第一章⑥

 周囲を警戒しすぎて、足取りが重くなったタスクとフィルトに呆れ果てたリーレンは、いつの間にか二人の前を歩く格好になっていた。焼暴士とランロイの一団で、ランロイが一行の前線を陣取るのは、非常に珍しい形で、本来ならばあり得ないことだ。

 リーレンもそれは心得ていたが、タスクたちがまだ駆け出しの身であることを考慮して、何も言わずにおいたのだ。そんなリーレンの足が、再び止まる。前を見ていなかったのか、タスクが背中にぶつかってきた。

「やっぱり、声がする」

 リーレンのなかで、それは確信に変わっていた。先ほど耳朶をかすめたように感じたものと同じ声色のうめき声が、今度は明らかに鼓膜を震わせたのだ。「ウゥゥ……」と、再び、声がする。息をすることすら躊躇い、周囲を警戒していたタスクとフィルトにも、その声が届いた。

「あっちだ」

 フィルトが囁く。自分達が向いている方向の、右斜め前の茂みの中から、声がしているのだ。確かによく見ると、青々と生い茂る雑草の中に、不自然な隙間が確認できた。

「……いたい、いたいよぉ」

 か細い声がする。人語を操る生き物のようだ。それも、幼子のものと思われる声だった。

「行ってみるか?」

 フィルトは言いながら、すでに一歩を踏み出していた。タスクとリーレンもそれに続く。三人ともに、これから自分達が危険に晒されるかもしれないという思いはあったが、見過ごすわけにはいかなかった。

 茂みをかき分け、声のした場所に向かう。リーレンはそのわずかな間も、周囲に気を配る。幸い、辺りに三人を危険に晒すようなものはなかった。

「おい! 大丈夫か!?」

 フィルトが茂みの中に横たわっている幼い少年を見つけた。腹を抑えるようにしてうずくまり、顔を顰めてうんうん唸っている。彼の着ている黒装束に、非常に見覚えがある。これは、ラヨルの装束だ。

「怪我をしている」

 少年を覗き込んだタスクが言った。なるほど、身につけている布は黒いから目立たないが、自信の腹を抑えている彼の手が、赤く染まっていた。おそらく、抑えている辺りから流血しているのだろう。

 少年はタスクたちの気配に気づき、ぎゅっと瞑っていた目をかすかに開いた。焦点があってきた頃、それはさらに見開かれる。瞳の中に、恐怖の色が見てとれた。

「僕を、殺しにきたの?」

 震える声で、少年は言った。こちらがこの少年をラヨルの民だと気づいたのと同じように、少年もタスクたちの素性に気付いたのだろう。最初からラヨルが手負いとなれば、焼暴士にとっては好奇すぎる状況だ。いくら幼子とはいえ、これから先、人間たちの脅威になるとも限らない。討ちとらないという選択肢はなかった。だが、タスクは「違うよ」と首を横に振った。この場にいる者でタスクの発言に驚いたのは、手負いの少年のみであった。つまり、フィルトやリーレンも、この少年をすぐに討ちとらないと判断したのだ。

「君はラヨルだね。どうしてこんなところに?」

 少年は警戒しているだろう。そう思って、タスクは努めて優しい言葉をかけた。

「……」

 少年は答えない。想定内だった。タスクは顔をあげ、リーレンに話しかけた。

「リーレン、この子の治療を頼む」

 リーレンは考えた。これがもし罠だったら。このガキが芝居をうっておれたちを油断させ、ノーラを放ってきたら。

 呪文を唱えて、少年の傷を癒すことは容易い。だが、リーレン自身の体力も消費する。焼暴士を治療するのではない。相手はラヨルだ。つまり、自分達にとっての敵を救おうとしているのだ。とはいえ、リーレンにも、この少年が自分達を陥れようとしているようには見えなかった。どんな事情があったかは図れないが、少なくとも今の彼に戦闘意欲の気配は感じとれなかった。

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