第3話 無国籍者たち


「西沖電気」は戦後焼け野原となった東京でこれからどう生き延びて行こうか必死に考えた。折角開発した家電品をみすみすドブに捨てるような真似は絶対にしたくなかった。何とかこの難局を乗り換えなくては……。

 

 そんな時に日本有数の暴力団山城組組長から、話を持ち掛けられた。


「無国籍者を利用して金儲けをやるってのはどうでっか!奴らは戸籍が無い。そんな戸籍の無い連中に働き口なんて…ありませんぜ。ただ同然でこき使い、後はこちとらに回して貰えば女は売春婦として売り飛ばしますし、男はうちの組員なり…どんな使い道も有りますから……」


 戦後のどさくさに紛れ、フィリピンから父のふるさと求めて密航して戸籍復活の為、日本に渡った無国籍者が想像以上に多い事を知っていた山城組長は、これからは家電会社の社長とお近付きになるのが得策と考え、早速近付いて来た。


 そうなのだ。この後日本の家電製品が世界を席巻する事になる。



 田所社長はこの頃丁度戦後で工場も跡形もなく消え去り、にっちもさっちも行かない状態だったので、その話に乗った。


 東京でも誰も寄り付かない人目に付きにくい場所を敢えて探し出して、最安値の土地を購入し、中国、韓国、フィリピンの無国籍者をそんな辺鄙な山奥に閉じ込め、安いただ同然の賃金でこき使い、タコ部屋労働をさせた。


 ※(タコべやろうどう)は、主に昭和中期に北海道の非人間的環境下で労働者を身体的に監禁・拘束して行われた過酷な肉体労働である。タコ労働とも呼ばれる。これに類似した状況は九州の炭田地帯の納屋制度にもみられた。


「西沖電気」はこれは得策と考え仕事の労力として無国籍者たちを利用した。

 

 ★☆

 無国籍者は何もフィリピン人ばかりではない。戦争の爪痕、恋愛模様が災いして多くの無国籍者を生み出していた。


 中国と韓国が戦時中に強制連行され、強制労働の為に日本やって来たが、その中には女性も多くいた。「慰安婦」たちだ。例え売春婦で有っても中には、日本人と恋愛し子供を身籠る女性もいた。こうして誕生した子供は無国籍者となった。


 

 また、高度成長期「30年度(1955年度)から昭和47年度(1972年度)」 日本には多くの外国人が日本に出稼ぎ目的でやって来た。

 

 移民の主な理由は、求職や貧困だ。自国でお金を稼ぐことが難しく生きづらいため、他国に移動して手に職をつけ、貧困から脱しようとしているのだ。


 先進国日本に移民としてやって来た、少女や女性たちは日本人と愛を育むが、既婚者だった場合、誕生した子供は無国籍者となってしまう。


 ★☆

 歴史を紐解くと思わぬ現実が見えて来る。第二次世界大戦は多くの人々の人生を狂わせた。その中で歴史の渦に翻弄されたフィリピン人も多くいた。昨日までは味方だったが、今日は敵。


 この第二次世界大戦でフィリピンでは無国籍者を多く生み出していた。


 ダバオ市は、フィリピン南部のミンダナオ島にある海に面した都市。ダバオ川の河口に上陸した一握りの日本人移民達が、やがてアバカ王国と言われるほどの一大産業の礎となって行った。


 ミンダナオ島に今から百余年前に日本人が移住を始め、1930年代には約2万人の日本人が住みつき、マニラ麻を栽培、加工し、農業分野として当時、最大の輸出額を誇る産業にまで成長していた。


 彼らの成功は、共存共栄と言う信条と実践に導かれ、例え小さな、非力な始まりであったとしても、双方が共に栄える為の努力は必ずや実を結ぶ。その心情で日本人とフィリピン人は協力し合い頑張っていた。だが、戦争で事態は一変する。



 そんな時代の狭間で戦時中はミンダナオ島の男たちは兵士として戦争に駆り出され1945年8月15日終戦に伴い、ミンダナオ島の日本人は行き場を失った。フィリピン人女性と結婚して子供まで儲けたが、父が日本に帰還してしまい、更には敵国日本人との間に誕生した子供たちは無国籍となってしまった。


 その理由はこうだ。

 79年前、日本の降伏によって終結した第2次世界大戦。しかし、今もなお、「戦後」を生きている人々がいる。戦前、移民の送り出しに積極的だった日本政府の方針の下でアメリカ統治下のフィリピンにわたり、道路建設やジャングルの開墾、農園の経営などを担っていた日本人の男性と、フィリピン人の女性が結婚して生まれた子どもたちだ。


 最盛期には3万人とも5万人とも言われる人々が海を渡り、現地に根付いていた日系人社会は、戦争の勃発と日本軍の侵攻によって崩壊した。生活の場は戦場に一変。男たちは、昨日まで隣人や親戚として仲良くしていたフィリピン人と戦うことを強いられ、そのまま前線で命を落とす者が多かった。生き残った者も、反日感情の高まりから抗日ゲリラに殺されたり、米軍の捕虜となり日本に強制送還されたりした。


 一方、日本の名前を付けられ、現地の日本人学校に通い、日本人として教育を受けていた幼子たちは、母親とフィリピンに残され、身を守るために母親の姓を名乗り、人目を避けて山の中でひっそりと生きざるを得なかった。別れた時の年齢によって、父親と日本語で会話していたことや、父親が歌ってくれた日本の歌のメロディーを覚えている者もいれば、物心がついて母親や親戚から聞かされるまで自分が日本人の子どもであることを知らなかった者まで、さまざまだ。


 歳月が流れ、80歳を過ぎたかつての子どもたちには、今も戸籍がない者がいる。それは当時アメリカの植民地だったフィリピンは、終戦後。敗戦国日本の血を引いていることを隠すために、母親が婚姻契約書や出生証明書、洗礼証明書を焼いたり、市役所や教会が破壊されて書類が残っていなかったりして、身元を証明することが難しいためだ。戦争によって家族が引き裂かれ、無国籍の状態に置かれてきた「フィリピン残留2世」たちは、「父と同じ日本人として認めてほしい」と願い続けながら、今も戦後を生きている。


 それは戦争で父が命を落とし探しようがない。

 こうして無国籍の子供たちが誕生した。

 

 無戸籍者には、次のような困難が生じる。

 遺産相続ができない

 パスポートが取れない

 運転免許が取れない

 選挙権を行使できない

 銀行口座が開設できない

 進学に不便を強いられる

 家を借りることができない

 就職に不便を強いられる

 マイナンバーカードが取れない

 国家資格取得に不便を強いられる etc...


 ★☆

 実は、麗香は大企業「西沖電気」の社長の孫娘なのだが、ある日無国籍者の女性に呼び止められ強引にある場所に連れて行かれてしまった。

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