第二十七話 忘れられたエメラルド(上)

「ひっひっひ。なんだいレルジェ。お貴族様になったアンタがこんな場末の店に何の用だい? 欲しいものがあったらいくらでも御用商人を呼びつければ良いじゃないか」


 リュグナ婆ちゃんは予想通り皺の多い顔を歪めて笑った。今はまごう事なきしわくちゃ老婆だけど、昔はかなりの美人商人だった事を私は宝石の記憶で視たから知っている。


 ばあちゃんのペースに乗せられてしまうと、何を売り付けられるかわかったものではない。私はズバッと本題を切り出した。


「炎のトパーズ。知っているわよね?」


「ひっひっひ。知らないと言ったらどうするね?」


「知っている筈よ。院長先生が貴女に売ったと言っていたもの」


 婆ちゃんは怪しく笑いながら細い灰色の目で私を観察していた。鉄壁の愛想笑いだ。伊達に五十年も宝石商人をやってはいない。商人にとって相手に顔色を読ませない事は初歩の初歩なのだ。


「なるほど。それは嘘は吐けないね。知っているとも」


 私は婆ちゃんの言葉に僅かにホッとした。知らないと言い切られたら炎のトパーズへの道はここで途切れてしまう。


「婆ちゃんならあの石がただのトパーズじゃ無い事は分かるでしょう? あれはやんごとなき方の大事なものなの。買い戻したいから在処を教えて」


 皇族の秘宝である事は伏せる。皇族の秘宝が紛失し、その理由が皇兄が盗み出したからだなんて、ほぼ醜聞であり、あんまり言いふらして良いものでは無い。


 ただ、リュグナばあちゃんはサイサージュ殿下にすり替えるための宝石を売っているのだし、何もかも事情を察している可能性はある。


 リュグナ婆ちゃんはカウンターの上に出していた皺の多い、しかし繊細な仕事を長年し続けていた事を示すしなやかな両手を擦り合わせながら、実に楽しそうな口調で言った。


「レルジェ。それは出来ない相談だよ。アンタも知っているだろう? 在庫情報、顧客情報は宝石商人の生命線だ。それをペラペラ話す奴はいないよ」


 私は押し黙ってしまう。確かにその通りだ。


 非常に高額な商品である宝石を扱う宝石商人にとって、情報はある意味商品である宝石よりも大事なものである。


 宝石の仕入れルート、どんな石を在庫として所有しているか、どんな顧客と取引をしているか、どんな石を誰に売ったか。そういう情報は全て商人にとって何者にも変え難い貴重な財産である。


 特に顧客情報は、貴族を相手にするなら親兄弟にも明かせない重大な機密となる。なにしろ貴族の財産情報や愛人不倫関係などが、宝石商人の元には放っておいても続々と舞い込んでしまう。そういう情報をうっかり流出させてしまうえば、貴族から訴えられたり罰せられたりする理由になりかねない。


 私だって皇族の秘密を伏せたのだ。婆ちゃんが顧客情報を伏せた事は責められない。私は困り果てる。


「教えてくれればちゃんと報酬は払うわ」


「私は死ぬまで宝石を扱うつもりだよ。アンタに顧客情報をバラせばもう商売は続けられなくなるかもしれない。それを分かって言ってるのかい?」


 婆ちゃんがあと何年生きる気かは知らないけど、その年数分の年商相当の金額を払えという事だろう。質の良い宝石を扱うので有名な婆ちゃんの店だ。こんな狭苦しい店だけどいくら稼いでいるかなんて想像も付かない。


 しかもおそらく吹っかけてくるだろう。迂闊に「いくらでも払う」なんて言えないわよね。私はうぬぬぬっと悩んでしまう。


 そんな私を見て婆ちゃんは満足そうにひっひっひっと笑った。


「アンタも難儀な娘だね。偉くなったんなら上から命令すりゃいいのさ。お貴族様はみんなそうしてるよ」


「婆ちゃんがそれで言うことを聞く女ならそうするわよ。どうせ口先で誤魔化して素直に聞きゃしないくせに」


「そうでもないさ。お偉いさんに逆らうと命すら危ないからね。この私でも不本意な仕事を強いられた事はたくさんあったよ」


 確かに、今の私が権力を振り回せば、平民の商人に過ぎないリュグナ婆ちゃんなんてひとたまりもない。私の後ろに守るように立っていてくれるガーゼルド様が命ずれば、婆ちゃんを裁判無しに処刑して財産を没収する事さえ可能だ。


 しかし、そんな事はしたくないし、意味もない。それに権力を使って命ずるなんて事をすると、なんか婆ちゃんに負けた感があるじゃないの。婆ちゃんに負けているようでは、私はいつまでたっても一人前の宝石商人になれない気がするのだ。


