第一章⑲
ニュートの切れ長の目が、タスクを捉える。眉間に皺をよせ、信じられないというふうに顔をしかめた。
「……そ、そんなわけ、ないじゃないか」
タスクは大きく息を吐いた。見えすいた嘘だ。言葉を紡げば紡ぐほど、隠し通そうとしていた真実が綻び、ニュートやリヒツに露見してしまいそうだ。口の中がカラカラに乾いて、視線が不自然に宙を彷徨った。
その時だった。リヒツの体が動いたかと思うと、タスクの腹に、物凄い衝撃がきた。
「がはっ……」
呼吸が止まる。顔を歪め、視線を下に向けると、リヒツの膝がタスクの腹筋に埋まっているのが見えた。
「タスク!!」
フィルトは、瞬時にリヒツに近寄り、タスクから彼を引き離そうとしたが、その間にも、タスクは二発目の蹴りを喰らっていた。
「うぐっ……」
タスクは歯を食いしばり、痛みを堪えた。リヒツの膝が引き抜かれる。膝頭の形に凹んだタスクの腹が、元の形に戻る。フィルトは二人の間に割って入り、リヒツをタスクから引き離した。
「いきなり何をするんだ!」
フィルトは、キッとリヒツを睨みつけた。タスクは両手で鳩尾のあたりを抑えながら、フーフーと肩で息をして、呼吸を整えていた。リーレンが側により、ヴェルチをタスクから引き剥がす。
「私に殴られたくなければ、すぐにその小僧の身柄を引き渡せ」
リヒツは、フィルトに向かって言い放った。完全にヴェルチのことを「昨夜この辺りに現れた、幼い子どものラヨル」だと疑っているらしい。実際にその通りなので、タスクたちに言い逃れる術はない。ならば……と、フィルトは胸の前に拳を構えた。
「フィルト! やめろ!」
リーレンだ。臨戦体制に入ったフィルトを、言葉で制止しようと声を張り上げた。
「おい、なあ、タスク、嘘だろ……」
さっきから黙り込んでいたニュートが、慌ててタスクに問いかけた。タスクはそれには答えられず、俯き、ただ地面を見ているだけだった。
「堕ちたものだな、バリウの小僧」
リヒツは、吐き捨てるようにそう言った。怒りにこめかみがピクピクと揺れ、顔が紅潮している。丸太のような腕が伸び、フィルトに襲い掛かる。
「ラヨルを」リヒツは言葉を発しながら、拳を放つ。「庇うなど」フィルトは腕でガードをするが、攻撃の威力に顔をしかめた。「言語道断!」リヒツの拳がフィルトのガードの隙を掻い潜り、彼の顔面を掠める。「裁きの」フィルトは体勢を崩し、二、三歩後ろによろけたが、太ももに力を込め、なんとか踏みとどまった。「拳を受けよ!」
「チッ!!」
顔面に迫ったリヒツの拳を、フィルトは寸でのところで受け止める。衝撃で腕がビリビリと痺れたが、かまうことなくフィルトは反撃の体勢に転換した。
「タスク、リーレン、ヴェルチ! 逃げろ!」
フィルトは振り返らず、背後にいる三人に向かって叫んだ。その間にも、リヒツの猛攻が迫ってくる。フィルトに一瞬の隙ができた。
「ぐあっ!」
フィルトの左頬に、リヒツの拳が減り込み、フィルトは横っ面を撥ね飛ばされた。衝撃でフィルトは地面に倒れ込んだが、すぐに立ち上がって、再び襲いくるリヒツの腹に、拳を叩き込んだ。
「こっちの話も聞かねえで、ラヨルと聞いただけで殴りかかってくるなんて、芸がねえな」
「ラヨルの民とつるむ焼暴士などに、弁解の余地などない」
「残念、オレたちはまだ焼暴士じゃねえよ」
フィルトがニヤリと笑う。虚勢であった。しかし煽りはリヒツに若干効いたようで「屁理屈を抜かすな! 小童が!」と、感情に任せて声を張り上げた。
「何をしている! ニュート、早くその三人を捕らえろ!!」
リヒツの怒号に驚き、ニュートは慌てて三人に向き直った。だが、時すでに遅し。三人はタスクを先頭に、ヴェルチ、リーレンの順に駆け出し、ヒムの街に向かって走った。
「こんにゃろ! 待て! タスク! 止まれ!」
ニュートが一歩遅れて追ってきたが、捕まるわけにはいかなかった。
「タスク様!」
走りながら、ヴェルチが背後から声をかけてくる。「僕が大人しく彼らに捕まれば、皆様は放免されるのでは! このままだと皆様は焼暴士の皆様を敵に回してしまうことにもなりかねません!」
「そんなこと、わかってる! でもだからと言って、ヴェルチを渡すつもりはない!」
コンクリートで舗装された道を、あてもなく走る。タスクたちの勢いに、道ゆく一般人たちが、何事かと驚き、巻き込まれないようにと自衛し、道を開ける。
「待て! おいこら待ちやがれっつってんだよ!!」
ニュートはしつこく追いかけてきているようだった。三人は大通りから路地裏に逃げ込み、姿をくらまそうとしたが、焼暴士とランロイ、それに幼い少年の組み合わせというのは随分と目立つようで、ニュート以外の追手がどんどんと増えてきていた。
ヒムは大きな街だった。盤の目のように敷き詰められた狭い路地裏は、民家や小洒落た店がいくつも建ち並び、賑やかな喧騒に満ちあふれていた。タスクたちは、ヒムの住民たちとは、過ごす時間軸が違うかのように、ひたすらに走った。何しろ初めて来る場所だったために、今自分たちが、街のどこにいるのかすらもわからない。たとえば三人それぞれが分かれて逃げようにも、後で合流するのは困難だと判断し、なるべく固まって逃げるように努めた。
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