第二章⑯

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 ラヨルの長、マユルは、頭巾の奥で、その冷酷な眼差しを光らせていた。身に纏った外套が、風にはためいている。全身黒ずくめの彼の体貌は、周りの光景に溶け込むこともなく、より異様さを助長していた。

「このような瑣末な場所、我が直々に手を下さなくとも、貴様共で如何様にもなったのではないのか」

 マユルは、足元に手をついてひれ伏す自分の手下に一瞥をくれ、冷淡に言い放った。

「ご尽力、感謝いたします、マユル様」

 マユルの言葉を、肯定も否定もせず、手下は答えた。そうするのが一番得策だと、彼は考えたのだ。煤で汚れた彼の腕が、小刻みに震えている。心は恐怖で支配され、一挙一動が自分の生死を左右すると考えているのだ。

 風が吹く。周りの惨状に目を瞑れば、爽やかな薫風であった。しかしその風が人の鼻腔を撫でたとき、嗅覚を通り抜けるのは、あらゆるものが焼け焦げた、戦場の匂いだ。かつて集落のあったそこは、見晴らしの良い焼け野原となっていた。

(いつまでこんなことを……)

 かつては家だったものの瓦礫の山を見つめながら、マユルは考えていた。倒しても倒しても、焼暴士と名乗る人間共は、蛆の如くどこからでも湧いてくる。何も知らぬ愚かな奴等は、エマティノスなどという組織の兇漢共に唆され、自分たちが正義だと信じてやまない。人間は、自分がしていることを正しいと思い込み、それに相反するものを見ると、徹底的に糾弾したがる生き物だ。焼暴士の奴らは、エマティノスのいうことが全て正しいと思い込み、それに倣う自分たちも、等しく正しく生きていると思い込んでいる。

 ラヨルは敵だ。自分たちを滅ぼそうと襲ってくる、諸悪の根源だ。ラヨルから民衆を守るために、我々は命を賭してでも、奴らを根絶やしにしなければならない。

 一体いつから、人間たちはその思索に囚われてしまったのだろう。そもそも誰が、言い出したのだろう。

 ラヨルと人間の対立は、マユルがこの世に産まれるより遥か昔から繰り広げられてきたものだと聞いている。今からおよそ千年前に、この国は一度、大きな文明が滅んでいる。厳密にいえば、この国だけではない。惑星規模での滅亡だ。ヴェルチが好んで読んでいた古い文献によれば、最初は国同士の小さな小競り合いであった。その火種が、それぞれの同盟国にまで広がり、やがて世界中を巻き込む業火のような戦争となった。多くの民が犠牲となり、戦いに駆り出された軍人たちは、その戦禍の中に、命を落としていった。とどめをさしたのは、人間たちが自ら作り出した兵器だった。各地で同じ兵器が連鎖的に使用され、人々は瞬く間に自分たちの世界を、破滅に追いやった。という旨の文章が、その文献に書かれていたと、ヴェルチが教えてくれたことがある。

 人間は、絶滅したわけではない。世界が破滅してもなお、運が良かった一部の人間は生き残った。文明が滅んでも、彼らはその命を繋ぐため、懸命にその時代を生きたのだ。世界は退化しても、人智はそのままに繋がれていった。同じ過ちを繰り返さないようにと、彼らは誓い合って、手を取り合ったのだろうか。だとしたら、もう見ることの叶わない、当時の人間たちの思いは何処へ散っていったのか。我らは、ラヨルの民と一括りにされ、目の敵にされている。そして我らに牙を向けるように仕向けられた者たちは、焼暴士と一括りにされ、我らを始末することにしか、生きる価値を見出せていない。

 何も知らぬ、愚か者共め。

 マユルの脳裏に、タスクと対峙した、二ヶ月前の戦闘の光景が蘇ってきた。

(タスクは……、兄ちゃんは、おれのことを全く分かっていないようだった。おれをラヨルの長だと、はなから敵対視し、語る間すら与えず、その拳をふるってきた)

 マユルがラヨルの長であるということは、紛れもない事実ではあるから、タスクがそうなるのは仕方のないことだった。あのとき、タスクの拳は、確かにマユルの心に届いていた。直接会えば分かり合えるかもしれないと思っていた一抹の希望を、その拳は容赦無く打ち砕いたのだから。

 ラヨルの長として、マユルが敗北するわけにはいかなかった。だから、兄弟を攻撃しなければならない現実から目を逸らし、マユルは体術で兄を翻弄させた。焼暴士になるために、まだ修行の身であった兄の技量は、拍子抜けするくらいに未熟であった。これが兄でなかったら、マユルはとうにノーラの炎でタスクを焼き尽くしていただろう。

 だがタスクは、格闘の技量はなくとも、何度も何度もマユルに立ち向かってきた。必死だったのだろう。目の前に、ラヨルの長が現れた。これはやつの首を討つ、またとない好機だと、考えていたのかもしれない。タスクの体が、自分の攻撃で傷ついていき、苦しそうな表情を向けられるたびに、マユルの心はじくりと痛んだ。タスクは、マユルの攻撃に押され、幾度となく地に倒れ伏し、それでも歯を食いしばって立ち上がってくる。