 気合いを入れ直す私を見て、リュグナ婆ちゃんは満足そうに頷いた。


「そうだね。私ももうこの先そんなに商売は続けられないだろうよ。だからいつまでも秘密を抱えている事はないのかもしれないね」


 婆ちゃんは足元の箱をゴソゴソと探り、一つの小袋を取り出した。まさか、と思って見守る私とガーゼルド様の前で、婆ちゃんは小袋から一つの宝石を取り出した。


 一瞬、炎のトパーズかと期待したのだけど、婆ちゃんはそこまで甘くなかった。


 それは緑色の大きな宝石で、指輪の上に鎮座していた。おそらくエメラルドだけど、内容物も多そうだし、多分油を染み込ませる処理もしている。それほど飛び抜けて良い石ではない。


 私が不思議そうに首を傾げると、リュグナ婆ちゃんは楽しそうにひっひっひっと笑って言った。


「これはね。私が独立した頃に修理のために預かったものなのさ。相手は貴族でね。その頃はあまりお貴族様と取引がなかったから緊張したもんだ」


 謹んで修理の依頼をお受けして、無事に修理を済ませ、そのお貴族様が引き取りに来るのを待っていたのだけど……。


「どういう訳か引き取りに来なかったというわけさ」


 指輪を預けに来たのは従僕で、正確な家名は明かさなかったのだそうだ。それで追跡も出来ず、婆ちゃんはこの指輪を何十年も返す事も売る事も出来ずに持っているのだという事だった。


「老い先短い私にとっては、この指輪の事が心残りでね。良い機会だ。そのトパーズの情報と、この指輪の持ち主の情報を交換しようじゃないか」


「交換?」


「アンタなら分かるだろう? この指輪の元の持ち主の事が」


 ……私が宝石の記憶を視る事が出来る事は、リュグナ婆ちゃんには秘密にしてる。のだけど、婆ちゃんがそのくらいの事は察していないとは思えない。貴族とも付き合いの多い婆ちゃんなら宝石の記憶を視る能力について何か聞いていてもおかしくないし。


 背に腹は変えられないしね。私は仕方なく言った。


「この石の元の持ち主を突き止めたら、炎のトパーズの行方を教えてくれるのね?」


「ああ。取引の約束は守るよ。私は商人だからね」


 リュグナ婆ちゃんはそう言ってひっひっひっと笑ったのだった。


  ◇◇◇


 私とガーゼルド様はエメラルドの指輪を預かり、一度帝宮に戻った。皇太子宮殿のサロンでガーゼルド様は指輪を見ながら言った。


「悪くはないが、普通の指輪だな。ガラスコーティングもされていない。魔力はかなり籠もっていると思うが」


 皇太子殿下も興味津々という感じでエメラルドを見詰めている。


「ふむ。だが、かなり高価な品だと思うのだが、なぜその者は宝石商人の所に取りに来なかったのだ?」


「何か重大な事情があったのでしょうか?」


 ヴェリア様も興味深げに仰った。


 ここは皇太子宮殿なので、主人のお二人がいても不思議な事ではないのだけど、私が帰ってくるなり送ってくださったガーゼルド様のお帰りも許さず、一緒にサロンに呼び出されたのは、皇太子殿下が炎のトパーズの事情を知って詳しい説明を求めたからだ。


 それでガーゼルド様がこれまでの経緯をお話になって、私が件のエメラルドをお二人にお見せしたという訳だった。


「でどうだったのだ?」


 皇太子殿下にはご結婚の後に、私の能力の事はお伝えしてある。それ以来殿下は私に何かと宝石の記憶を見させようとして困ってるのだ。そんな無差別に他人の事情を読み取りたくはない。高位貴族の宝石には怖い記憶を持っている石があるし。


 しかし今回のエメラルドの記憶を読むのは炎のトパーズ捜索任務の一環だ。どんな記憶が隠れていようと読むしかない。しかし……。


「それがですね……」


 リュグナ婆ちゃんの店からの帰り道で、私は早速このエメラルドの記憶を読んでみたのだった。婆ちゃんの前でやらなかったのは、一応婆ちゃんには私の能力は内緒であるという建前は維持したかったからだ。


 皇族がらみの能力である私の能力について詳しく知る事は、平民であるリュグナ婆ちゃんにとっては必ずしも良い事ではない。これからの事情によっては機密を守るために始末されかねないのだ。


