第8話 小学校最後の日

 麗香はあの田所邸でどのような生活を強いられていたのか、そうだ。あの時のお手伝いさんは現在も健在だろうか?


 そう言えば、一度だけあのお手伝いさんと直接話した事があった。 


 あれは確か…麗香が小学生六年の十二月インフルエンザが大流行して一週間ほど学校を休んだ時の事だ。


「体の調子が悪くて病院で見てもらったらインフルエンザだって。一週間ほど学校に行く事が出来ないから授業を細かく写して置いて一週間分写させてね」と言われていたのに、一週間経っても学校に来なかったので心配になり、麗香の家に直行した事があった。


 通学班が同じという事で、学校の帰りよく一緒に帰るようになっていたのに、どういう訳か、麗香は余り家に近づくのを喜ばなかったが、それでも…そんな悠長な事は言っていられない。そう思い麗香の家に急いだ。


”ピンポン” ”ピンポン”


「どちら様ですか?」


 インターホン越しにお手伝いさんの声が聞こえた。


「あの…僕は同じクラスの畑中です。麗香ちゃんに写したノ―トを渡そうと思って……麗香ちゃんをお願いします」


「嗚呼……麗香様は御気分が悪いので伏せっていらっしゃいます。あの~ノ―トだけこちらでお預かり致しましょうか?」


 何か…口の端々に刺のある物言いで、いかにも迷惑だというのが端々に伝わって来て今直ぐ逃げて帰りたいそんな気持ちになった。


 その時だ。何かが横切った気がした。ふっと目をやると、気付きもしない程の貧相な八畳分位の小さな別宅がある事に気付いた。


 そうなのだ。何と豪邸からの渡り廊下がありビューッと何かが通り過ぎた。

 今考えると……中学受験の帰りにこの豪邸で見掛けた中年の男性の別宅だったのかも知れない。


 あの時、一瞬だけ見掛けただけだったが、子供ながらにも、感じる普通ではない、何と言ったら良いのか分からないが、目付き歩き方全てが普通ではなかった。


 あの中年の男はこの家の何者なのか?麗香は叔父さんだと言っていたが、本当にそうなのだろうか?


 常軌を逸した。まともではない異常者と言われれば、納得出来る異様な雰囲気を醸し出していた。


 この怪しい男が麗香を虐待し、行方不明になった原因と言う事は十分考えられる。


 こうして…この日は麗香に会えず仕舞いで、心配ではあったが家に帰った。


 ★☆

 麗香は中学受験で私立の雄K大学附属中学に合格出来て意気揚々と通学し出した。寂しさはあったが、何より第一志望に合格出来て寂しさより嬉しさの方が勝って麗香の幸せだけを願い、自分の気持ちは腹に収めた。


 また麗香の事だから何かあれば絶対助けを求めてくるに違いない。きっとそんな余裕があったから例え学校が変わったとしても余裕でいられたのだと思う。


 それでも通学班最後の登下校日私はとても寂しかったが、いつもの公園で通例の二人歌謡ショ―の始まり始まり。


 あの時代は芸能界が燦然と輝いていた時代。

 その中でもピンク・レディーは数々の偉業を成し遂げた日本の女性デュオ。1970年代後半、斬新な振付と衣装を伴ったユニークなヒット曲の数々で、アイドルとして爆発的なブームを巻き起こした。 1970年代末、 次々とメガヒットを連発し、お茶の間を釘付けにしたピンク・レディー。 5曲連続ミリオンセラー達成。 さらにシングルチャートにおける通算首位獲得回数63週は、未だ破られない記録。


 その先駆けと言っても過言ではない歌謡界の先駆者達も大勢いた。そうなのだ。麗香と豊が小学六年当時の1969年も色んな流行歌が流行った。


 ピンキーとキラーズの『恋の季節』 は1968年の流行歌だったが、延々ロングランを達成して1969年にかけて人気が続いた名曲中の名曲。

 