(もう、立ち上がってくるなよ……)

 もうこれ以上、兄を傷つけたくはなかったが、ラヨルの長としての立場から、まもなく焼暴士になるであろう者を、みすみす見逃すわけにはいかなかった。

 ここで完膚なきまでに叩きのめして、心を折ってやれば、あるいは……。

 マユルは一縷の望みに賭けた。タスクが、自分の弱さに打ちひしがれ、ラヨルの長など、到底倒すことのできない存在なのだと認識し、焼暴士として生きる道を諦めてくれないかと。ここで闘いに敗れ、心も肉体もぼろぼろになり、戦線に立つ見込みがなくなればいい。

 だが、そうはならなかった。あの時、崖を滑り落ち、大怪我を負ったタスクは、心が折れるどころか、ラヨルに対する闘争心をより強く燃やして、バリウの村を旅立っていった。エマティノスに属し、焼暴士となるために。それが、彼の信じた正義だった。


「マユル様! マユル様!」

 手下の声が耳朶をかすめ、マユルは我に返った。手下どもが葬った焼暴士の亡骸が、地面に転がっている。かつては轟々と力を誇示していた彼らの肉体は、完全に弛緩し、血の海に沈んでいた。見開かれた骸の瞳に、ノーラの炎が影を落としている。機能を失ったその眼には、眼前の惨状が映ることはない。

「どうかされましたか?」

「……いや」

 手下の問いかけに、マユルはかぶりを振った。時折揺らいでしまう心情を、同胞に悟られてはならない。焼暴士を根絶やしにすべく戦地に赴くラヨルの誰よりも、おそらくマユルは生きてきた年月が少ない。それでも「長」という立場に身を置いている今は、所作も、それらしく立ち振る舞わねばならない。マユルの一挙一動が、一族の士気に直結するのだ。ゆえに、一族の頂が、私情に思考を左右されるわけにはいかない。

「此処の焼暴士は、すでに我々が葬った。バリウが滅び、此処、ユニの村も、その機能を失った。エマティノスにとっては、大打撃であろう」

「仰せの通りにございます」

 フードの奥のマユルの視線が、手下のそれとかち合う。手下は気まずそうに目を逸らし、頭を垂れてみせた。

 ヒノオ大陸の最西端にある、ユニと名付けられた村は、バリウと同じく、エマティノスが統治する村だった。これ以上、新たな焼暴士を増やさないために、マユルが考えたのは、バリウのような拠点を殲滅することであった。ヒノオ大陸は広い。焼暴士は、大陸中に満遍なく拠点を置いているが、バリウやユニのように、焼暴士とその一族しかおらず、エマティノスの統治下に置かれている拠点は、大陸に五つ存在していた。エマティノスの対応が、マユルたちの襲撃に追いついていなければ、残りの拠点は三つだ。それらを全て殲滅したとすれば、奴らにとって相当の打撃を与えることができるだろう。

「おい」

 マユルは、いまだに視線を地面に向けたままの手下に向かって、言葉を放った。

「はっ」

「次はタリーダを堕とす。手筈は解っているな」

「承知。直ちに、イェキヌの皆様と連絡をとり、タリーダに向かいます」

「ロスギュート、無事にタリーダの任務を遂行した暁には、貴様もイェキヌの一員に加えることを約束しよう」

 マユルに名を呼ばれた手下は、驚きのあまり目を見開いて、まじまじとマユルを見つめた。

「どうした、不服か?」

「い、いえ、ありがたきお言葉でございます。それに、マユル様が、わたくしのような末端の者の名前を覚えてくださっているとは……。あぁっ、すみません、決して深い意味は……」

 ロスギュートは、マユルが自分をじっと見つめていることに気づいて、慌てて言葉を取り繕った。マユルは苦笑する。フードの奥深くに隠されたその表情は、目の前の手下に気づかれることはなかった。

 配下の者たちの名前や顔は、全て覚えている。今、生きている者たちも、戦禍の中に散っていった者たちも、だ。あまり関わりがなくとも、みんな、自分の目的を達成するために、身を挺してくれている者たちだ。彼らを統括するうえで、名を覚えておくことは、至極当然のことだと、マユルは考えている。

 イェキヌ。それは、ラヨルの民の中でも、最もマユルに近しい立場にいる者たちの総称だ。戦闘面に秀でている者、知略に長けている者、それらは劣っていても、従順に任務をこなす者。ラヨルの民のなかでも特に優秀な人材を、マユル直々に選出し、側近として置いているのだ。ヴェルチとデューザも、イェキヌの一員であった。ヴェルチは、戦闘技術は皆無に等しいものの、頭が良く、マユルの手となり足となって働いてくれている。デューザは、傲慢な性格に目を瞑れば、戦闘面では他の誰よりも能力に秀でていた。ノーラの炎で作り出した火球を操り、相手を翻弄する戦法を得意としていた。遠距離からでも相手を攻撃できるそれは、立ち向かう者にとっては、厄介な代物であっただろう。

