第5話 慕情

 私が幼い頃から東京の空はどんどん灰色の空と化して行った。


 高度成長期に突入した日本は1960年頃から、長く工場や自動車の排気ガスなどによる大気汚染に悩まされてきた。そして、住民による訴訟も多く発生した。


 戦争の足音すら聞こえなかった遥か昔の東京は、青い空がどこまでも広がり、緑の大地に美しい花々が咲き誇る緑豊かな場所だったのに、本来の青い空、鳥のさえずり、キラキラ輝く太陽に御目にかかられなくなった東京。


 有り難くない話だが、有名どころで言うと、1960年代に発生した、四大公害病のひとつ、四日市ぜんそくの訴訟。また1980年代には、神奈川県で「川崎公害訴訟」が起き、京浜工業地帯の影響でぜんそくに苦しむ人たちが、国や電力会社等を相手に提訴して、約14年かけて闘った訴訟。勝訴により、大気汚染物質の排出規制が認められ、少しずつ空気がきれいになっていった。


 そして、「東京大気汚染訴訟」。これはそれほど昔ではないが、1996年に道路公団や多くの自動車メーカーを相手に提訴された。その過程で、PM2.5の規制が始まり、東京の空気はどんどんきれいになっていった。

その甲斐があり、現在は、この数十年の中で一番、空気はきれいだ。


 ★☆


 そうなのだ。麗香とは通学班が同じだった事もあり、この後思いも寄らない皆が羨む展開に発展して行く事になる。


 だが、それとは裏腹に東京の空は急激に本来あるべき美しい青い空を奪って行った。


 麗香は文京区大塚小学校一の美少女だったが、どこの学校でも基本的に校則で禁止されている車で送り迎えだったが、麗香の場合は日本有数の大企業の社長のお孫さんという事で、何かあっては危険という事で運転手付きの黒塗りの高級車での送り迎えだった。


 それでも…たまには集団で登下校する事も有った。そんな時誠に有り難い事に、家の方向が一緒で同級生という事もあり、途中から私と麗香が二人きりになる時があった。


 そんな時に途中の公園のブランコに二人で揺られながらほんの少しだが、話をしたものだ。


「麗香ちゃんはおうちで、何してるんだよ?」


「何してるって……習い事よ。ピアノにお習字でしょう。それにお勉強よ」


「おばあさんも亡くなっておじいちゃんと二人きりで寂しくない?」


「寂しいわよ。でも…おじいさまがペットの犬🐶や猫🐱を私の為に飼ってくれたので…今は全然寂しくないわ」


「一度友達と東京タワー🗼に遊びに行かないかい?」


「わぁ~い嬉しい😃💕おじいさまに聞いて見るわ」


「ねぇ?麗香ちゃんはテレビ見る?」


「うん。見るけど…NHKだけ」


「えええええぇぇええええええっ!それって人生終わってる。だって、今テレビではアニメブ―ムで鉄腕アトムや鉄人28号巨人の星等面白いアニメ満載だよ」


 そう言うと、麗香はとても寂しそうだった。可哀想に思った私はある日家に遊びにおいでと言った。


 それはもう麗香が転校して来て随分後の事だ。

 麗香は普通の子供が夢中になるあの当時の漫画やアニメなど何も知らなかった。それだけ日本有数の大企業の社長さんともなると教育熱心なのだなぁと、その時は思ったものだが、実はそこには……?


