第一章⑩

 しばらく躊躇っていたタスクだったが、やがて少しずつ、言葉を紡いでいった。二ヶ月前、自分がキオヘの谷で、マユルと顔を合わせ、全く歯が立たずに重傷を負ったこと。その怪我が治り、コトにリーレンを引き合わされ、正式に焼暴士としての役割を全うするべく命を受けたこと。そしてその夜、ラヨルの民、デューザの手によって、バリウの村は、住民もろとも滅ぼされたこと。ヴェルチの件に関しては伏せたが、声を震わせながら、タスクは全てを話した。途中、クリュウは店にやってきた客の相手をしに何度か席を離れたが、どれも応対を手短にすませ、すぐに三人の元へ戻ってきてくれた。

「じゃあ、もうバリウの村は、滅んだんだな」

 どんな太い大剣で胸を貫かれるよりも痛い言葉だった。腕に蘇ってくる、炭化した村人たちの死体の感触。油断をすればほろほろと崩れそうなそれを、慎重に扱った時の妙な緊張感。

 タスクはその時、悲しみ以外の感情を全て喪くしてしまったかのような感覚に陥った。いや、これが悲しみと表現していい感情なのか、タスクにはわからなかった。村が焼き尽くされたこと、村人たちを弔ったこと、そもそもデューザと闘ったこと。昨晩の出来事の全てが、未だ実際にあったこととして受け入れられていなかった。それでもあれは、悪い夢ではない。タスクたちの眼前で、実際に起こった現実なのだ。

 クリュウの言葉に、タスクたちは何も返せなかった。村が滅んだのは覆しようのない現実だ。現地に行けば、今も所々で煙が燻り、焦げた匂いが充満しているだろう。五分もあれば一周できるような小さな村は、一晩にして廃墟へと成り下がったのだ。

 タスクは、クリュウの義足に目をやった。綿と麻を加工して作られた長ズボンに覆われ、靴も履いているから、一見してクリュウの足が作られたものであるとは、見分けがつかない。

 その時だった。

(なんで生きてるんだ、こいつは)

 タスクの頭の中で、彼自身が囁いた。自分の内から湧き出てきた声だというのに、タスクは酷く驚いた。

(村のみんなは、師匠は、もうこの世にいないんだぞ。なのにこいつは足を一本失っただけで、焼暴士をやめて、安全な場所でのうのうと暮らしている。なあ、それっておかしくないか?)

 タスクは、膝の上で拳をぎゅっと握り締めた。急に押し黙ったタスクに、クリュウが「大丈夫か?」と声をかけた。肩に置かれそうになったクリュウの掌を、タスクは反射的に払い除けた。その時、タスクの手がグラスに当たり、それは中身をぶちまけながら、床に跳ね飛んだ。衝撃でグラスが割れ、破片が飛び散る。隣に座っているリーレンが驚いてびくりと動いたのが、視界の隅に映った。

「あ……」

 しまったと思った。だが、謝罪の言葉は素直に込み上げてこなかった。タスクは不貞腐れたように目を据わらせ、クリュウを睨みつけた。

「バリウが滅んでも、お前には関係ないよな! 所詮他人事だ! 足を失ったくらいで焼暴士をやめて、お前は戦線から逃げ出した! 俺たちはこれからもずっと、ラヨルを討ち取るまで、闘わなくちゃいけないのに! 帰る場所を奪われても、大切な人たちをみんな奪われても、俺たちはそれを我慢して、闘い続けなければならないんだ!」

 声を張り上げ、捲し立てるタスクを、クリュウは呆然として見つめていた。足のことを言われたとき、ずきりと義足の付け根が痛んだような気がする。タスクは、完全に自分が八つ当たりをしていると分かっていた。分かっていたが、止まらなかった。頭が湧いて、きゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。

「……すまねえ」

「なんとも思ってないくせに、その場しのぎで謝るなよ!」

 タスクは、さっきまで自分が座っていた椅子を蹴り飛ばし、クリュウに飛びかかった。義足のせいで足腰が本調子ではないクリュウは、簡単に地面に崩れ落ちた。タスクもバランスを崩し、クリュウの上に倒れ込む。クリュウがタスクの耳元で「ぐふっ」とうめくのが聞こえた。

「タスク! お前、やりすぎだ!」

 横っ面を殴打される。クリュウの体の上から、吹き飛ばされる。フィルトだ。彼はタスクを羽交締めにして、身動きがとれないようにした。タスクはじたばたと力の限り暴れたが、自分より身体の大きなフィルトに抑え込まれては、無駄な抵抗にすぎなかった。

「はなせよ」

 フーフーと盛りのついた獣のように荒い息を吐き、タスクはフィルトを睨みつけた。フィルトの拘束が弱まる気配はない。むしろ、より強く、タスクの腕を締め上げたようだ。

 リーレンは「すみません、お怪我は?」などと、まだ仮面を貼りつけながら、クリュウに手を差し伸べている。その光景が余計に、タスクの苛立ちを刺激する。

「フィルトは悔しくないのかよ! 俺たちはラヨルに故郷も、仲間も奪われた! それなのに悲しむことすら許されない! このまま自分の感情を押し殺して、世界のみんなのために闘えっていうのかよ!」

 タスクの顔が、左右に揺れる。フィルトの平手打ちを三発、まともに喰らったのだと気づくのに、しばらくかかった。

「怒りの矛先を向ける相手が違うだろ。クリュウさんは現役を退いて、今は普通に暮らしているんだ。自分の感情に任せて、ラヨルに無関係な人に手を出すなんて、お前はラヨルの奴らとやってることが同じなんだよ」

 平手を喰らった衝撃で、タスクの脳はぐわんぐわんと揺れていた。締め上げられている腕の付け根も痛い。うああああと、突然タスクは嗚咽を漏らした。生まれたばかりの赤子のように、周りをはばかることなく、感情を出し尽くした。腕の拘束が解かれ、フィルトの重みが消える。タスクは床にうずくまり、自分の腕の中に顔を埋め、しゃくり上げながら、落ち着くことのない感情をさらけ出した。身体が火照り、じんわりと全身に汗をかく。

「クリュウさん、すまない」

 神妙な面持ちでフィルトは頭を下げた。クリュウはゆっくりとかぶりを振った。

「気にすんな、仕方ねえよ」

 フィルト自身も、感情の整理がついていなかった。だが、タスクの手前、取り乱すわけにはいかないと、強く自分に言い聞かせていた。コト亡き後、血のつながりはなくとも、兄弟子として、タスクを支えてやるのは自分しかいないと。そんな自分が一時の感情で心を乱してしまえば、タスクにも影響が及んでしまう。だから自分はいくら悲しくても、決して涙を見せてはならない。

 一時の感情。そう、人間の感情など、時間が経てば風化していくものだ。どんなに辛く、心が打ちひしがれるような目に遭っても、次第にそれは薄れていく。

 クリュウの店に商品を買いに来た者たちは、店の中で焼暴士の少年が泣きじゃくっている光景を見ると、口々に「今は取り込み中みたいだな、後にするよ」と苦笑しながらその場を立ち去っていった。

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