第二章⑮

 9


「うわおっ!オマエら、突然現れんなよ、ビビっただろ!」

 さっきまで何もなかった空間に、突如として現れたタスクとフィルトの姿に驚いて、リーレンは声を張り上げた。カチャリと鎧の音がして、ミュウキが動いたのが分かる。

「とかなんとかいって、コイツらが無事に戻ってきたことに安心してんだろ」

 心を見透かしたかのようなミュウキの発言に、リーレンの頬がカッと熱くなった。

「うるせえ! そんなんじゃねえ!」

 照れを隠すために声高に叫んだが、自分でも分かるくらいに無駄な足掻きであった。

「た、ただいま。イロクさんとの話が終わって、『君たちを元の場所に還してあげよう』って言われて、気づいたらここにいたんだ」

 タスクがおずおずと言う。一同は彼が胸や腹を赤く染め上げるほどに流血しているさまにぎょっとしたが、見た目ほど深刻そうな状態ではないことに気づくと、安心した。

「なんか、試練? みたいなので鼻を殴られて、折れちゃったみたいだ」

 みんなの視線に気づいたタスクが、弁明する。仕方ねえなあと、リーレンはぼやくように言ったあと、掌でタスクの鼻を覆い、治癒の呪文を唱えてみせた。目を丸めていたタスクだったが、心地よく、暖かい何かに包まれたような感覚が患部にはしったあと、鈍痛がすっかり消え去っていくのを感じた。

「ありがとう」

「で、何があったんだ?」

 タスクの礼をスルーして、リーレンが尋ねた。タスクとフィルトは、二人で顔を見合わせると、リーレンたちと離れたあとに、自分たちに起こった出来事を話し始めた。


「デューザ様が?」

 話が、焼暴士の試練の途中、デューザとの再戦の内容に差し掛かったとき、それまでこくこくと頷きながらも、無言で話を聞いているだけだったヴェルチが口を挟んできた。

「……あの方は、タスク様たちに討ち取られたはずでは……」

「ああ」と、タスクは頷いた。バリウの村を焼き払い、タスクたちの一族を葬り去ったあの男は、確かに自分たちの手で倒したはずだ。それなのに、再び敵として立ちはだかり、闘うことになった。

 エマティノスの塔の中で、デューザの姿を確認した時から、不思議に思っていた。なぜ、彼がここにいたのか。その疑問は、ミュウキが解いてくれた。

「聞いたことがあるぜ。おまえたち焼暴士が、この塔で突破しなければならない試練。その中に、挑戦者がそれまでの間で最も因縁のある何かを模したものと、闘わなくちゃならねえ試練があるって」

「じゃあ、俺たちはデューザを……」

 それほどに、俺たちはやつを恨んでいたのか。タスクは少し俯いて、両の拳をぎゅっと握りしめた。

 デューザは、バリウの村を襲撃し、村人諸共壊滅させた張本人だ。おそらくはヴェルチもその襲撃に加わるよう、命じられていたのだろう。だが、ヴェルチは途中で怖気付き、任務から離脱した。成ればデューザは単独でバリウを滅ぼしたといえよう。

 恨むには打ってつけの相手だ。仮にやつがしぶとく生き延び、タスクたちの前に何度立ちはだかったとしても、その敵愾心がおさまることはないだろう。今だってタスクの心は、沸々と怒りで煮えたぎっている。

 タスクはその時初めて、実感した。マユルとの闘いに敗れてから、色々なことが怒濤の如く押し寄せてきて、現実に心が追いついていなかった。それが一段落ついて、自分の心情に向き合う機会ができたとき、抱いていた感情の大きさに、驚いたのだ。

 恨むべき相手は、もういない。だが、その元凶はまだこの世界に蔓延っている。ラヨルの民を滅ぼさなければ、第二、第三のバリウの村が出てくる可能性がある。誰かが阻止せねば、ラヨルの猛攻はとどまる事をしらないだろう。この世界で焼暴士として生きる者たちは、そんなことは全て承知の上だ。おそらく誰もが、自分がラヨルの長を討ち取り、この闘いを終わらせるのだと息巻いている。たとえ、刺し違えてでも、だ。


