第二章⑭

「ノーラは、ラヨルの民に継承されている、邪術だ。彼らはその術を使って、我々人間を滅ぼそうと画策している」

「ラヨルは人のかたちをしているけど、俺たちのような人間ではないってことですか?」

 タスクの問いに、イロクは首を横にふった。

「もとは、我々も、ラヨルも、同じ生きものであることには変わりない。しかしどこで道を違えたか、我々は争うようになったのだよ」

 思想の違う二つの民族の軋轢が、今のラヨルの民とタスクたち、ヒノオ人の対立をうんでいるのだろうかと、タスクは考えた。コトが座学で教えてくれていたのかもしれない。だが、タスクの記憶には、ラヨルの民と自分たちが争うようになった理由は刻み込まれていなかった。

 人々が争う理由。命を賭してまで、闘う理由。迫り来る脅威から、自分たちの生活を自衛するためか。ならば、生きる世界が脅かされないように、前線に立って闘うのが自分たちのさだめなのか。

『俺たちは、なぜ闘うんですか』

 タスクは喉までせり上がってきた言葉を、ぐっと飲み込んだ。イロクならばその疑問に答えてくれるかもしれない。あるいは彼の脇を固める衛兵たちに、今更何をほざいているのだと、きつく諫められるかもしれない。それよりも。

 その答えは、自分で探すのが最善だ。他人の言葉で着飾られた定言を聞いたところで、受け入れられるかどうかも分からない。自分たちの人生観に関わってくるであろう結論は、ちゃんと自分が納得できるかたちで迎え入れたい。

「我々、エマティノスが為すべきこととして掲げているのは、『イホミ・モトイニ』の破壊。それは知っているね」

「はい」

 あの時。キオヘの谷で、ラヨルの長、マユルと対峙した時。ともすればイホミ・モトイニを破壊できたかもしれない。自分がもっと強く、マユルと互角かそれ以上に闘える実力を兼ね備えていたとしたら。

 タスクはぎゅっと拳を握りしめた。あの時の悔しさが、マユルに弄ばれ、大怪我を負った時の痛みが、記憶の中に蘇ってくる。鼻腔の奥がつんと痛くなり、頭の内側から火照るような感覚が襲ってきた。

「イホミ・モトイニを破壊すれば、ラヨルの民は力を失い、闘いが終わると、師匠から習いました」

 今までだんまりを決め込んでいたフィルトが、急に口を開いたので、タスクはビクッと背筋を伸ばした。鼻血が唇のわずかな隙間から口腔内に流れ込んできて、むせ返りそうになったが、鉄の味がする液体を吐き出すわけにもいかず、そのままごくりと喉元に押しやった。

 イロクがゆっくりと頷く。彼の表情をみて、タスクは、典拠が不明の古い言葉を思い出した。目は口ほどに物を言う。イロクが何を考えているかは、到底計り知る事はできないが、その目を眺めていると、彼がタスクたち焼暴士のひとりひとりを、エマティノスの駒としか認識していないのではないかと憶断してしまう。

「エマティノスが創設されてから、我々はイホミ・モトイニの在処を探し続けている。数多の同胞たちの犠牲のうえに、我々は命を繋ぎ、生きながらえているが、その実、目的を果たせてはいない。私はどうにか、私の代で、この長きにわたる闘いを終わらせたいと、そう考えているよ」

「お、俺はっ!」

 イロクが言葉を切ったとき、タスクは衝動的に言葉を発していた。「少し前に、ラヨルの長、マユルと闘いました! あいつはとても強くて、俺はぼこぼこにやられたけど、この目で、マユルの姿を見ました!」

 イロクの目が、その時初めてタスクを捉えた……ような気がした。

「君が?」

 彼の短い問いかけに、タスクはこくりと頷いた。イロクの顔をじっと見つめていると、彼の表情が俄かに綻んだのがわかった。

「そうかそうか、それは素晴らしい」

 イロクが拍手をする。しばらく、彼が手を打つ音だけが空間に響き渡り、その音に応じて、タスクの胸の鼓動が早くなった。

 まさか俺は、自分でも気づかないうちに、凄いことでもしていたのだろうか。

 タスクの脳裏によぎる疑問。ラヨルの長、マユルと対峙したことが、そんなにも凄いことなのか。あの闘いでタスクがマユルを倒していたならば、あるいは偉業を成し遂げたと賞賛されたかもしれない。だが、タスクは敗れたのだ。完膚なきまでに叩きのめされたのだ。肉体も、精神も。かすり傷ひとつ、与えられなかった。それなのに「素晴らしい」と称された。

 肩甲骨のあたりから、背中を伝って汗が流れ落ちていく。タスクの心に芽生えたのは、耐え難い屈辱の感情だった。目を伏せ、じっと自分の足元を見つめても、それは汗のように容易く流れ落ちていってはくれなかった。


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