第6話 王都への帰還

 ヴァイキングの襲撃が収まり、パリスの街が落ち着きを取り戻した頃、エクセルは王都に帰還することとなった。彼の船「ブルー・ホライズン」は港で出港の準備が進められ、あたりは慌ただしい雰囲気に包まれている。


先の戦闘で船体には傷が残っていたが、父である王が病床にあるため、悠長に滞在するわけにもいかなかった。デッキに立つエクセルは、セイルを畳んだままの高いマストを仰ぎ見てから、ゆっくりと視線を護岸に移し、乗船してくる人々を眺めている。

 そのとき、セナが近寄ってきた。 


「ルシファーでも探してるのか?」と、冗談交じりに言いながらエクセルの肩を叩くと続けて

「まさか、あの赤髪のメイドがルシファーってわけじゃないだろうな。スカーレット・ジャスティスにいた銀髪の美女とはだいぶ雰囲気が違うぞ」


 エクセルも確信がもてないため、答えようがなかったので、そのことには答えず。

「いずれにしても、伝説と言われる精霊艦隊の旗艦、スカーレット・ジャスティスが現れて、俺たちを助けた。それは、紛れもない事実だ」


「俺たちではなくエクセル、お前を助けたのではないのか」


 エクセルは少し戸惑いながらも、首を振ると

「ルシファーはオリンポスの女神だ。人間の些末な諍いに肩入れするとは考えにくい。それに、俺の正体にも気づいているはずだ。彼女が助けに来たのには、何か他の目的があるんじゃないかと思うのだが……」


 エクセルの言葉に、セナは考え込むように眉をひそめながら。

「異世界の神がこの場に現れるなど、普通はあり得ないことだ。それに、ヴァイキング側に味方するはずのルシファーが、こちら側についたのも不可解だな。やはり、お前を助けに来たと考えるほうが自然だろう」


「そうだろうか……」

 エクセルは、それだけ言うと、再び港の様子に目を写した。


 しばらくして、妹のアリアがメイドや従者たちを連れて船に乗り込んでくると、エクセルに気づいて近寄ってきた。 「お兄様、もうすぐ出発ですね」


「そうだな。それにしても、メイドの人数が少し増えたように見えるが」


「はい、ハルゼー提督のメイドの中に王都への帰郷を希望する者がいたので、数人を預かりました」


エクセルが頷くと、多くの荷物を抱えた従者たちの中に、一人の赤髪の女性が目に入った。 「あれは……」


 エクセルが思わず視線を釘付けにしているのに気づいたアリアが、険しい表情で

「また赤髪の下女を見つめていらっしゃるのですね」

「ええ……それは……」

 図星を突かれたエクセルは曖昧に答えを濁した。


 アリアは少し不機嫌そうにしながら、ため息をつき

「まあ、いいですけど。でも、お兄様が女性に興味を持つのは良いことですね。ただし、品定めは私がしますから!」


 エクセルは「なんでだ」と言いかけるのを飲み込んだ。


「それより、お兄様。あの赤髪のルーシーというメイド、意外と面白いのですよ。ちょっとドジ、というか、かなりドジなのですが、働き者で会話もなかなか愉快なんです。それに、独特の鋭い刀剣を持っていて、剣術も心得があるらしいですし、一度手合わせされたらどうですか」


「手合わせか……それなら俺よりセナが適任だろう」


「おい、冗談はよせ」と、セナは慌てて拒否する。


 それでもエクセルは、何かえにしを感じずにはいられなかった。あの赤髪のメイドがルシファーそのものではないにしても、何らかの関係があるのではないか。彼は淡い期待を抱きながら、再び港の風景に目を戻した。


「総帆展帆!  」


 命令の声が響き、ブルー・ホライズンのマストにすべての帆が張られた。壮麗な帆船の姿が現れ、船上の鐘が鳴り響く。


 港では、ハルゼー提督や市民たちが見送りに集まり、船はその声援を背にゆっくりと出港した。風をたっぷりと受けたセイルは力強く膨らみ、ブルー・ホライズンは速度を増して外洋へと進み出る。

 船は穏やかな波のうねりに合わせて南へと順調に進路を取っていた。


 出港して数日経った夜の海。深夜、ルーシーはこっそりと甲板へ出てきた。


 夜の帳が海上に降りたこの時間、総舵手や起きている見張りの者たちは、彼女の魔法によって静かに眠りに落ちている。見上げると、まるで砂を撒き散らしたような無数の星が夜空にきらめき、静かな波音と、帆が風にはためく音が静寂を満たしていた。