 しかし能力を使うこと自体は大して手間が掛かるような事でもない。私は揺れる馬車の中でエメラルドを「視て」みた。


 普通にいつも通り宝石からは色んな映像が流れ出して私の頭の中に飛び込んできた。バラバラ、順不同なそれを整理してみたのだけど……。


 ……外国で採掘されて磨かれたこの石は、海を渡って帝国に入ってくると、最初はペンダントに加工される。そして最初の所有者はすぐにそれを商人に売ってしまう。


 商人を何人か経由して、また今度は貴族女性が所有者になるのだが。所有期間はそう長くはなく、また商人の手に渡る。そこでブローチに加工されて……。


 と石は何度も何度も所有者を変え、商人の間を渡り歩き、何回も加工された。これはこのエメラルドがさほど珍しいという程の大きさとクオリティではなく、秘蔵するほどの魅力を誰も感じなかった事を意味する。


 しかし十分に高価な石でもあったので、財政上の都合で何度も売り払われる事になったのだろう。


 そうしておそらく採掘されてから百年程経った頃、ある貴族がこの石(既に指輪になっていた)を入手した。そして程なくそれをリュグナ婆ちゃん(確かにまだ若い頃だったわね)が受け取る。


 そして以来五十年くらい婆ちゃんの手元にあったようだ。何度か婆ちゃんがこの石を手に取ってジッと見ている映像が浮かんだ。だんだん年齢を深めて行く婆ちゃんだが、この石を見る目はいつもなんとなく悲しそうだったわね。


 ……これが石の来歴の全てで、特に何も変わった事があるようには見えない。婆ちゃんの依頼は、婆ちゃんに修理を依頼した貴族に石を返す事だから、最後の所有者である貴族を探せば良いという事になる。


 なんだけど……。


「あまりに所有期間が短かった上に、それほど着用の機会もなかったせいで、その貴族の家名が分からないのです」


 私の能力は、持ち主が宝石を持つ、着用するなどした時に石に記録された(持ち主の魔力が流れ込むかららしい)記憶を読み出すものだ。なので、仕舞いっぱなしだったり、あんまり着用していない石からは多くを読み取ることが出来ない。


 今回の場合もそれで、この宝石の最後の所有者の貴族に関しては、分かった事が非常に少なかったのである。


「持ち主のご令嬢が『リーゼ』と呼ばれていたこと。伯爵邸くらいの規模のお屋敷に住んでいた事。そのお屋敷の庭に大きな杉の木が立っていた事。分かったのはそれくらいです」


 他にも雑多な事は視えたけども、身元の特定に繋がりそうな記憶はそれくらいだった。私はちょっと頭を抱えてしまいそうになったわよね。


 考えてみればあのリュグナ婆ちゃんがそんな簡単な課題を出す筈が無かったのだ。この間のエベロン大王のルビーの時もそうだけど、自分の手に余るような問題を抱えた石をこれ幸いと投げて寄越したのに違いない。


 おのれどうしてくれよう。私が歯軋りしそうになりながら悩んでいると、ガーゼルド様が意外な事を仰った。


「ふむ、庭に杉の大木がある屋敷と言えば、ファクタージュ伯爵邸であろう」


「え?」


 私は思わず顔を上げてガーゼルド様を見つめてしまう。彼は優しく笑って言った。


「貴族は自分の屋敷に特徴を付けたがるものだ。庭に滝を造ってみたり、珍しい植物を植えたりな。ファクタージュ伯爵邸の大杉もその一つだ」


 お屋敷にそういう特徴を付与する事で、家名自体もに特徴を持たせる為だという。ファクタージュ伯爵家の家紋にもその杉が描かれているのだそうで、杉といえばファクタージュ伯爵家だというのは結構有名な話であるという。


 私は目をパチクリしてしまう。意外なところから所有者の家名が判明したものだ。私はまだまだそういう貴族の常識を知らないのだなぁと思ったわね。


「そのファクタージュ伯爵家に五十年くらい前にいらっしゃったリーゼと呼ばれていた令嬢を探せば良いという事ですね」


「ああ。そういう事になるな」


 私は心の底から安堵した。ようやく炎のトパーズの行方にたどり着けそうだ。長かった……。と気を抜きかけた私に、皇太子殿下が冷や水を浴びせる。


「安心するのはまだ早いぞレルジェ。その宝石商人はどうしてそんな交換条件を出してきたのだ」


「……というと?」


「その宝石商人は本当に炎のトパーズの行方を知ってるのか? 知らないから誤魔化すために無理難題を言ってきたのではないか?」


 皇太子殿下の懸念には一理ある。確かに、リュグナ婆ちゃんとしては別に炎のトパーズの情報を抱えていてもこの先あまり良い事はないのである。モノが皇族の秘宝だけに、事情に下手に巻き込まれると平民の婆ちゃんの店など簡単に婆ちゃんごと闇に葬られかねない。


