エピローグ



 さて、そうやって二人は何食わぬ顔で日が暮れてから宮殿へと戻ったのだったが……。


 次の日、待っていたのはプブリウス将軍によるお説教だった。

 それも当然だろう。皇女がこっそり宮殿から抜け出すだけならいざ知らず、貧しい者たちが住む地区で商売をして平然と帰ってきたのだ。

 ロムルスの治安を維持する軍団を率いるプブリウスからすれば、怒るのも無理はない。

 アエリアとセウェルスは並んでプブリウスの前で怒られる羽目になった。自業自得ではあるのだが。

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうのプブリウスが二人を叱る。


「アエリア様! 以前から我々は勝手におひとりでロムルスを散策しては困りますと申しているではないですか! いいですか、アエリア様は畏れ多くもロムルス皇帝であるコルネリウス様のご息女なのですぞ! それを荷車を引いて商売の真似事など――悪漢に襲われでもしたらどうなさるのです!」


 しかし、むっとした顔でアエリアは反論する。


「むぅ……プブリウス、そなたはいつもそう言うが、余は今まで何度もロムルスを散策したが、恐ろしい目には一度も会ってはおらぬぞ。貴族は貧しき者に牛の乳と麦の粥を与え、商人は正しい目方の重りを使い、兵士たちの意気は軒昂けんこうであった。むしろ恐れるべきは、宮殿にこもり、市井の者に目を向けぬことであってだな。有名な『国家栄光論』にも……」

「殿下! その問題の散策の間にも、いったいどれだけ我々が心配したことか! 確かに殿下はありがたいことにお美しい上に聡明なお方ですが、やはり皇女たる者はもう少し自覚をお持ちください!」


 プブリウスの小言にも怯まずに反論するアエリアだったが、結局ぐうの音も出ない形で説教を聞くしかないのであった。

 いかんせんアエリアも、このプブリウスには頭が上がらない。

 素手でライオンを倒したという逸話いつわさえあるこのプブリウスという豪傑ごうけつは、おそらくロムルスで一番強い男でもある。


「……い、いいではないか、もう。だって、余はちゃんとセウェルスを護衛として連れていたぞ。ほら、余は一人でロムルスを遊び歩いていたのではない!」


 だんだん旗色が悪くなってきたアエリアは、一緒に説教されているセウェルスを巻き込む。

 当然プブリウスは、アエリアと違って神妙に説教を聞いているセウェルスも大喝だいかつする。


「セウェルスもまったく、困ったものです! いいですか、あなたは殿下に信頼されているのは大いに結構ですが、真に殿下に忠義を尽くすのであれば、安全を考えて宮殿にお帰りいただくよう説得するのが筋ではないですか! それが一緒になってロムルスを駆け回るとは……」

「はい……申し訳ありません。全部私の責任です。アエリア様は何も悪くありません……」


 セウェルスは改めて自分のしたことを考えると、プブリウスが怒るのも無理はないと考えて反省しきりである。

 しかし、縮こまるセウェルスを見てアエリアが彼をかばう。


「何を申すのだ、セウェルス。そなたは余の求めに応じて共に来てくれただけではないか。何も恥じることはないぞ。むしろ恥じるべきは、余を籠の鳥にしようとするプブリウスであってだな、これはロムルスの将来を考えても――」

「アエリア殿下!」

「うう……すまぬ、プブリウス。もう余は黙る」


アエリアは頬をふくらませると、不満げな顔をしながら口を閉ざした。

それを見てようやく一息ついたプブリウスだったが、気を取り直してセウェルスに向き直る。


「しかし君を殿下が信頼し、君もまた殿下に忠誠を誓っていることは私も分かっています。まったく、悩ましいことですが……」


 そこでプブリウスは手を打った。もっとも、これは妥協だきょうでしかない。


「そうです、殿下。もしどうしてもロムルスを散策したいのでしたら、私をお呼びください。セウェルスでは心もとないですが、私でしたら殿下をお守りできます」


 しかし、あいにくとプブリウスの発案はあっさりとアエリアに却下される。


「やだ。余はセウェルスが良いのだ! そなたでは嫌だ!」

「なっ!?」


 その言葉に衝撃を受けたのはプブリウスではなく、セウェルスだった。アエリアは唇を尖らせて言い返す。


「そなたはまさか忘れておるのか? 余と約束したではないか。たとえいかに安全な宮中であろうが、万が一にも余が呼んだならば必ず来ると」

「そ、それはそうですが……その……私よりもプブリウス殿の方が適役では。将軍がアエリア様をお守りするのはまさに適役……」

「あーあーあー!どうして余の周りはエロースもフィリアーもストルゲーもアガペーも分からぬ朴念仁ぼくねんじんばかりなのだ!この分からず屋め!」

「なっ!? 分からず屋?」


 ロムルスの言葉で表現される「愛」の四つの言葉を上げて、アエリアは最大級の不満を口にする。

 セウェルスが絶句する一方、プブリウスは無言で額に青筋を立てていた。

 その殺気立った雰囲気は、アエリアとセウェルスを震え上がらせるには十分すぎるほどのものだった。


「殿下……これはもはや、私ではなくお母上直々にお叱りをいただかなければならないようですね……!」

「う……あ……セ、セウェルス……た、助け……て」


 さすがに顔が青ざめていくアエリアが、セウェルスの方をすがるような目で見る。

 セウェルスは思う。


(……殿下のその目。毎回私はその目で見られてしまうと、どうしても法も常識も曲げて、アエリア様を助けてしまうのです)


 そして、セウェルスは覚悟を決めてアエリアの手を取った。


「こ、こらセウェルス! 殿下に何を……」

「すみませんプブリウス殿! 今回は私たちは反省したということで、これで失礼いたします!」


 そしてセウェルスはアエリアの手を引いて駆け出す。宮殿の柱廊を走り、外へと。


「セウェルス!殿下までいったいどこへ……ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 しかしセウェルスはその声を振り切って走るのを止めない。そしてアエリアは、彼に手を引かれ心底幸福そうに笑う。


「セウェルスよ! やはりそなたは余から離れないのだな!」

「そ、それはもちろんです! 私はアエリア様がお望みならば決して離れはしません!」


 そう言ってセウェルスはちらりと後ろの方を振り返った。

 そしてプブリウスが追ってきていないことを確認すると、いつものように華やかなロムルスの市街へと向かう。


 あの――アエリアがこよなく愛するロムルスの中心地へと。


「ふふん。そなたは余だけのものだからな。他の誰にも渡すわけにはいかぬのだ!」


 やがてアエリアは成長し、美しく賢い皇族の一人となるだろう。

 このロムルスをより開かれた国に、寛容で強く偉大で素晴らしく、そして何よりも豊かな才能のあふれる都市へと導いていくのだ。


 でも、それはまだ先の話。

 今はまだこの自由なロムルスで、皇女アエリアはセウェルスと共に、走り、遊び、笑いあい――恋をするのだ。


 さて、この少年セウェルスはアエリアが大人となった時、果たしてどんな立場にいるのか。


護衛か、腹心か、それとも――生涯の伴侶はんりょとして彼女と共にいたのか。




 ――それは、運命の女神のみが知っているのかもしれない。





「完」



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皇女アエリア様、ロムルスを冒険する 高田正人 @Snakecharmer

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