 しばらくひとりで船のリズミカルな軋む音に耳を傾けたあと、ルーシーは船尾に立ち、闇の海に向かい


「ビーナス! 」


 暗闇の海に叫ぶと。その呼びかけに応じるように、黒い海の彼方から声が返ってきた。

「ここに」


 すぐに、ブルー・ホライズンの後に、薄ぼんやりと白い帆船が浮かびあがり近づいてきた。


「ちょっと乗せろ」

「かしこまりました」

 ビーナスが光の桟橋を架けると、ルーシーはそれを渡り、船に飛び乗ると甲板に大の字になって寝転がり、深い息を吐いた。


「ブハーーー! やっぱり自分の船は落ち着く」

 ルーシーの姿に、ビーナスが呆れたように微笑み。


「はしたないですね。どうしたのです。猫を被るのに疲れましたか」

「そうなのだ。いい加減、正体を明かしたいのだ」

「まだ、よしたほうがよいでしょう。真の敵の尻尾を捕まえるまでは。それに、エクセルが信用できるのか見極めないと」

 ルーシーはため息をついたあと、夜空に目を向け


「そうだな。エクセルもだが、この世界に、何か歪のような巨大で邪悪な存在を感じる」

「邪悪な存在は私も感じました。エクセルと関係しているのでしょうか」

「わからない、とにかく王都に行って実態を探らないと。それに、今回はどう見ても、エクセルがはめられたように思うのだ。おそらく本国に黒幕がいる」


「ラスタリア王国の黒幕と言えば、ガイア教という新興宗教が王国にはびこっているようですが、その邪悪な存在と関係しているのでしょうか」

「そうかもしれないが、ラスタリアを攻めている西の大国アルカディアスかもしれない」


「アルカディアスの王といえばオーデルですよね、以前ルシファー様が倒したのに、こんな所に逃げ延びていたのですね」


「そうなのだ、あのときは精霊艦隊初の「ムコイチ」で、コテンパンにしたのだが、まさか脆弱な人間の世界に逃げ込んでいたとは、オーデルも地に落ちたものだ。しかし、オーデルも我がオリンポスとは次元の違う世界の神だ。できれば、干渉したくないのだが………いざとなったら、やってやる! 」

 ルーシーは拳を握って言う


「でも、どうしてそこまで入れ込むのですか。ラスタリアなど初めて聞いた小国、我々とは関係ない、どうでもよいではないですか。ひょっとして、生まれて始めてお姫様抱っこされたしですかぁーーー」

 語尾を伸ばすビーナスにルシファーは真っ赤になり。


「なっ……なにをバカな。か…神が人間にお姫様抱っこされてよろこぶか」

 歯切れの悪いルシファーにビーナスは、探るような口調で

「そうですね。ところで、その後エクセル王子とは」


「なにもない。ただ、やつの前にいくと、なぜか心拍数が上昇し、あたまがクラクラするのだ。もしかして、やつの秘密に関係しているのだろうか」

 ビーナスは呆れてニヤニヤしながら


「それは、違うと思いますいよーーー」

「じゃあ、なんなのだ」

 真顔で聞き返すルシファーに、ビーナスは含み笑いを浮かべて答えた。


「……惚れたのではないですかぁー」


 ニヤニヤするビーナスにそルシファーはたじろぎ、顔を赤くしながら声をあげる。

「惚れたって!……まさか。余が人間に惚れるなど。そ…そんなことありえないぞ! なにか、危機感を感じているだけだ」

「はいはい」と軽くうなずいたあと


「ところで、最近はエクセル王子の妹と、よく話をしていますね」

「ああ。アリアは、いい娘だ」

「ひょっとして、将を射るには馬を射よ、ですか」

「ばか、違う。向こうから話しかけてくるのだ」

 あらぬ方向に話しが進むのでルーシーは「そろそろ、戻るとする」


「わかりました、また羽を伸ばしたくなれば来てください」続けて、ビーナスは急に真顔になり

「それと、航路がかなり西にずれています。さらに、この先の海域に不穏な気配がします。」


「やはりそうか、そんな気がしていた。気をつけよう、何かあったら頼むぞ」

 ビーナスが深くうなずくと、ルシファーはブルー・ホライズンに戻り、海上のスカーレット・ジャスティスの姿は消える。

 すぐに見張り人達にかけた魔法を解き、再びルーシーとして自分の寝室に戻った。

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