第二章⑨


「あ、あのお……タスク様たちは、ご無事なんでしょうか」

 タスクとフィルトが扉の向こうに姿を消してからどれくらい経っただろうか。沈黙を破ったのは、ヴェルチのか細い囁きだった。

 リーレンは扉の前にどかりと腰をおろし、足を投げ出している。ミュウキはリーレンと向かい合わせになり、壁に背をもたせかけている。ヴェルチはその二人の間に立ち尽くしていた。

「あいつらがうまくやれば、無事に帰って来れるんだろ。帰って来なけりゃ、ここでくたばったってことさ。そうすりゃあ、おれは別の焼暴士と戦いの場に行くことになるだろうよ」

 軽い口調でリーレンは言ったが、この場の誰よりも、タスクたちの無事を祈っているのは、誰あろう、彼自身であった。バリウで初めて二人に出会ってから、彼らと行動を共にするにつれ、知らず知らずのうちに情が移ったのだ。才に長けているとはいえリーレン自身も、焼暴士と共に戦地に赴くのは、初めてなのだ。同期として、これから共に切磋琢磨し合うことを楽しみにしている。

「おい、ミュウキとか言ったな」

 リーレンはふと顔をあげ、ミュウキと目を合わせた。

「なんだ?」

「おまえはなんでおれたちの相手をしている? 鎧を身に纏っているなら、おまえは傭兵か何かなんじゃないのか? 持ち場に着かなくていいのかよ」

 ハハッとミュウキは笑った。

「生憎、俺はいま、命じられた仕事をこなしているんだよ」

 彼が言うことには、ミュウキの普段の仕事は、指定された場所の護衛であるという。リーレンが察した通り、彼は傭兵の一人として、この塔を牛耳る組織に勤めている。組織とはつまり、焼暴士とランロイの連合だ。

「組織の名は『エマティノス』という。古い言語をそのまま使った安直な名前だってよ」

 リーレンは、それが彼の師が時折口にしていた言葉だと気づいた。師匠は確かに言っていた。お前もランロイとして生きていくならば、幾度となく聞くことになるであろう名だ、と。

 ヴェルチが何かを言いたげに口を開いたが、ハッとしたようにミュウキの顔を見て、口を閉ざした。そしてリーレンのそばに歩み寄り、耳元で「僕も、聞いたことがある名前です」と耳打ちをした。

(おいおい、おれも、あいつらを馬鹿にできねえじゃねえか)

 リーレンは、己の無知に気づく。エマティノスという単語を聞いたことはあっても、それが何かを知らなかった。思えば、師匠との稽古の中で、座学は性に合わず、疎かにしていたということもあった。ランロイの術の呪文を操り、一通りの体術をこなせれば、世渡りなど容易いと高を括っていた。それまで生きてきた環境が変わり、世界が広がったとき、自分が無知であればあるほど、目の当たりにした現実に戸惑い、狼狽える。久しぶりの感覚だった。途端にリーレンは、右の脇腹が疼いた気がして、こっそりと視線を落とし、胴着の隙間から疼いた箇所を盗み見た。無論、怪我などはしておらず、引き締まった皮膚の上に、かつて自分で縫い合わせた古傷があっただけだった。

タスクやフィルトに、傷口を塞ぐ呪文、ノウロウをかけたとき、リーレンは「失敗したことはねえけどな」と言ったが、あれは二人を安堵させるための方便であった。過去に一度だけ、呪文を唱え、傷口をなぞった時に、手が震えてしくじったことがある。脇腹の傷は、その時に出来たものだった。

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