 あの当時山高帽(ダービー・ハット)と言って 男性の礼装用帽子のひとつで、17歳のピンキーと若者なのにオヤジ臭満々の男性たちキラ―ズの組み合わせ「ピンキラ」の愛称で国民的人気を博したグループだった。


 絶妙なイントロと山高帽にパンタロンスーツというユニークなファッション、思わず真似したくなるようなカッコイイ振り付けと、誰も彼も、もうすっかり「恋の季節」にハマッてしまい、 “夜明けのコーヒー♪” の意味も分からぬままに来る日も来る日も、豊と麗香は黄色い通学帽を指先で押さえて、傘をステッキ代わりにしてピンキーのモノマネをしていた。


「嗚呼…豊あなたキラ―ズね!」

「ああんイヤだ。オヤジかよ?」

「いいの!いいの!じゃあ私がピンキ―やるから」

 

 お姫様には逆らえない。それでも唯一無二の時間だった。


 そうそうピンキラは特に “死~ぬまで私を~♪” のところで帽子に手を置いて足をクロスさせる動きを豊と麗香は、好んで何回も繰り返した。


 こうして時間が経つのも忘れて二人はピンキラのパフォーマンスを真似て歌った。更には他の名曲も、いつも時間が経つのも忘れて夢中になり歌った。さほど上手くもないのに、有頂天になりスター気分に浸っていたあの頃をふっと思い出す。

 

 1969年には今尚語り継がれる名曲の数々があった。『夜明けのスキャット』 『港町ブルース』 『ブルー・ライト・ヨコハマ』 『黒ネコのタンゴ』『時には母のない子のように』等が流行した。


 ★☆

 そして思い切り歌って踊った後は、勇気を出して麗香の私に対する気持ちを聞いた事があった。

 

 あの時も、もう身長が伸びてかったるいブランコに二人はゆらゆら揺られながら、他愛もない話をしながらブランコに揺られていた。


 私は自分の気持ち麗香と会えなくなる寂しい気持ちをいつ告白しようか、モジモジして言葉が中々出なかったと、その時麗香が急に妙な事を話した。


「私本当はね、豊にだけは話すけど…あの田所邸が大嫌いなの。安心出来る豊の家の子供になりたい。フフフ」


 私は今の今までモジモジ勇気を出せなかった勇気のない自分に、なんて無駄な事を考えていたのか、つくづく自分の臆病さとバカさ加減に嫌気が差した。


 これからは今までのように一緒に登下校出来なくなるので、今の自分の思いを思う存分打ち明けようと思った。そして…早速勇気が出た私は自分の思いを話し出した。


「麗香ちゃん嬉しい事言ってくれるね。麗香ちゃんまた今まで通りゆかりちゃんと僕の友達賢治を誘って、夏休みとかに会おうよ!」


「良いわよ。フフフ」


 やっと自分の気持ちも話せてまた麗香との時間は続くものだと、喜びで一杯の私だったが、その時またしても…見てはいけない麗香の変化を見てしまった。


 それはもう夕方になり風が吹き出した時だった。髪で覆われていた頬から首筋が目に飛び込んで来た。


 なんと麗香の頬から首筋にまでが真っ赤にただれて傷口が深くなっているのが見えた。余りの傷口の広がりにびっくりを通り越して、麗香に何か空恐ろしい何か途方も知れない何かが、忍び寄っている事を暗示していた。

 だが、麗香にそんな事を言えば怒るし……。

 どう対処したら良いものか?分からなくなってしまった。


 こうしてやがて事件は起きる。



 ※インフルエンザワクチンは昭和26年頃から使用され始め、発熱などの副反応を少なくするための改良が続けられています。

1957年のアジア風邪ウイルスによるインフルエンザの流行を契機に、本格的なワクチンの接種体制が整備されました。

1962年からは小、中、高校生を対象にしたワクチンの集団接種が開始されました。

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