 だが、彼は驕っていた。その傲慢な性格が災いして、自身を破滅へと追いやった。おそらくは、バリウの襲撃の手柄を、独り占めにしようと企んでいたのだろう。バリウの村に到着する寸前に、デューザは仲間であるはずのヴェルチを排除しようとした。結果からいえば、ヴェルチは死なずに済み、彼はデューザに刺されたことで、タスクたちに取り入るための口実を作り出せたのだが。さらに、デューザは、タスクやフィルトの実力すらも侮っていた。確かにこの二人だけがデューザの相手だったとしたら、敗北を喫することはなかっただろう。しかし、彼らには、リーレンという優秀な助っ人がついていた。デューザにとっては想定外の人物ではあったが、それでも彼らを侮ることなく闘っていれば、あるいは勝てたかもしれない。自らを振起させるための矜持と、根拠のない傲慢は別物だ。後者は時として、自分の身を滅ぼす動因となることに気づくものは少ない。

「ヒヒヒ、マユル、また、手下たちの前でカッコつけてたのか?」

 ロスギュートを見送ったあと、自らの拠点に戻ったマユルを迎えたのは、カンテラの中で蠢いている、紫色の蜥蜴だった。

「うっせえなあ! 潰すぞ!」

「お? おいらにそんな口を利いていいのか? そんな生意気なやつは、おまえの守りたいもんを、全部ぶっ壊してやってもいいんだぞ」

 軽口を叩きあうほどに気心の知れた仲というわけではないようだが、マユルはどこか気を楽にしているような表情になっていた。外に出たときは外すことのなかったフードを外し、素顔を晒している。顔立ちはやはり、兄であるタスクによく似ている。もしも二人の立場を知らずに、互いの顔を見比べた者が現れたとしたら、彼らが兄弟であることに違和感は抱かないであろう。

「冗談でも、そんなことは言うなよ……」

 マユルは、決して手下共には見せることのない、弱々しい声で、そう言った。ホミはにんまりと口角をあげて、細長い舌をチロチロと出してみせた。

「案外、冗談じゃなかったりして」

 ホミという蜥蜴の形をした生き物は、性格が悪い。自分の立場をよく弁えているから、自分がいなくなると、マユルたちが困ることを知っている。いや、困るなどと、易々と表現できぬようなことが、起こるのだ。

 焼暴士たちは、イホミ・モトイニを破壊すれば、ラヨルの民は力を失い、自分たちの世界が平和になると盲信している。エマティノスがそう提唱しているからだ。奴らは、自分たちが属している組織の頂に立つ者が、この世界で一番正しいのだと信じきっている。イホミ・モトイニの正体が、カンテラに閉じ込められている紫色の蜥蜴とも知らず、そして、イホミ・モトイニがこの世界においてどんな役割を担っているのかも理解せずに、ただ言われるがままに、それを破壊しようとしている。

「守らなくちゃ、いけないんだ。……世界の全てがおれの敵になったとしても、おまえを……」

 マユルは言葉を噛み締めるようにつぶやいた。ホミは、ふうんと、言葉を返す。「おいらは別に、どっちでもいいんだけどな」

「どっちでもいいなら、おまえは黙ってろよ。その生意気な減らず口を聞くだけで、反吐が出そうになるんだ」

「情緒不安定な、反抗期の坊ちゃんは、怖いねえ」

 声色から察するに、ホミはちっとも怖いと思っていないようだ。自分の方が明らかに優位に立っているその余裕からみるに、目の前にいる少年は、自分に危害は加えないと鷹を括っているのだろう。

「なんとでも言ってろよ」

 マユルはそう言って、再びフードを目深に被った。ホミに背を向けて、部屋を出て行こうとする。

「おーい、おいらを置いて、どこにいくんだよ」

「おまえを外に連れていくつもりなんて毛頭ない。……おれはリベジャリに行く。兄ちゃんに付き纏っている、ランロイの故郷だ。あそこを焼き払って、そいつの精神をぶっ壊してやる」

「……逆効果だと思うけどなあ」

 蜥蜴の煽りは、マユルの耳には届かなかった。ラヨルの長だと、周りからどれだけ持て囃されようとも、中身はまだ幼い少年なのだ。彼もまた、自分の行いは正しいと驕っている者のひとりに過ぎない。そして残念なことに、彼の行動を咎める者は身近に存在しない。


 数日後、ヒノオ大陸随一の漁師の町は、マユルの手によって、消し炭となった。リベジャリは、リーレンがランロイになったこと以外を除けば、焼暴士ともランロイとも、何の関係もない場所であった。そんな町が、ラヨルの長が直々に手を下したという事実は、瞬く間に大陸を駆け巡り、より一層、ラヨルに対する民衆の風評は、朽木糞牆の如く悪くなっていくのであった。

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