第8話 王子の秘密

「行ってはだめ! 」


 アリアの制止を聞かず、ルーシーは通路にいる船員をなぎ倒して強引に甲板に飛び出した。

 先ほどまで荒れ狂っていた海も、巨大なリバイアサンの影も、もはやどこにもない。水平線に沈みかけた夕陽を背に、船は穏やかな波間に揺れ、まるで嵐が嘘だったかのように静けさを取り戻していた。


 暮れなずむ甲板を見渡すと、エクセルの姿はなく隅に、ずぶ濡れの何かが倒れている……

 ルーシーが近づき、その姿を目にした瞬間、思わず息をのんだ。

 それは、人の形をしていながら、体の大半を魚の鱗のようなものが覆い、指先には鋭い爪と水かきのような膜がついている。顔もまたところどころ鱗に覆われたその姿は、半ば獣人のようだったが、それはまぎれもなく……

 

「エクセル! 」


 叫びながら駆け寄ると、ぐったりと倒れたエクセルがか細い声で応えた。

「……ルーシー。こんな、見苦しい姿を見せてしまった……」

 それだけ言うと、体の力が抜けて意識を失った。

 ルーシーはエクセルを抱きかかえ、つぶやいた。


「哀れな……」


 その時、背後から足音が聞こえ、すぐに止まる。振り向くと、険しい顔つきのセナが剣を抜き、切っ先をルーシーに向けて立っていた。彼が甲板に他の者を近づけさせないようにしているのは明らかだった。


「いいか、このことは誰にも言うな。秘密を知った以上、本来なら手討ちにするところだが、殿下はそなたのことを気にかけているようなので、今は見逃す」

 ルーシーがうなずくと、セナは険しい表情のまま剣を納め


「殿下は誰よりもラスタリアを案じておられる。だが、本国は西のアルカディアスの脅威に晒されているうえ、王宮ではガイア教が介入し、政務や軍事を支配しようとしている。殿下はその打開のため、半年前にオリンポスの神に助力を乞うため命がけで会いに行かれたのだ」

 安易あんいに内政のことを話すセナにルーシーは訝りながら

「なぜ、そのような話を私に」


「そなたは記憶がないと言っているが、俺もそなたがルシファーと関係があるのではないかと思っている」

「そんなことは……」

 ルーシーは言葉に詰まる。二人はそれ以上語ることなく、セナは毛布を取り出し、エクセルの体を覆うと静かに抱え上げた。


  セナは後をついてくるルーシーに時折目をやりながら。

(この娘。私が剣を向けても微動だにしなかった。やはりただの娘ではない)


 そう思いながら艦長室に戻って静かに寝かせると、その直後、アリアが部屋に入ってきた。彼女は様子を察し、柄になくうつむいているルーシーに、そっと声をかける


「ルーシー、見たのね」

「………はい」

 申し訳無さそうに頷くルーシーに、アリアは「これは絶対に秘密」と告げて


「エクセル兄様は、実はアルカディアス人の血がながれているの。エクセル兄様の母は、獣人の多いアルカディアスの女性なのです。そのことでエクセル兄様は生まれてすぐ、僻地の島へお母様と流刑同然に送られたのです」


 つまり、エクセルは現王の妾の子ので、アリアとは異母兄妹となる。さらに、王位の跡目争いなどの災いの種を隠蔽しうようと、エクセル達を僻地に追いやったようだ。ルーシーが聞き入っていると、アリアは続ける。


「その後、エクセル兄様の母上が災厄に巻き込まれて早くに亡くなられ……まだ幼い兄様を、第二王子カシム兄様が連れ戻したの。でも、それがきっかけでカシム兄様も病に倒れ、今では車椅子の生活なの」


 そこまで話すとアリアはルーシーの手をとって

「お願いですから、このことは秘密にしてくださいね」

「わ……わかった。でも、セナといい、そんな大事なことを下女の私に」

 アリアは少し笑みを浮かべ


「あなた、記憶がないと言うけど、普通の人間ではない気がするの。もしかしたら、女神ルシファーと関係があるのかもしれない。エクセル兄様も、そう思っているのではないかしら」


 ルーシーはぎくりとし(セナといい、するどい………)と思ったが、アリアは意外なことを言う。

「あなたはルシファー様の下僕のひとりかもしれませんよ。ねえ、なにか、ルシファー様を呼ぶ手立てを思い出せませんか」


「わ……わかりません。そうだと。いいの……だが」

 すこしひきつりながら、そこで口を止めると。

(アリアは私がルシファーだという選択肢は、思いつかないのか)と心のなかで呟き、そのままにしておくことにした。


 エクセルの複雑な生い立ちを聞いたルーシーは、哀れむとともに、自分と母を追い出した恨むべき国を気にかけるエクセルの心情に興味が湧く。 

 と、同時に……

(なんとかして、あのお姫様だっこを、もう一度! )