 その時、どこからともなく、ガシャガシャと鎧の音が近づいてきて、ミュウキと同じ格好をした衛兵が、姿を現した。

「おお、おまえ、ここにいたか」

 衛兵は、ミュウキを見るなりそう言って、彼に耳打ちをした。衛兵からの言葉を聞いたミュウキの表情が、次第に強張り、衛兵が話し終えると「承知した」と短く答え、タスクたちに向き直った。

「イロク様が、俺をお呼びだそうだ。……じゃあ、お前たちとはここでお別れだな。健闘を祈る」

「ああ、色々助かったぜ。ありがとな」

 リーレンが、ミュウキの手をとり、握手をする。意外にも義理堅い。タスクやフィルトも「ありがとう」と続ける。ヴェルチは言葉が咄嗟に出てこなかったのか、二人に続いて、慌てたようにぺこりと頭を下げた。

 足早にミュウキが去った後、残された衛兵は、タスクたちに視線を向けた。

「貴様共が、本日、新たに任命された焼暴士か」

「はい」

 タスクとフィルトは示し合わせたかのように、横並びに立ち位置を変えてみせた。衛兵は、鋭い視線をしばらく二人に向けていたが、やがて納得したのか、ふうっと小さく息を吐き、「明日の出立に備え、今宵はここで体を休めるといい。特にお前、その汚れた体をなんとかしろ」と、タスクの体を見ながら言った。

 衛兵に連れられて、タスクたちはエマティノスの塔を昇っていった。塔の中腹あたりだろうか、幾層にも連なる階段の途中にある踊り場から奥に続く通路を歩き、やがてひとつの部屋に通された。

「ここは貴様共、焼暴士が体を休め、戦闘に備えるための部屋だ。限られた時間ではあるが、しばしの休息をとるがよい」

「あ、ありがとうございます。……あ、あの」

「なんだ」

 タスクの問いかけに、衛兵は眉をひそめてみせた。

「俺たち、その、あまりエマティノスについて、学んでいなくて……。あなたたちは、兵士のような格好をしているけど、どういう仕事をしているんですか?」

 衛兵は、一瞬、憐れみのこもったような眼差しをタスクに向けたが、すぐに表情を取り繕い、口を開いた。

「我々は、エマティノスを、内側から守る役割を担っている。組織の秩序を守り、不条理を遠ざけるために邁進している。それは時に組織の兵士として、剣をとることを指し、時に、貴様共焼暴士が、ラヨルとの闘いに専念出来るよう、環境を整えることを指す」

「ネイヨム」

 リーレンが呟いた。聞きなれない言葉に、タスクとフィルトは首を傾げる。

「聞いたことあるぜ、エマティノスを実質的に支えている役職のことだろ」

「いかにも」

 衛兵が答える。

「おまえたち焼暴士と、おれたちランロイはヒノオ大陸の各地の戦場で闘う。エマティノスという組織は、この国の焼暴士やランロイを統括するために作られたもので、ネイヨムはその組織の潤滑油のように立ち回るやつらのことだ」

 また知らないことが出てきたと、タスクは歯噛みした。今度ばかりは、心の中に湧いてきた不信感を拭うことはできなかった。

 コトは、何も教えてくれていない。

 村で修行をしていたとき、彼女から教わったのは、イョウラの体術だけだった。座学もそれに関するものばかりで、自分たちが焼暴士となってから、どう生きていくのか、また、何がどのように関わってくるのかなどといったことは、ひとつとして教わっていない。ただ自分たちはラヨルの民と闘うために強くなろうとしている。ラヨルは忌むべき存在だ。必ずや、奴らを根絶やしにせねばならないと、そればかりを漠然と教えられていた気がする。

 体を鍛えることだけに特化した教育を行い、その他は戦場に赴いてから身につけていくスキルだと、コトが意図的に教えてくれなかったのか、それとも教えるつもりではあったが、村が襲撃され、コトを含めた村人たちが命を落としたために、タスクたちに伝えられなかったのか。今となっては確かめる術もない。