 ★☆

 こうして麗香は豪邸ではとても味わえない庶民の生活を体感する事となった。度々私の家にやって来ては、極々平凡な庶民の家庭を体感しては帰って行った。

 

 あれは確か…最初に家に来た日はテレビ番組で、丁度大人気番組巨人の星が放送される日だった。放送時間が夜の7時からなので残念だが、時間が遅すぎるので麗香は多分7時に始まる巨人の星は見る事が出来ないと思っていた。

「もう遅いからさ、社長さんが心配するから帰りなよ」すると麗香は言った。


「おじいさまは仕事で今日は帰って来ないの」

すると母がすかさず言った。


「夕食家で食べて行きなさいよ」


「あっ!有り難うございます」

 待ってましたとばかりに、そう言って図々しく夕食を食べながら家族で巨人の星を見る事になった。


「巨人の星」が良かったのか、はたまたざっくばらんな気取らない食事に思いの他惹かれたのか、それからというものおじいさんの目を盗んで、家に頻繁に押し掛けて来るようになった麗香。


 それでも…おじいさんがしょっちゅう忙しい訳ではない。怒られて二度と外出出来なくなっては困るので、そんな時は麗香がやって来た時はビデオテ―プに麗香の為に録音しておいたものを見せてあげた。


 実はあの当時珍しい一番初期のUマチック(ユーマチック、U-matic)というビデオテープレコーダがあったので早速、巨人の星がお気に入りだったので、ビデオテ―プに収めておいたのを麗香に見せてあげた。


 お陰様で父が会計士事務所を経営している事もあり買っていたのだ。



 ※Uマチック(ユーマチック、U-matic)ビデオ:家庭用として初めてカセットにテープが収められた、U規格ビデオテープレコーダのソニーにおける商標。テープ幅19mm(3/4インチ)のカセット・テープを使用する[1]。名称はそのローディングの形がUの字に似ていることからつけられたと言われる。 オープンリールと違い掛けかえなどのわずらわしさが無いカセット方式は、多くの人の注目を浴びる。80年代前半、学校教育機関にも多く採用された。


 ★☆

 「巨人の星」に味を占め麗香は、この後しょっちゅう遊びに来るようになった。


 私にすれば願ってもない話。余程面白かったらしい。麗香との時間は夢のように過ぎて行った。


「きゃ―――面白い。豊君明日も学校の帰りに豊君の家に寄ってもいい?」


「嗚呼……勿論だよ!」


 あの当時の芸能界は華やかかりし時代で、老若男女テレビに釘付けだった何よりテレビが輝き面白かった時代。何もアニメだけではなかった。当時の歌謡界は御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)三田明も凄い人気で、人気を二分していた。


 更に時を超え新御三家(しんごさんけ)は、1970年代にトップ男性アイドル歌手として歌謡界を席巻した、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎だ。


 また女性歌手では「南沙織、小柳ルミ子、天地真理」たち三人娘が爆発的人気だった。天地真理等笑顔がテレビの画面を独占した。


 更に忘れてならないのが「GS」1960年代に日本中で社会現象を巻き起こしたグル:プサウンズ。


 ブル―コメッツ、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどだが、私がまだ小学に上がったかどうかの時に華々しく現れて消えて行った。GSブーム全盛期は1967年で、「GS元年」とも呼ばれた。


 麗香はアニメだけでは飽き足らず歌謡曲にも夢中になり、三人娘や御三家ではなく新御三家に夢中になった。やはり女の子だ。


 憧れのアイドルをテレビを通して声援を送り、時には二人で当時流行った歌を思う存分歌った日の事を昨日の事のように思い出す。


 危険な二人も歌ったし君の瞳は100万ボルト、そうそうユ―ミンもよく口ずさんだ。あの日に帰りたい、学生街の喫茶店、我が良き友よ、夜明けのスキャット、サボテンの花、いいじゃないの幸せならば、伊勢佐木町ブルース、夜霧よ今夜も有難う、学生時代、アカシアの雨がやむとき、可愛い花、柔(美空ひばり)など。


 そう歌謡界の女王美空ひばりも、二人でよく歌ったが、自分たちの実力のなさを思い知らされる残念な結果となったが、そんな事お構い無しに無鉄砲に難解な曲に手を出し、いい気になっていた事を昨日の事のように思い出す。


 あんなに楽しい日々は二度と訪れない。


(麗香君はどこに消えたんだい?)



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