 それを考えると、胸がこそばゆくなり心臓が高鳴ってくる。


 半魚人となりリバイアサンと戦ったエクセルの怪我は数日で回復し、その後の航海は穏やかで船は順調に進む。

 明日には王都に着くという晴れ渡る空の清々しい朝、ルーシーは甲板の後ろでシーツを一人で干していた。

「あーめんどくせー。なんで私がこんなことを」

 ぶつくさ言いながら、適当にシーツをひっかけていると、不意に背後から声がかかる。


「ルーシーさん」

 驚いたルーシーがギクリと振り返ると、そこには傷も癒えたエクセルが立っていた。


「エクセルさま! 」


 驚いたルーシーは真っ赤になって、急にシーツをきれいに引き延ばしはじめた。さらに心臓が暴れだし喉から飛び出しそうになっている。

 エクセルはそんなルーシーに構わず

「一度聞こうと思っていたのですが」


「はっ……はい! なんでござりますですか」

 心筋梗塞を起こしそうなくらいに、しどろもどろになっている。そんなルーシーを意に介さず、エクセルは静かに問いかけた。


「ルーシーさんは、先のリヴァイアサンに襲われたあと、私の正体を見ても動じなかった。もしかして、私の正体を知っていたのですか」

 思わぬことを聞かれた

「……それは」うかつに答えると怪しまれるので、口をつぐむ。


「なにか、普通ではないような気がしたので。単なる感です」

 困った表情のルーシーに、エクセルはそれ以上追求せず。

「実は半年前、私は神海に出向きインフェルノ、ルシファーに会いに行きましたが、離れ離れになったのです」

 どこか探るように、ルーシーの表情を見つめながら話していると、ルーシーは


「どっ……どうして、そのことを私に」

「妹も聞いたようですが、あなたがルシファーと関係があるのではないかと」

「まさか! でございます」とぼけるように言ったルーシーだが、そのときルーシーの目眩が頂点に達した

「ああ、もうだめだあーー」

 エクセルを前にしての極度の猫被り緊張状態で、精神異常をきたしたルーシーはそのまま卒倒してしまった。


「ルーシーさん! 」そこに、アリアが飛び出てきた。どうも、見ていたらしく

「早く、寝かせましょう。ルーシーはお兄様の前だと、アレルギー反応を起こすのです」


「そっ…そうなのか……」

 戸惑うエクセルを横目に、アリアはルーシーを寝かせると


「でも、めずらしいと言うか。初めてだわ、お兄様から女性に声をかけるなんて」

 アリアにジト目で見つめられるエクセルが赤面していると。「フッ」とため息をついたあとアリアは真顔になり、話題をかえ。


「お兄様も、ルーシーが女神ルシファーと関係があるのではと思っているのですね」

「そうだな。もしかしたら、ルシファー本人でではないかと」

 本気で言うエクセルにアリアは笑って


「それはないですよ、ガサツでドジな女神さまなんていないでしょ。パリス沖でセナ様を始め船員たちが見た、あの銀髪の女神様こそルシファー様ですよ」


 そのように断言されるとエクセルも考え込んだ、実はエクセル自身も半信半疑だった。

「確かに。あの神海で一瞬だけ見えたスカーレットジャスティスには、あの銀髪の女性が乗っていた……ただ、神海で戦っていた亡霊は赤髪の少女を「ルシファー」と呼んでいた記憶もある」

 オリンポスのことを思い返すと、嵐の中で切羽詰まった状況の中、はっきりと確認したわけではない。


「確かに、アリアの言うとうりかもしれない」

 自分に言い聞かせるように言うと

「そうですよ、お兄様」

 アリアの自信に満ちた返答に、エクセルはモヤモヤした気分だが自身に納得させた。


 朦朧とした意識のなか、二人の会話が聞こえていたルーシーは

(なんで、私がガサツでドジなのだ……銀髪のビーナスが女神などと、単にエクセル達の願望だろうが。私こそ神だ……………)

 そのまま、ルーシーは再び意識を手放した。


  それを見たアリアが肩をすくめ、呆れた笑みを浮かべ

「だいたい、男の前で気を失う神様なんていませんよ」

 エクセルは苦笑いを浮かべ、静かに頷いた。

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