「では、他になければ、私はこれにて失礼する」

 しばらくの沈黙を話の終わりだと解釈したのか、ネイヨムの男はそう言ったあと、タスクたちの返事も待たずに、きびきびと持ち場へと戻っていった。

 部屋の中にいるのは、タスク、フィルト、リーレン、ヴェルチの四人だけとなり、緊張もほぐれた一同は、そこで初めて、部屋の様子を確認することができた。

 足元には、心地のよい絨毯が敷かれている。ふんわりとした生地が足裏を包み込む。疲れた体では、この上に横たわるだけでも、充分に眠られそうだ。

 エマティノスは、闘いの狭間に訪れる焼暴士たちの休息が充実するよう、その設備も完備しているようだ。部屋の中央には、寝台が四つ並んでおり、清潔そうな純白の敷布に包まれた布団が広がっている。奥の突き当たりには、格子ガラスがはまった扉があり、便所や浴場などの水回りが備わっているようだ。

 ようやく、体の汚れを落とせる。イロクの術によって、怪我はすっかり治っていたが、体中に流れ落ちた血痕を洗うには、やはり風呂に入るしかなかった。

 タスクは、フィルトと共に、浴場に足を踏み入れた。

 中は、二人が想像していたものより、ずっと豪華な内装だった。フィルトの足よりも大きく、形もばらばらな、灰色の石が、床にも壁にも敷き詰められている。もうもうとたちのぼる湯気が、疲れ果てた二人の体を包み込む。浴室の奥には、二人で入っても泳げそうなほどに広い湯舟が完備されているさまは、さながら温泉のようだった。

「うっひょ〜! すっげえなあ!」

 フィルトが感嘆の声をあげる。久しぶりに高揚した気分になる。バリウを旅立って以来、ずっと気が張り詰めたままだった。心地よい湯気に包まれて、その緊張も次第にほぐれていくようだ。

「うん、こんな風呂、今まで入ったことないや」

 タスクが頷く。バリウの村では、鍛錬が終わった後、簡素な水場で汗を落とすことがほとんどだった。誰かがそう言ったわけではないが、肉体的にも技術的にも未熟な修行の身である自分たちが、環境の整った風呂に入るなど、贅沢極まりないと思わせる雰囲気があったのだ。

 洗い場に備え付けてあった灌水装置の蛇口を捻ると、蛇管の先にある散水版から、勢いよくお湯が出てきた。体温よりも少し熱いそれは、タスクの体についていた汗や血痕をすぐに洗い流してくれた。


「なあ、タスク」

 タスクとフィルトが二人肩を並べて、湯船に浸かっていた時だった。正面を向いたまま、フィルトが呼びかけてきた。

「なあに」

 タスクは、間延びした口調で答える。湯に浸かるという行為は、想像以上の心地よさであった。自分の何もかもが弛緩して、張り詰めていた精神が、ゆっくりとほぐれていくようだ。

「オレたち、これからどうなっちまうんだろうな」

 フィルトもどうやら、力を抜いているようだ。ふーっとゆっくり息を吐き、湯を掬い顔を洗う。

「どうって……」

 いくら今が落ち着いた状況だといっても、いずれ終わりはやってくる。また、闘いのさなかに身を落とし、死と隣り合わせの環境の中に過ごさねばならない。

「知らないことがいっぱいだった。オレたちは村で修行に明け暮れていただけで、世界のことなんざ、何もわかっちゃいなかった。師匠に言われるがままにただ体を鍛えてただけで、オレたちはラヨルに太刀打ちできると思い込んでいた」

「それが大きな間違いだった」

 タスクが答える。

「ああ。師匠は、何も教えちゃくれなかった。元々教えてくれるつもりなんてなかったのか、もし、バリウがあんなことならなかったら、おいおい教えてくれるつもりだったのか、師匠が死んじまった今となれば、何もわからねえ」

「でも、教えてくれるつもりだったのなら、俺たちは旅立ちを促されることなく、まだもう少し村にいられたんじゃ……」

「そうだな」

 フィルトが頷く。あの日、コトはタスクたちに、ランロイのリーレンをあてがって、明日、村を発つようにと命じてきた。バリウでの修行は終わりだと。

「なあ、ちょっと思ったんだけど……」

 湯の心地良さに弛緩しきったタスクの脳内に、ある仮説が浮かぶ。

「師匠たちが、バリウがあの日、ラヨルの襲撃にあうって知ってたとしたら?」

 フィルトがばしゃんと大きな音をたてて、タスクの横顔を見た。自分の顔を撫でていた手のひらを、水面に打ちつけた音であった。

「嘘だろ、そんなことあり得るのかよ」

「わかんないよ。でも、可能性のひとつとしては、考えられるかなって」

 大人たちは隠し事が上手い。彼らがうまく隠し通した真実を、あとになって知ることはこれまでにもあった。タスクは水面に映る自分の顔を見つめながら、わかんないよと、もう一度呟いた。顎の先から、水滴がぽちゃんと水面に落ちる。

