第二章⑤

 タスクは、自分の足元に散らばった結晶の残骸を観察していた。二人の攻撃によって粉々になったそれは、光を失い、ただの欠片のように散在している。しゃがみこみ、そのひとつに手で触れてみると、尖ったガラスのような感触が手に伝わった。

「強力な呪文がかけられていたんだろうな。侵入者を感知して、排除するためのものだろう。生身の人間を配置するのではなく、石像にその呪文をかけることによって、万が一厄介なやつが入ってきたとしても、まずは人間が犠牲になることはない」

 しゃがんだまま、背中を丸めて散らばる欠片を眺め続けていたタスクに、リーレンはそう言った。「呪文をかけたランロイには悪いが、これでおれたちは、塔に登ることができるはずだ。さっさと行こうぜ」

「わかった」

 手のひらにのせていた欠片をもう一度地面に置いて、タスクは立ち上がった。手を握ったり開いたりを繰り返して、まだ拳に力が入ることを確かめる。こんなところでくたばっていては、ラヨルの長、マユルを倒すことなど机上の空論にすぎない。いくぞ! と声を張り、彼は先頭に立って歩きはじめた。

 今度は階段を踏んでも、吹きとばされることもなく、昇ることができた。

「おまえら、なんでこの塔の仕組みを知らねえんだよ」

 ヴェルチの後に続いて、一番後ろからタスクを追ってくるリーレンが、声を張った。

「師匠は多分、オレたちがバリウを出発するときに、教えてくれるつもりだったんだと思う。でも無理だった。オレたちはバリウで修行をしていたけど、焼暴士の仕組みだとか、そういうのは、何も聞かされていないんだ」

 フィルトの解答に、リーレンは首を傾げた。

「なんかおかしくねえか? いや、別におれはおまえらがやってきたことを否定したいわけじゃないんだけどさ、なんつうか、何も教えられないまま、ただ闘うために体を鍛えろだの、強くなれだのって言われても、おれだったら納得いかねえけどな」

 タスクとフィルトは、黙ってしまった。今まで、そんなことを考えたことがなかったからだ。普通だと思っていた。自分たちの身を守るために、ラヨルの民と闘うこと。そのために、イョウラという武術を学び、体を鍛え、研ぎ澄ますこと。いずれは焼暴士として、戦地に赴くこと。それがバリウの村で育った二人の全てであり、人生であると。

 焼暴士になるにはどうしたらいいとか、村を出た後のことなどは、全て自分たちの武術が一人前だと認められてから、教えを乞うもの、もしくは自身で切り拓いていくものだと、漠然と考えていたのだ。

 バリウで修行をしていた時の二人の行動範囲は、せいぜいキオウ渓谷までだった。その先に広がる世界のことなど、地図上の文字だけの存在であった。

「リーレンは、ランロイの何たるかを、教えてもらったのか?」

 タスクは階段の途中で立ち止まり、振り返ると、眼下のリーレンに、ぶっきらぼうに言葉を投げた。自分たちが過ごしていた狭い世界以上のことを何も知らない自分と、既に自分よりは博識であろうリーレンを比べて、心がちくりと痛んだのだ。

「ああ。おれの師は二ヶ月ほど前に亡くなっちまったけど、それまでに、大体のことは学んであるぜ。そうでなきゃ、今おれはここにはいねえよ」

 それとなく予想していた通りの答えが返ってきて、タスクの心のモヤモヤが余計に膨れあがった。まだまだ自分が未熟なことは、痛いほどにわかっている。分かっているけれども、リーレンと自分を比べたときに感じる実力の差は、より自分を惨めに感じさせるものだった。

 タスクは何も言わずに、階段を昇った。ひとたび口を開けば、行き場のない怒りがとめどなく溢れ出しそうだったからだ。先ほどの石像との戦闘も、リーレンの優れた判断能力がなければ、いまだに闘い続けていたかもしれない。効果のない攻撃を延々と繰り出し続け、体力が尽きて自滅することは想像に容易い。

 上の階に着くと、一気に汗と血の匂いがきつくなった。踊り場の向こうに通路が続き、扉のない部屋の入口が見えた。

 タスクたちはなるべく鼻から息を吸わないように努めながら、その場所へと歩いていった。四人で顔を見合わせて、誰からともなく入口から部屋の中を覗き込む。

「うっ……」

 タスクが呻いた。視界に飛び込んできたのは、思わず目を覆いたくなるような光景だった。ビクリと体を震わせ、タスクは込み上げてくるものを飲み込んだ。

 手負いの焼暴士の男たちが、地面に筵を敷いた上に寝かされていた。両の手では数え切れない人数だ。誰もが、乱雑に放り出されていることは、一目見ただけで分かった。

「ひでえな……」

 声の方を向くと、リーレンも眉間に皺を寄せて、目の前に広がった惨たらしい光景を見ていた。投げ出された男たちの肢体は、どの焼暴士も激しく傷ついていた。今もなお、傷口から溢れ出る血が、彼らの体を染めあげている。中には手足が欠損していたり、体が焼け焦げて炭化している者もいた。どこからともなく聞こえてくる、ヒューヒューという呼吸音は、いわゆる虫の息というものだろう。この部屋に連れてこられた焼暴士は、どれもラヨルとの闘いで負傷し、瀕死の状態で運ばれてきた者たちだった。ランロイの術では回復が間に合わない、おそらくは、迫る死を待つだけの男たちであろう。

「いくら闘いに負けたとはいえ、扱いが酷すぎないか?」

 フィルトの言葉は、四人全員の気持ちを代弁したものであった。せめて寝台に寝かせるとか、止血をしてやるとか、いくらでもやりようはあるだろと、彼は怒りをあらわにして続けた。

「ランロイもいるぜ」

 リーレンが顎でしゃくった先を見ると、焼暴士とは違った服装の者たちが複数人、横たわっていた。引き締まった肉体をさらけ出しているリーレンとは違い、彼らは衣服を纏っていた。その布地に自身の血液が染み込み、元の色もわからないほどに変色していた。

「おれたちも、闘いに負けて再起不能になっちまったら、こんな扱いを受けるってわけか」

 タスクはリーレンの言葉を聞いて、胃が縮こまるような感覚に陥った。少なくとも、バリウの焼暴士たちは、こんな目には遭っていなかった。怪我が治るまで手当てをし、また次の戦闘に拳を奮えるように、回復するまで村の者たちが面倒をみた。戦闘に参加できぬ状態になったとしても、焼暴士以外の人生を歩む方法があった。少なくとも、負傷した者たちの命を軽んじる行為は誰もはたらかなかった。

「安心しろ、タスク。おれがおまえを、こんな目には遭わせねえよ」

 あからさまに動揺を隠そうとしなかったタスクを見て、リーレンはそう言った。闘いの場においては、そんな言葉が永劫通用するものではない。リーレンがうまく立ち回っても、タスクが隙をとられ、致命傷を負ってしまえば、それまでだ。その逆も然りだ。戦場において、絶対はない。それでもタスクは、リーレンの言葉をありがたく受け取った。自信を見失っても、仲間がそれを埋め合わせてくれる。リーレンは心強い存在であり、疎むべき存在ではない。タスクはぐらりと揺らぎかけた自身の心を、なんとか自分で立て直した。


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