第一章㉒
8
「デューザとヴェルチが、堕ちた」
ラヨルの長、マユルは、足元に平伏し、報告にきた配下に冷たい視線を投げかけた。黒衣のフードを脱いでおり、マユルの素顔があらわになっている。漆黒の前髪は短く切り揃えてあり、額から左頬にかけて、大きな傷跡がはしっている。瞳は赤く、鼻筋のとおった精悍な顔立ちをしている。ヴェルチと同じくらいの、幼い子供の姿をしているのは、彼がタスクの前に姿を現した時と同じであった。
大理石が敷き詰められた広間の最奥が、配下のいる床より二段高くなっており、中央にマユルの座る玉座が構えられていた。マユルの眼前には、白いベールが天井から垂れ下がっており、部下からはマユルの姿がはっきりとは見えない仕掛けになっている。
「それで? バリウはどうなった」
「はっ!」
配下は、しどろもどろになりながら、バリウの村は壊滅したこと、その廃村から、デューザの亡骸が見つかったこと、そしてヴェルチの行方がわかっていないことを報告した。
広間の壁際に、等間隔に設置されている、松明の灯りが揺れる。それに応じて、マユルと配下の影もゆらりと揺らめいた。
配下が話し終えた時だった。マユルが右腕をあげ、人差し指を部下に向けると、配下は突如、「うがあああ!!」と、苦しみ始めた。
「汝ははじめ、我にヴェルチは堕ちたと、報告しなかったか」
「さ、左様でございます」
ひいひいと涙声になりながら、配下は声を絞り出した。
「ならばなぜ、ヴェルチの亡骸は見つかっていない? 行方が分からないのなら、まだ生きている見込があるのではないか?」
「申し訳ございません、申し訳ございません! マユル様、どうか、お許しを!」
「汝は、命乞いをすることだけは一人前のようだな」
マユルが人差し指をくいと曲げると、配下は再び叫び声をあげた。手の甲を、マユルの指から放たれた光線が貫いたのだ。噴き出した血を、無事な方の手で必死で押さえ込むが、無駄な努力だった。みるみるうちに両手が、赤く染まっていく。
「汝は我に虚偽の報告をした。その報いを受けよ」
配下は全身に脂汗をかき、再び頭を床に擦り付けた。申し訳ございませんと、念仏のように何度も唱える。そうすれば手の激痛から逃れられると信じているかのように、何度も。
「名もなきラヨルの民よ。引き続き、ヴェルチの行方を捜索すると共に、焼暴士の殲滅に尽力せよ」
「ぎょ、御意ぃ!」
激痛で意識がとびそうになっていた配下は、もはや自棄になったかのように叫んだ。そうすればこれ以上、苦痛を与えられることはない。涙と鼻水と汗でぐちゃぐちゃになった顔を歪め、彼はただ時が過ぎるのを待った。
マユルが再び玉座に腰を下ろし、肘掛けに埋め込まれた赤く丸い鉱石を三度、指でなぞると、広間にガコンと機械音が鳴り響き、玉座の周りが円の形に隙間ができた。床がゆっくりと、地中に下がっていく。玉座を乗せた箇所を頂点とした円柱が、轟音と共に床下へ吸い込まれていく。配下の前から、マユルの姿が見えなくなり、それに伴って松明の灯りも消えた。しばらくは体を震わせていた配下だったが、あたりが暗闇に包まれ、また、無機質な寒さがおそってきたことを感じ、手を庇ったまま、広間を後にしたのだった。
「やるねえ、マユルくん。相変わらずの名演技だ」
玉座を乗せた円柱が広間の地下にある部屋の床に着床したとき、機械音が鳴り止み、どこからともなくマユルを小馬鹿にしたような声がした。マユルの他に、人は見当たらない。ただ、玉座が着床したすぐそばに、石造りの円卓があり、その上にカンテラが一つ置かれている。中に火は灯っておらず、紫色の蜥蜴が一匹、入っていた。マユルの手のひらにおさまりそうな、小さな体だ。
「うるさい!」
マユルの口調は、先程の配下に向けられた堅苦しいものではなく、見た目の年相応のそれになっていた。彼の赤い目が、蜥蜴をとらえる。カンテラの持ち手を引っ掴むと、それをぐらぐらと大きく揺らした。
「うわうわうわ、やめてくれ、やめて!」
言葉を発したのは、なんとカンテラの中の紫の蜥蜴だった。目が回るからやめろよと、蜥蜴は懇願した。「からかって悪かったよ、マユル!」
「こんなに揺らして、おいらが死んじまったら、どうするんだよ」
カンテラが再び円卓に置かれたとき、蜥蜴はもそもそと悪態をついた。
「大丈夫だ。おれは加減した」
「おいらは繊細なイキモノなんだぞっ! もっと丁重に扱えよな!」
「可愛がられたいのなら、その減らず口を閉じていればいいだろう」
「ガキのくせに粋がりやがって、うわっ! やめろ、ジョーダンだよジョーダン」
再びカンテラを手にしたマユルに、蜥蜴は大慌てで弁明した。マユルの手が離れると、蜥蜴は舌をチロチロと出して、自分の鼻を舐めた。
「ところでさ、前から思ってたんだけど」
マユルはカンテラに顔を近づけて、蜥蜴と同じ目線になった。一人と一匹の視線が、かちあう。
「なぁんだよ」
「おまえのこと、イホミ・モトイニって呼ぶのめんどくさいからさ、ホミって呼んでもいいか?」
「好きにすりゃいいさ。どうせおいらがダメだって言っても、そう呼ぶんだろ」
「よくわかってんじゃん」
その時、珍しい生き物を見て興奮した子供のように、マユルは笑った。しかし数秒足らずでその笑みは引っ込み、元の仏頂面に戻る。
「ヴェルチは生きていると思うか?」
「死んでたら、バリウに死体が転がってるだろ。現に、デューザのもんはあったんだろ」
「ああ」
ホミの問いかけに、マユルは小さく頷いた。玉座と円卓、ホミの入っているカンテラ、そして床の面積いっぱいに敷いてある深い緑色の絨毯以外は、物がない空間だった。それほど広くはない部屋だ。ホミのカンテラが灯火のように光源となっていて、室内は程よく明るく、周りははっきりと見渡すことができる。真鍮の取手がついた扉は、この部屋の入り口である。天井は高く、先程円柱が伸びていた箇所の穴は消えている。
「なあマユル、おいらも前から思っていたんだけど」
ホミがカンテラの中から、マユルを見上げた。
「実の兄弟を守るために、そいつの敵を演じなきゃいけない気持ちって、どんなんだい?」
マユルはホミに視線を落とし、すぐに逸らした。しばしの静寂が訪れる。その間にマユルはぎゅっと唇を噛み締め、何かを考えているようだった。ホミの問いかけの答えを表す、言葉を探しているのだろう。
「どんな手を使ってでも、おれはタスク兄ちゃんを守る。もう、後戻りはできないんだ。焼暴士と名乗る偽善者どもに、おれたちの命運は、握らせない」
マユルが円卓に拳を振り下ろした衝撃で、カンテラが飛び上がる。ホミは再び、舌で鼻を舐めた。
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