第11話 恋わずらい


 麗香は高級車での送迎がない時は私と二人切りになる時間が、他の誰よりも一番長かったに違いない。


 だから私はいつの間にか、馴れ合いになり過ぎて麗香も私と同じ気持ちに違いない。いやそうだろう。そう有って欲しい。いつの間にか、良い方向にしか考えられなくなり自分よがりになって麗香を自分だけのものにしようとした。


 ★☆

 私が麗香に惹かれた切っ掛けは、まだ子供で小学三年生だったにも関わらず、あの夏休みに叔父さんに連れられ訪れた多国籍店の路地裏で見掛けた少女に、心奪われたからに他ならない。


 今まで一度たりとも味わった事のない衝動に駆られてしまった。それは余りにも美しい少女だったからだ。


 淡い透け透けのピンクのレースのドレスで顔を覆ったミステリアスな少女に一瞬で心を奪われてしまった。確かに麗香にそっくりだったが、本当に麗香だったのだろうか?


 多分私は麗香ではなく、あの路地で会った麗香にそっくりの少女に雷に撃たれたかの如く、心臓?ハ―トを撃ち抜かれていたのだろう。それを麗香で代用していたのかも知れない。良く良く考えると…どこか麗香とは違うような気がする神秘的で影のある少女。


 そんな事もあり麗香に傾倒してしまったに違いない。


 こうして、麗香と一分一秒でも一緒にいたい。そんな思いでチョッと遠回りになるのだが、麗香と一緒に帰りたくて無理をしていた。


 だから、父に連れられ柔道教室に通う日も30分家に到着するのが遅れていた。その為、麗香と別れた途端に猛ダッシュで家に帰った事を昨日の事のように思い出す。


 結局なんだかんだと一時間弱も、麗香と一緒にいたくて遠回りしていた事になる。


 自分は無理をして麗香との時間を作り出していたが、麗香は只帰り道が一緒なので帰っていただけで、最初から異性だなんて思っていなかったに違いない。


 だから…修君の話を自慢気に私に話せたのだと思う。もし私を異性として意識していたならあのようにヌケヌケと異性の話をしないに決まっている。


 それか?ひょっとしたら私に振り向い欲しくて、わざと異性の話をして焼きもちを焼かせて、私の気持ちを確かめていたのかも知れない。


 でも…そうで有れば私が麗香を後ろからいきなり抱きしめ、💋キスをしてしまった時に 「何を…何を…するのよ。豊の事は大親友だと思っていたのに…ぅうう。。゚(゚´Д`゚)゚。わぁ~~~ん😭わぁ~~~ん😭わぁ~~~ん😭大キライ」 そう言って猛スピ―ドで駆け出して行ったりしない。


 ★☆

 麗香とは中学二年生のあのキス事件以来会っていない。私はあんな子供だったが、女性にあんなに夢中になり思い詰め、苦しくて苦しくて夜も眠れない辛い思いを味わったのは、この六十六年間生きて来て未だかって味わった事のない辛い思い出だった。


 そんな…やっと麗香の事を忘れかけたある日麗香にそっくりな女の子と遭遇した。


 そうなのだ。時は流れ高校生の頃思いも寄らない麗香を発見した。東京屈指の進学校に通っていた私は本当は、父の仕事会計士を継ぐつもりで塾通いをしていた。


 そんなある日思いも寄らない場所で麗香と遭遇した。道路を挟んだ反対側の葛飾区新小岩駅南口エリアで見掛けたのだ。


(あんなお嬢様が何故こんな所にいるのだろう?)


 そんな時に到底日本人とは思えない、

アジア系の女、それも品の欠片もない場末の身を持ち崩したような女と一軒の店に消えた。


 だが、跡を付けたがその店に辿り付く事は出来なかった。


 いつもはお嬢様然とした麗香とは、全く別人のあの意味深な表情は何を意味しているのか?


 私はひょっとしたらまた麗香に会えるかも知れないと思い、大学生になってから何度かこのエリアに訪れていた。


 きっと未練たらたらだったからなのだろう。だが、そんなある日バタンと車のドアを閉める音がしたので後ろを振り向いた。


 すると、こんな場所には到底不釣り合いな、ミンクのコ―トを羽織った高級バッグケリー片手に、麗香にそっくりの女性が車に乗り込む所だった。


 なんと、かっぷくの良い中年男性が運転する高級外車ベンツで、こんな決して柄が良いとは言えない場所から走り去った。


 あんな良い所のお嬢様が、あんな中年の男の車に乗るなんて……。


 本当に麗香だったのだろうか?

