第7話 魔の海域

 その後もブルー・ホライズンは順調に進んでいた。海面は穏やかで、空には雲一つない快晴。波のさざめきが船腹に軽やかに響いている。しかし、甲板に立つエクセルは目を細め、水平線の向こうに目を向けた。


時化しけそうだ」

 エクセルが独り言のように呟くと、隣のセナが訝しげに振り返る。

「そうなのか? 快晴なのに……まあ、航海術は殿下のほうが上だからな」

 セナの言葉を聞きながらも、エクセルはただ黙して水平線を見つめ続けた。


 夕暮れになるとエクセルの言ったとおり、波が高くなり船が大きく揺れ始めた。

艦長室の窓から荒れる海を見つめるセナは

「空は快晴で風もない。そもそも、このあたりは穏やかな海域のはずなのだろ」


 一方のエクセルは神妙な表情で、思案しながら黙している。

 その時、アリアがルーシーを連れて艦長室に来て、不安気にエクセルに問いかけた。

「お兄様、この時化はなんですか」

 エクセルは視線を窓の外に向けたまま、短く答えた。


「魔物が近くにいるかもしれない」


「魔物が! どうして」

「航路がずれて、西のアルカディアスの領海に入ったのかもしれない」エクセルは苦々しい表情で続けた。

「アルカディアスは魔物を使役するテイマー魔物使いたちがいる。この海域にリヴァイアサンが出没しても不思議ではない。しかし、なぜ迷い込んだのか。測量は間違いないはずだった」

 エクセルは合点がいかない。

 アリアがさらに質問を重ねようとすると船が大きく傾き、エクセルと彼女たちが壁に投げ出された。エクセルは咄嗟にルーシーを抱きかかえるが、その光景を目にしたアリアは叫び声をあげた。


「ええ! なんでお兄様がルーシーを!」


 一方、バランスを崩したアリアはセナの腹の上に倒れ込み、セナは苦痛の表情を浮かべる。そんな中、ルーシーは目を輝かせて「やったー」と心の中で呟きながら、エクセルにしがみついて離れようとしない。


「ちょっと、ルーシー!」

アリアが彼女を強引に引き剥がしたその時、外から見張りの叫び声が響いた。


「何かいるぞ!」


 荒れる波頭なみかしらの間から黒い物体が見え隠れしている。エクセルとセナはアリア達を船室に残し、甲板に出てきた。

 波しぶきを浴び、揺れる船にしがみつきながら、その異様な光景を凝視する。


「リヴァイアサンだ! 」


 波の間から現れた巨大な龍のような怪物。真っ赤に光る双眼が船を睨みつけ、その鋭い牙が不気味に煌めく。さすがのセナも恐怖で剣を握る手が微かに震えた。


「撃てーーー!」


 エクセルの号令で大砲が次々に発射されるが、波で揺れる船上からの砲撃は正確性を欠き、命中した数発も怪物にほとんど効果を与えられない。


「やはりこのままでは……」

 エクセルは拳を握り締めながら指揮を続ける。迫り来るリヴァイアサンに、船員たちは恐怖と焦燥の中で戦いを挑むが、その凄まじい威圧感に勝機は見えない。


 アリアたちは艦長室の窓からその様子を息を呑んで見つめるしかなかった。しかし、一人ルーシーは冷静に外を見据えながら心の中でつぶやく。


(どうしてアルカディアスの魔獣が……エクセルが関係しているのか?)

 ルーシーは意を決し立ち上がると、部屋を出ようとする。驚いたアリは

「ルーシーどうしたの」

「少し様子をみてくる」

「あぶないわ。お兄様に部屋から出るなと言われています」

「大丈夫、すぐに戻る」

 ルーシーはアリアの静止を無視して、部屋を飛び出した。


 揺れる船内の壁に手をつけながら、甲板の扉にたどり着き、外の様子をみると、エクセル達数人が、指揮をとっている。波間を見やると、巨大な魔獣リヴァイアサンが船を襲う勢いで迫っていきた。。


 そこに、ビーナスの澄んだ声が頭の中に響く。

(ルシファー様、援護しましょうか。あの程度の魔獣、一撃です)

 スカーレット・ジャスティスの船体は人間の目には映らないが、常にブルー・ホライズンの後方を随伴している。


(そうだな……このままでは沈められる。やむを得ない――)

そう返しかけたルーシーだったが、ふと甲板上の異変に気づき言葉を止めた。なぜかエクセルを残し、他の乗組員たちが次々と船内へ戻ってくるのだ。

甲板に出てきたルーシーの姿を見つけたセナが、驚きの表情を浮かべながら駆け寄る。

「どうしたルーシー。部屋に戻れ。」


「でもエクセル様が」

「大丈夫だ。いいから戻れ。」

セナはいつになく強い口調で言い放つ。その後、小声で付け加えた。

「見ない方がいい。」


  意外なセナの言葉に、ルーシーは動きを止めた。

「とにかく、はやく戻れ! 」

 セナに厳しい口調で言われ、仕方なくアリアの部屋に戻ると心配していたアリアが駆け寄ってきて

「どうでした。お兄様は」


「それが、エクセル様だけを残して、他の者は船内に戻ったのだ」

 するとアリアは青ざめ


「まさか……でも、今はそれしか」

「どうしたのです」

「いえ、なんでもありません」

 尋常でない表情のアリアに、ルーシーは訝った(やはり、エクセルには何かある)そう思ったとき、外で雷が落ちたような轟音と光に包まれる


「キャー! 」

 メイドたちが悲鳴をあげうずくまる。さらに、続けて轟音と、稲妻のような選考が窓を裂く。

 その後すぐに、時化の海が嘘のように収まった。


 ルーシーは咄嗟に、一部始終を見ているビーナスに念話を送った。

(ビーナス、聞こえるか。一体何が起こっている? )

(ルシファー様、どうやらエクセルは……)


 ビーナスの言葉の続き待たず、ルーシーは部屋を飛び出した。

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