第二章①

 1


 廃屋の扉を開けた瞬間、タスクはその扉をもう一度閉めたくなった。視界に飛び込んできた光景に「うわあ!」と声を上げてしまった。リーレンとヴェルチがそれに反応して、タスクの方を見る。リーレンは「げっ」と言い、ヴェルチはごくりと喉を鳴らした。

 扉の外に、ニュートがいたのだ。彼も三人がここにいるとは思ってもいなかったようで、タスクと目が合うと、驚きに目を見開いた。街中を走り回っていたのだろうか、全身が汗で濡れ、立ち止まった途端にゲホゲホと大きく咳をした。

「やっと、見つけた、ぜ」

 今なら、疲弊しているニュートを振り切って逃げることも可能だが、タスクにはなぜかそれが出来なかった。

「おいお前ら、ちょっとは俺の話も聞いてくれよ」

 必死で息を整え、ニュートは言葉をこぼした。

「そのガキ、仮にラヨルだったとしても、お前らには理由があって、連れてるんだろ。その理由次第では、今回の件は不問にしてやるよ」

「ニュート兄ちゃん……」

 タスクは足元に視線を落とした。薄汚れた自分の足が目に入る。互いに腹を割って話せば、ニュートならわかってくれるだろうか。ヴェルチのことを、受け入れてくれるだろうか。ヴェルチを連れている理由も聞かず、突然腹に蹴りをいれてきたリヒツと比べれば、まだ耳を貸してくれそうだ。

「あ、あの」

「僕が話します」

 再び口を開きかけたタスクを遮って、ヴェルチが二人の間に割って入った。タスクは一歩下がり、ヴェルチに成り行きを任せることにした。

「ニュート様、お察しのとおり、僕はラヨルの民です。……いや、でしたと言うべきでしょうか」

 ヴェルチが言葉を切る。ニュートがまた驚きで目を見開いた。疑念が確信に変わったことに対する戸惑いと、やっと事実を知ることができたという安堵が、心の中で渦巻きはじめたのを感じた。

 ヴェルチはそうして、かつてタスク達に話したことと同じ内容の話を、ニュートに聞かせた。

「ニュート様たちから逃亡した僕は、タスク様とリーレン様にも協力いただき、僕がラヨルだという痕跡を消すことにいたしました」

 ヴェルチが貫頭衣の裾に手をかけ、ニュートに自分の背中を見せた。先程、ノーラの炎で焼いた背中だ。ノーラの紋章は爛れて消え、代わりに蜘蛛の形のような火傷跡が、小さな背中の大部分を占拠して、巣食っている。ニュートはそれを見て、「お前、それ、痛くねえのか」と、小声で聞いた。

「リーレン様の術のおかげで、痛みは全くありません」

 リーレンが誇らしげに胸を張る。

「タスク様に、旅に連れていってくれと頼んだのは、僕自身です。タスク様は何も悪くありません。僕の我儘を、タスク様、リーレン様、フィルト様は受け入れてくださったのです」

「こいつがラヨルだと分かっててか?」

 ニュートが視線をタスクに向ける。タスクはこくりと頷いた。

「ラヨルのことを信用したのか? こいつがお前たちを欺こうとしているとは考えなかったのか?」

「最初は疑ったよ。ヴェルチがバリウの生き残りの俺たちを始末するために、近づいてきたんじゃないかって。でも、ヴェルチの目を見て、こいつが嘘をついているとは思えなかった。だから、俺たちはヴェルチを受け入れたんだ。……それに」

 万が一、ヴェルチが裏切って闘いを挑んできても、俺は負けない。

 ニュートは、腕を組み、うーんと唸った。タスクが言い切ったのは、虚勢でも、この場を凌ぐための出まかせでもない。ヴェルチと名乗るこの幼子が、タスクたちに牙を剥いたとき、彼は本当に倒すつもりでいるのだろう。

 大人になるにつれ、人は人を疑うようになっていく。幼い頃は、すんなりと信じることだが来ていた事象も、まずは斜に構えてみるようになってしまう。それはときに、信じていたものが現実とはかけ離れたものであったことが判明したり、人の言葉を鵜呑みにして裏切られたり、さまざまな価値観で思考を固められたりするからだ。

 こいつらが俺たちの詰問に挫けることなく、ヴェルチと名乗るラヨルの想いを受け止めているのは、まだ無垢な子供だからだろうか。

 ニュートは、これ以上俺たちの邪魔をするなら、たとえお前でも許さないぞと言いたげに、自分を睨みつけているタスクの顔を見ながら、そんなことを考えていた。

 ヴェルチの真意はわからない。本当にヴェルチに敵意が無いのなら。疑えば疑うほど、ヴェルチの心から、自分達は遠ざかってしまう。バリウの森で、瀕死の状態に陥っていたヴェルチを、見捨てることは容易かったはずだ。彼の言葉に耳を貸さず、ただバリウを襲おうとしたラヨルの生き残りだと、手をかけることだって出来たはずだ。だが、タスク達はそうしなかった。ヴェルチの言葉に耳を傾け、受容し、彼の命を救ったのだ。そこには敵と味方の垣根など、存在しない。

「……わかった」

 長い沈黙の後、ニュートは折れた。タスク、お前がそこまで言うのなら、俺も、お前たちを信じてやるよ。

 完全に疑念が晴れたわけではない。焼暴士として、ラヨルの民と手を組んでいる者たちを見過ごすことに、迷いがないわけでもない。だけど、タスクとフィルトは、ニュートにとってかわいい弟分のような存在である。そんな彼らが、一筋たりとも言い分を曲げないのならば、自分もそれに乗ってやろう。

「ニュート兄ちゃん、ありがとう!」

 タスクは大喜びで、ニュートの胴体に飛びついた。ニュートとの再会を喜んだ先ほどよりも、感情を爆発させているようだった。ヴェルチがニュートに向かって、深々とお辞儀をする。リーレンもタスクの背を叩き、「良かったじゃねえか」と、微笑んだ。

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