 フィルトは腕を組み、今しがたタスクが口にした仮説が立証できるのかを考えた。大人たちがあの日、村に何が起こるのかを知っていたとしたら。

 バリウの村は焼暴士を育成するための、エマティノスが統治する村だ。タスクとフィルトは、焼暴士のこれからを担う重要な人材であり、最も安全に村から逃がす必要があると、村の大人たちが考えていたのだとしたら、二人がラヨルの襲撃に見舞われることなく、村から出してやろうと画策していたのかもしれない。

 だとしても、だ。村にはタスクよりも若い子供たちもいた。焼暴士として活躍する者たちを少しでも多くこの世に残しておきたいなら、彼らも救うべきではなかったのか。それに、手練れの現役焼暴士の男たちは、村に何人も生活していた。にもかかわらず、タスクとフィルト以外の村人は全滅した。タスクたちが埋めた、黒焦げの人間だったものは、二人を差し引いた村人の数と一致していたのだ。

「でも、そうだとしたら、どうして襲撃があるのを知っていて、誰もデューザに勝てなかったんだよ。あいつは、せいぜいオレたちにやられるような実力だっただろ。リーレンの術がオレたちを助けてくれたとはいえ、そんなヤツがひとりで、バリウのみんなを殺せるとは思えねえよ」

 フィルトが言った同じことを、タスクも考えていた。現役の焼暴士たちは、今まで何度も死線をくぐり抜けてきた猛者たちだった。そんな彼らが全員、デューザたった一人にやられるとは考えにくい。

「まさか……」

 タスクは、自分の頭に浮かんだもう一つの仮説が、あながち間違いではないんじゃないだろうかと思い始めた。

 大人たちは襲撃の日を知っていた。だが、それよりも早く、デューザがバリウの襲撃にきたとしたら。

 奇襲。それは、不意を突いて敵を攻めることだ。言葉の意味に従うなら、バリウの村は、襲撃ではなく、奇襲に遭ったと表現するほうが、正しいのではないか。

「ほんとは、オレたちが村を出た日に、バリウは襲撃される予定だったかもしれねえってことか?」

 タスクが自論を述べたあと、フィルトは鼻の下をこすりながら、そう言った。タスクは頷く。

「俺はそう思う。師匠たちは、まず俺たちが襲撃に巻き込まれて怪我したり、死んだりしないように、村から逃がしておいて、残った者たちで闘うつもりだったんじゃないかな」

 だが、いくら備えていても、予期せぬ時に敵がくれば、柔軟に対応するのは至難の技だ。次の日に襲撃がくるのなら、今夜は大丈夫だろう。その過信が、バリウを最悪の結末に至らしめた。

 どれも、所詮はタスクの仮説にすぎない。生き残ったものがいない以上、確かめる術はない。

「いたたまれねえよな」

 フィルトがこぼした言葉は、湯の中にぽつりと落ちたかのように、儚く散っていった。

「だからこそ俺たちは、ラヨルを滅ぼさなきゃならない。絶対に、絶対だ。これから、俺たちの身に何が降りかかってくるのか、わからない。もしかしたら、死にそうになることだってあるかもしれない。だけど、負けちゃいけない。俺たちは、この体が動く限り、闘い続けなくちゃならないんだ」

 タスクは、真っ直ぐに前を見つめてそう言った。湯の中で、ぎゅっと拳を握りしめる。目の奥が熱くなる。湧き上がってくる憤怒と決意が、心を揺さぶる。

「俺たちは負けない。絶対に、だ」

「おう!」

 水飛沫をあげて、フィルトが立ち上がる。全身の筋肉の筋を、飛沫が勢いよく重力にならって落ちていく。タスクも同様に立ち上がった。

 休息は終わりだ。これから二人の前に立ちはだかるのは、修羅の道かもしれぬ。いつか、この道を歩もうと決意した今日の日を、後悔するときが来るやもしれぬ。

 それでも今はただ、突き動かす衝動に身を任せて、ただ突き進むのみだ。焼暴士となった彼らの姿態は、すでに戦士のそれであった。

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