第17話 愛人たち 


 

(時折り感じる真夜中の足音。誰かが板戸をほんの少し開けて私の一部始終を覗いている気配が感じる)板戸をほんの少し開けて暗闇から息をひそめて、目が薄っすら茉莉子に熱い視線を注いでいるのが感じられ生きた心地がしない。


「旦那様……いつもいつも変な相談ばかりですみません。実は真夜中に目を覚ますとじーっと誰かが私を見ている気がするのです。何故そう思うのかと申しますと、時折微かに息遣いを感じるのです。ほんの小さな吐息ですが「ふ――」と息を吐く音が聞こえるのです。そして暫く経つとひたひたひたと足音が離れていくのが聞こえて来るのです」

 社長に話すも一向に改善されない事態に茉莉子は困り果てている


 

 ★☆

 茉莉子は社長に愛人が3人いることを知っていた。社長は子供の手前家には愛人の話は一切持ち込まない。


(あんな思春期で女のことに興味津々な息子がいるのに、俺に女がいることが分かればきっと俺を色眼鏡で見るに決まっている。だから女の存在はひた隠しにしている)


 それでも家庭のことを一手に引き受けてくれている茉莉子にだけは話してあった。その理由は愛人宅に家にある重要書類を届けてもらうためだったり、家族の緊急事態に対処する為に行き先を教えておく必要があったからだ。


 社長の愛人1人目は社長秘書の百合子様。2人目の愛人は贔屓にしている旅館の女将。3人目は人妻らしいのだが、一度も会ったことがないので定かではない。


「今日は秘書のところに泊まってくる」

 茉莉子は実は社長に惹かれていた。品があって日本最高峰の大学東京大学出身の電化製品の父、家電王と巷で称賛の声を浴びる社長にいつの頃からか、尊敬から憧れに代わっていった。だが慰安婦の朝鮮人で釣り合うわけがない。自分の身の上があまりにも悲惨なので端から諦めていた。


(だから社長から愛人のところに泊まってくると聞くのが何よりも辛かった。

嗚呼……社長には愛する女の人がいる。それも仕事が完璧ですごい美人。私なんて……敵う筈がないわ)


 ★☆


 あれは確かお嬢様の17歳の誕生日の日だった。


 家族で外での外食となった。その理由は近所に高級中華料理店がオープンしたからだ。まだまだ外食が一般化されていない時代ではあったが、田所邸は別だ。


 珍しいお店ができると家族でよく出かけていた。でも…茉莉子は女中の身の上一緒に出掛けることは殆どなかった。だが、この日は光子の誕生日だ。光子が父におねだりしている。


「光子も連れて行っていい?」


「お嬢様……私は使用人です。どうぞご家族水入らずで行って下さい」


 末っ子の光子は10歳の時に東京大空襲で母を失っていた。まだまだ甘えたい年頃にも拘らず……。

 それなので困ることがあると茉莉子に相談していた。光子は茉莉子の中に亡くなった母を投影させ寂しさを紛らわしていた。


 また、茉莉子も日本有数の家電王のお嬢様に母のように慕われて嬉しい限り。


(こんな私に甘えてくれて嬉しい)そう心から思うようになっていった。

 

 今までの人生を考えればこの家の仕事は正に天国だった。当然光子が甘えてくれるのでいつの間にか年の離れた妹?イヤイヤ娘と言っても過言ではない年齢差だった。昔は15歳で結婚した女性も少なからずいた。


 こんなことも有り光子は、学校の人間関係や受験のことで茉莉子にいつも相談をしていた。

 そんな時に誕生会に茉莉子を連れて行くかどうかと、いうことになり茉莉子は当然辞退した。だが、光子が一番側にいて欲しいのは茉莉子だった。実は…光子は父に愛人がいることは知っていた。それも母がいながら父は平然と母を裏切っていた。


「あなたいい加減にして下さい。私が兄の発明資料を持参したことであなたは戦争で私腹を肥やすことが出来たというのに!」


 そうなのだ。ラジオや軍用の航空無線機は兄の発明品をヒントに製造されていた。


 1937年、丁度その頃日本と中国は全面戦争に突入し、時代は太平洋戦争に向けて一気に動き始めた。戦時下にあって、国民の一大関心事は戦況だ。ラジオは戦況を伝えてくれる唯一の手段、人々は戦況を伝えるニュースを求め、ラジオの需要も高まって資材不足と戦いながら生産を続けていた。


