮かべ。


「やっぱり……想像していたけど、あのお方に隠密行動は無理があるわね」

 アランとフェスもうなずき合った。


 さらに、最近の王都では不穏な噂が飛び交っていた。

「ところで、最近この町で魔女が失踪する事件が相次いでるのだって」

フェスが声を潜めて言うと、アテーナが眉をひそめる。

「それが、どうもルシファー様が関わっているらしいの」


「ルシファー様が、娘たちをさらってるの! 」

「逆よ。その一味を捕縛しようとしているみたい。でも……」

 アテーナの言葉に、三人の間に重い空気が流れる。


「……本当に大丈夫かしら」

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