第一章㉑
7
「なかなかどうして、根性のある小僧だ」
フィルトが膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れ伏したのを見つめながら、リヒツはつぶやいた。砂埃が舞い、視界が茶色く霞む。
フィルトは白目を剥き、口の端から血や胃液の混ざった体液をとくとくと吐き出しながら、意識を手放していた。打撃を受けた全身の至るところに痣ができ、とても痛々しい様子であった。
「焼暴士が、どんな理由であれ、ラヨルと手を組んだとなると、前代未聞の一大事。私は、ただ真実を知りたかっただけなのだよ」
リヒツの呟きに、フィルトが答えることはなかった。街の中へ逃亡した三人の行方を追おうとしたリヒツを、フィルトは足止めしたのだ。結果的にフィルトは勝負に敗れたが、そこに至るまでには、かなり奮闘したといえよう。
「っ、何っ!?」
踵を返し、この場を立ち去ろうとしたリヒツだったが、何かに足首を強く掴まれて、踏みとどまった。
(まさか……)
ゆっくりと足元を確認する。フィルトの褐色の腕が伸び、自分の足首をしっかりと手で握っている光景を見て、リヒツは驚愕した。
(こいつ、くたばったんじゃなかったのかよ……)
振り返ると、フィルトは地に倒れ伏している。汗ばんだ彼の背中が、微かに動いているのがわかった。リヒツの足首を握る力は思いのほか強く、振りほどこうとしてもなかなか手が外れない。身を屈めたとき、リヒツは気づいた。フィルトが意識を取り戻し、鬼のような形相で、自分を睨みつけている。その視線の気迫の強さに、リヒツはほんの刹那、たじろいだ。
「待て……よ、まだ勝負は……終わって、ねえだろ」
弱々しい声色ではあったが、しっかりと芯の通った口調であった。ぐぐぐっと、フィルトは腕に力を込め、自分の体の元に、リヒツの足を引き寄せた。
「どうしてそこまで……」
このまま倒れておけば、楽だろう。蓄積されたダメージに苦しむことはあっても、それ以上の辛苦を味わうことはないというのに。
「あいつらを……見逃して、やってくれ……頼む」
げふっと、喉を鳴らし、フィルトは口から血を吐いた。ぴくりと彼の体が動く。なんと彼は立ちあがろうとしているのだ。仔鹿のように震える手足に、今出せる限りの力を込め、半身を起こした。そして、縋り付くように、リヒツの足を両手で掴む。
「オレは……どうなってもいい。でも、あいつらは……こんなところで、足止めをされるわけには、いかねえんだ……頼む、よ……」
リヒツは歯噛みした。ラヨルと疑わしき子どもを連れた、焼暴士の一行。それは自らも焼暴士の同胞として、到底見過ごすわけにはいかなかった。だが同時に、この少年たちに、何か事情があるのだろうと察することも容易かった。彼らはニュートの知り合いであり、同じくバリウの村で育った者たちだ。ともすれば、昨日の襲撃に、どうにかして生き残った最後のバリウの村民だ。住むべき場所、帰るべき場所を奪われた少年たちが、最も忌むべき存在のラヨルを仲間として迎合していたとしたら……。よほどの馬鹿か、何か理由があるかのどちらかなのだろう。
リヒツは今しがた、自分の攻撃で痛めつけた少年の姿を改めて見つめた。生まれてこのかた三十五年、同胞の焼暴士に手をあげたことなどなかった。それなのに、ラヨルの民だと疑いのある幼子と行動を共にしている少年たちを見て、頭に血が昇ったのだ。冷静ではいられなかった。リヒツがタスクの腹に蹴りを入れたときから、ただ怒りに身を任せていたのだ。腹を内出血の紫色に染め、それでも懸命に願いを乞うフィルトを見て、リヒツは不意に罪悪感に苛まれた。真実を確かめるために意固地になっていた自分を呵責する。
「お前たちがどんなに懇願しようとも、見逃すわけにはいかぬのだ」
それでもリヒツは引かなかった。それは焼暴士としての義務なのか、引っ込みがつかなくなった自我を守るための体裁なのか、はたまたその両方なのか。リヒツにはわからなかった。
その時だった。うおおおおおおと、野太い雄叫びが轟いた。リヒツはその声が、自分の足元から聞こえてきたと理解するまでに、少し時間を要した。ハッと気づいた時には、フィルトがリヒツの肉体を鷲掴み、這い上がるように立ち上がってくるところだった。
「だったら、オレは、オマエを、ぶっ倒す……」
言葉の強さとは裏腹に、フィルトはもう立ち上がるのが精一杯の様子であった。リヒツの体に縋り付くように立ち上がり、震える両足を拳で殴りつける。肩で息をしながら、それでもリヒツから目はそらさない。口から垂れた血液が、ぽたぽたと地面に二、三滴落ちて、染みを作った。
「あの小僧がラヨルだと、もう認めているようなものじゃないか」
ふらついたフィルトの体を支えるべく、思わず腕が伸びた。フィルトはそれを、思いの外強い力で払い退ける。その衝撃で、リヒツの脇腹がみしみしと痛んだ。
そこに圧倒的な戦力の差があったとはいえ、リヒツも無傷では済んでいない。フィルトの反撃をまともに喰らい、肋骨が何本かは折れたか、ひびが入っているに違いない。こめかみのあたりに切り裂くような打撃を受けた。そこからの流血が止まっていない。それだけで、経緯を知らない者が見たら、互いの重傷度は同じくらいだと勘違いするかもしれない。
「オレは、何も、言ってねえ。オマエが、勝手に、決めつけて、オレたちを、襲撃してきた、だけだ」
フィルトはもうボロボロだった。足から力が抜け、再び膝から崩れ落ちる。「くそっ」と、彼は唸って、地面を殴りつけた。
「言っただろう。私は、真実が知りたいだけだと。お前たちが素直に応じていれば、そんな目に遭うこともなかったというのに」
風が吹く。再び砂埃が舞い上がり、粉塵のように空中を舞っていく。風が止んだ時、フィルトの腕から力が抜け、ばたりと倒れ込んだ。再び彼は意識を失ったのだ。リヒツはため息をつき、ほんの一瞬、フィルトに憐れみの視線を向けると、今度こそ踵を返し、こめかみの傷口を抑えながら、ヒムの街まで歩いていった。
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