 そんな中で、材料節約を極めたラジオを効率的に生産することで、旺盛な需要にこたえていた。また、事業を存続させ、従業員の生活を守るために、政府の求めに応じて、軍用の航空無線機の生産なども行って国家に協力していた。


「何を言う!お前のような何の取り柄もない女と結婚してやったんだ。お前がどうしても俺と結婚したいと言ったから仕方なく結婚してやったんだ。俺の道楽に口をはさむのだったら出ていけ!」


 大体夫婦喧嘩は子供が学校に通っている間に始まる。だが、学校が急遽早く終わることだってある。その時に両親は女の事でよくもめていた。父は気づいていないだろうが、そんな夫婦喧嘩を嫌というほど聞かされていた光子は、女に見境のないギラギラした汚らわしい父のことが大嫌いになっていた。


 一方の兄も最近はそこはかとなく不気味で、一緒に食事をしたい気分にならない。な~んかよどんだ眼付きの気持ち悪い兄貴。何を考えているのやら……。


「お父様私の誕生日に茉莉子さんも一緒に中華店で食事がしたいの!」


「光子の誕生日だから良いよ」


「まあまあ私までお邪魔していいのかしら?」

 こうして4人は自家用車で近所の格式の高い中華料理店に向かった。


 次から次へと回転テーブルで料理が回ってきた。中華サラダ、北京ダック、餃子、かに玉、エビチリ、デザートはゴマ団子。


 たらふく食べた4人は車に乗り込み家路についた。


 ☆★

 それでは茉莉子が社長の妻になった経緯を辿って行こう。


 実は西馬社長は美人秘書を妻にと思っていた。


「あのなぁ忠司と光子。お父さんは2人にお母さんが必要だと思って……それで……今日連れて来たんだ。さあ百合子さん入りたまえ!」


「あら~可愛い坊やとお嬢ちゃんね。よろしく!」

 そう言うと百合子は笑顔で握手を求めてきた。2人は直感でこの女は財産狙いだと直感した。できる女らしいが子供たちはそんなものは求めていない。母に似た優しい女性で良いのだ。


 お○○水女子大卒36歳のエリートにして秘書技能検定、更には珠算検定一級、簿記一級とスキル満点の美人だ。


 確かに表面上は母と比べ物にならない美人で父が夢中になるのはわかるが、この女のせいで母の涙を何回見させられたことか、裁判に打って出て百合子から慰謝料請求出来るところだったが、辣腕弁護士を父が百合子可愛さに就けたので勝ち目がないと泣く泣く諦めた。 


 母は子供の前では気丈に振舞っていたが、陰で母が泣いているのを見るにつけ益々許せなくなり、やってくるたびにいたずらの限りを尽くした。


「何が母親よ。あんなケバイ女絶対父と結婚させないから!」


「本当だ!」

 

 百合子は結婚するのなら子供たちに気に入ってもらおうと、日曜日の度に田所邸を訪れた。2人の子供たちは何が何でも結婚妨害を企てている。


「お母さんが可哀そう。絶対結婚させないから!」


「あんな色仕掛けで父を奪った女なんか、痛い目に合わせてやろうぜ」 


 ★☆

 いたずらとは次のようなものだった。

 百合子の作ったカレーライスに塩を沢山入れてやった。父がビックリして洗面所に向かいゲボゲボして吐き出していた。


 洗濯竿を倒して洗濯物を泥だらけにしてやった。


 自転車をパンクさせて食事の時間がかなり遅くなった。なので、さすがの父もブスッとしていた。


 他にも休みの度にやってくる百合子をコテンパンにやっつけ、父との関係を壊してやった。


 ★☆

 西馬社長は最近茉莉子のことが気がかりになっている。


(今までは母から父を奪った憎き女たちということで、結婚に発展できなかったが、茉莉子は勝手が違う。特に娘の光子が茉莉子を母のように慕っている。女中まがいの女を嫁にするのは世間体が悪いが、ひょっとして茉莉子だったら……丸く収まるかもしれない)


 こうして茉莉子と西馬は一歩ずつ距離を縮めていくことになる。



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