 

 ★☆


 それでは豊と麗香の時代背景を簡単に紹介して置こう。正にこの二人が歩んだ時代はテレビ中心の時代だった。


 身近な暮らしでは昭和30年代初期には、家の中の電化製品がますます増え、今の生活に欠かせないような家電製品は一通 り買うことができるようになった。また「カラーテレビ」「クーラー」「車(カー)」は「3C」と呼ばれてみんなが持ちたいと思う商品の代表だった。


 この時代、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビが「三種の神器」と呼ばれて徐々に普及し始めた。 その後、昭和30年代後半になるとカラーテレビ、クーラー、自家用乗用車が、それぞれの頭文字を取り「3C」と呼ばれて普及していった。


 1953~1974年は正に、テレビの物珍しさや楽しさから家族がテレビの前に集まり,テレビは戦後の新しい家族の「中心」となった。そしてテレビをみんなで見ることが家族の一体感を高め,テレビを見ながら家族と交流する“テレビ的”一家団らんが生まれることとなった。


  1975~1984年になると家庭内のテレビ台数が増加することに伴い,家族メンバーが個々にテレビを見るようになり,テレビが家族を分散するようになった。その一方で,分散した家族と一緒にいるためのテレビ視聴が併存し,テレビが家族の間をとりもつ役割も果たしていた。


そして一人でテレビを見る個別視聴がさらに進み,人々はテレビ番組の中の出演者と団らんするようになった。




 テレビ中心だった時代。その歴史のなかでも1970年代の土曜8時台には伝説の人気番組が数多く誕生。後に“土8戦争”という言葉も生まれるほど視聴率争いが白熱した。その中でも、テレビっ子たちを夢中にさせた土曜日の8時台には、どんな番組が放送されていたのか?

ステージ101、『コント55号の世界は笑う』ドリフターズの『8時だヨ!全員集合』『世界は笑う』『欽ちゃんのドンとやってみよう!』『お笑いオンステージ』NHKで始まったのが『土曜ドラマ』土曜ドラマ 山田太一シリーズ 男たちの旅路、 『8時だヨ!全員集合』、『欽ちゃんのドンとやってみよう』、『プロレス中継』と裏番組は強豪揃いだったが、フジテレビは1981(昭和56)年に『オレたちひょうきん族』の放送を開始。支持を集め、ついに『8時だヨ!全員集合』を超す視聴率を得るように。 こうした流れを受け、1985(昭和60)年に『全員集合』は16年以上にわたる歴史に幕を下ろした。 その後、加トちゃんケンちゃんごきげんテレビが始まった。この番組は、1987年には、36.0%の視聴率を獲得し、フジテレビのオレたちひょうきん族をついに破る事に成功した。平均視聴率でも18.1%は、オレたちひょうきん族を上回る数字だった。 好調に番組を放送していたが、フジテレビで1990年に「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」が始まると次第に視聴率をフジテレビに奪われて行き1992年3月28日、この番組も終了した。  

 

 1970年代~1980年人気ドラマ。

『時間ですよ』『北の国から』(『3年B組金八先生』、『探偵物語』、『ドラマ人間模様

『金曜日の妻たちへ』、『おしん』『スチュワーデス物語』等は国民的人気を博した。

 

 また1990年代はまさにドラマ黄金期で、視聴率も40%に迫る勢いのドラマも多くあった。

 古畑任三郎、踊る大捜査線、愛していると言ってくれ、東京ラブストーリー、ひとつ屋根の下、ロングバケーション、金田一少年の事件簿、101回目のプロポーズ、ナースのお仕事、家なき子、ショムニ、白線流し、振り返れば奴がいる、王様のレストラン、神様、もう少しだけ、星の金貨、人間・失格〜たとえばぼくが死んだら、高校教師GTO、あすなろ白書等


 2000年代

 ビュ―ティフルライフ、やまとなでしこ、HERO、白い巨頭、華麗なる一族、GOOD LUCK!!、ごくせん等2000年代初頭にかけても高視聴率を叩き出していたが、残念な事に近年は一桁台のドラマも珍しくない。


1968(昭和43)年から1990年代は正にテレビ黄金期だった。誰もかれもテレビが中心だった時代には、驚異的な視聴率を叩き出していた。



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