第一章⑫


 5


「わあ! これを僕のために。ありがとうございます!」

 キオへと森の境の掘っ建て小屋に戻った三人は、ヴェルチが中でおとなしく待っていたことに安堵した。床に座り、膝を抱えて背を丸めていた彼に、リーレンが紙袋を渡すと、その表情はぱあっと明るくなった。

 ヴェルチが紙袋を開けて、中身を取り出す。袋の中では畳まれていたそれが広がっていくのを見て、タスクはあっと思った。駱駝色の子供用の貫頭衣だった。バリウの村に住む子供たちが着ていた服によく似ている。おそらく、同じ造りのものだ。

 ヴェルチは、壁際まで歩いていくと、背を壁に向けたまま、さっさとラヨルの装束を脱ぎ捨て、新しい服を身につけた。腰の辺りの帯をキュッと絞めながら「似合いますか」と問うてくる。

「まあ、見窄らしいけど見栄えは良くなったな」

 辻褄の合っていないリーレンの発言だったが、タスクもフィルトもうんうんと頷いた。身に纏うものが違うだけで、こうも印象が変わるものなのかと、タスクは驚いた。ラヨルの装束を纏うヴェルチは、タスク達が最も忌むべき存在そのものだったが、それが簡素な貫頭衣に変わっただけで、闘いとは無縁の無垢な幼子の姿にしか見えなくなった。

「これも履いておけ」

 紙袋の中には、まだ何かが入っていたようで、リーレンはそれを取り出してヴェルチの足元に置いた。タスクが覗き込むと、それは草履であった。足の甲の部分に二本、足首にあたる部分に一本、皮でできた緒がついている。

 ヴェルチは黙ってリーレンに従った。草履に足を突っ込むと、大きさは概ねぴったりだった。

「皆さんは、履き物をお召しにならないのですか」

「俺たちは、闘いの邪魔になるものを、極力身につけないようにと教えられている。そのために、裸足で色んなところを歩いても慣れるように訓練もしているよ」

 タスクは言いながら、かつて村の訓練場で行った過酷な修行のことを思い出していた。敷き詰められた尖った小石の上を走ったり、匍匐前進をして、荒れた場所での戦闘でも身体が耐えられるようにするための修行だ。最初は足裏や、地に触れた身体がずたずたに裂かれ、激痛のあまり動けなくなることもあった。表皮が捲れ上がり、それでも石の上を進まねばならない。並大抵の精神では成し遂げられない修行のひとつであった。

 それでも、人間の身体というものは、生きるためならば、どんな苦行にも順応するようにできていくのかもしれない。時間が経つにつれて、タスクは小石の上に身体を叩きつけられようと、組手の相手に吹き飛ばされ、転がろうと、痛みに耐えられるようになった。足裏の皮膚も鍛えられ、荒れた地を裸足で踏みしめても痛みを感じなくなった。そうなるまでに二年ほどの歳月を要したが、修行の甲斐あって、今ではどんな場所に立っても、足裏の刺激に顔を顰めることはなくなった。

「そうですか……。不躾な質問をしてしまい、申し訳ございません」

 ヴェルチはすんと鼻を啜ると、ラヨルの黒い装束を綺麗に畳み、空になった紙袋にしまい込んだ。

「どこかにこれを処分する場所があるといいのですが。ノーラの炎を出すわけにもいきませんし」

「ここに置いていけよ」

「しかし……」

 フィルトの申し出を、ヴェルチは躊躇った。ここはバリウの焼暴士が建てた小屋だ。そんな場所にラヨルの装束が脱ぎ捨てられていては、騒ぎになるのではないかと考えたのだ。

「ここを使うやつは、もうオレたち以外にはいないんだ。お前らのせいでな」

 ヴェルチが直接的に、バリウの村人を手にかけた訳ではないことはわかっているが、タスクがヴェルチの同行を認めたとはいえ、フィルトにとってはまだ納得しきれていない部分があった。こいつはまだ幼い子供だけど、ラヨルの民であることには変わりない。そう考えると、嫌味のひとつでもこぼしたくなるものだ。

「返す言葉もございません」

 ヴェルチは目に見えて萎れた様子でうなだれた。リーレンが「まあまあそんな責めてやるなよ」と慌てて言う。フィルトの頭の中で、少しの罪悪感が生まれる。

 俺は心が狭いのだろうか。タスクとリーレンは、すでにヴェルチのことを「ラヨル」として見ているのではなく、「一人の幼い子供」として見ているのだろうか。何もヴェルチのことを信じたくないわけではない。それでもすんなりと彼のことを受け入れる度量は、少なくとも今の自分にはない。たった一人の幼子相手に、自分がひどく大人気ないような心地もしたが、それを二人に打ち明けるわけにもいかなかった。このどうしようもない感情は、時の経過と共に和らいでいくことを願うばかりだ。

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