 それが分からぬ婆ちゃんではないだろう。程々の礼金をせしめて情報を売って

これ以降の関わりを断つというのが、平民的な賢い立ち回りというものだ。


 お貴族様相手に変な交換条件を出すなんて、相手が旧知の私でなければ、激怒して婆ちゃんを処罰すると言い出すところだ。その辺は私とガーゼルド様の人を見たのだろうけども。


 ただ、私は婆ちゃんがトパーズの行方を知っている事は既に確信していた。あの婆ちゃんはそういう嘘を私に吐く女ではない。この辺は同じ女商人としての阿吽の呼吸という奴だ。


 しかし、それならそれで、今回のこのタイミングで、なんでこのエメラルドの謎を解かせようとしたのかは気になる。きっと何か理由があるのだろう。


 私はとりあえずその大きな杉のあるというファクタージュ伯爵家に向かう事にした。


  ◇◇◇


 ファクタージュ伯爵家のお屋敷は帝宮のほど近くにあり、これは家としての歴史が長い事を意味する。新しく貴族に加わった家は、元々あるお屋敷街の外側に屋敷を付け足すのが普通だからね。


 門からでも庭園にボーンと大杉が聳えているのが見えた。あの高さは百年やそこらで育つ高さではない。おそらくお屋敷がここに構えられてからもう何百年も経っているのだろう。そういう歴史を誇示する効果もあるんだろうね。


 実際、よくよく聞けば帝国貴族の中でも有数の歴史を誇る大貴族なのだそうだ。なのでガーゼルド様も皇太子殿下も大杉と言われてすぐに分かったのだろう。


 ただ、ここ何十年かはそれほど家に勢いがなく、帝国の政治に関わるような人物も輩出されておらず、もっぱら領地の統治に専念しているらしい。貴族の世界も結構競争や栄枯盛衰が激しいのだ。だから勢力争いや足の引っ張り合いが多いんだろうね。


 近年ではあまり皇族と関わることもなかったらしく、ガーゼルド様が訪問したいと申し入れたら「皇族の方が何の用なのか」と大分訝られたらしい。訪問の理由については明かせなかったので、どうしても相談したいことがあるということでなんとか了承をもらったのだそうだ。


 ファクタージュ伯爵家当代当主はフェリソン様といい、年齢は六十歳くらい。貴族は六十歳くらいで当主の座を譲って隠居する事が多いから、そろそろこの方も引退を考えているかもしれないわね。少し太めで白くなった髪も薄くなっている。あんまり強い印象を受ける方ではなかった。


 フェリソン様は私とガーゼルド様をあからさまに困惑した様子で出迎えた。挨拶を交わしたのだけど、私に対するお作法は完全に皇族に向けるもので、これはフェリソン様が私とガーゼルド様の関係を完全に承知して受け入れている事を示す。全く皇族の事情に無知というわけではないようだ。


 テーブルを挟んで座り、少し時候の話などをした後、私は小箱を取り出して中に入っているエメラルドの指輪を見せて言った。


「この指輪を、どうやらファクタージュ伯爵家の方が紛失しなさったようなのです。それが発見されたのでお届けに参りました。五十年程前にリーゼという方がお持ちだったようです」


 出所を誤魔化すためにかなりぼかした言い方をする。そのせいでフェリソン様の困惑は深まってしまったようだ。


「当家の? リーゼ? 事情が良く分かりませんが……。五十年前では知っている者も……」


 それはそうだ。五十年前ではフェリソン様は十歳前後。成人前の子供である。貴族の子供は乳母に育てられ、親とさえあまり関わらない事も多いらしい。


 エメラルドを婆ちゃんに預けた令嬢は見た感じ十代後半から二十代前半だった。フェリソン様が嫡男であるとするなら、年代的には父親の妹位の世代である。叔母であるならあまりフェリソン様とは関わらなかった方かもしれない。


 家の記録などを調べてもらう必要があるかもしれないが、そこまでしてもらうとなると、こちらも詳しい事情を明らかにする必要が出てくるだろう。皇族の秘宝に関わる話なので、どこまで明かしてよいものか。


 私が内心で悩んでいると、フェリソン様が「ああ」と言った。


「そうだ。母なら知っているかもしれません。おいルーリア。呼んできてくれ」


 フェリソン様の言葉に、控えていた老侍女が一礼して部屋を出ていった。ガーゼルド様が驚きを含んだ声で言った。


「お母上が健在なのか?」


「ええ。七十を超えていますが、まだまだしっかりしています。母なら五十年前の事も分かるでしょう」


 七十歳以上なら、当時二十歳を超えていて、そのリーゼというご令嬢よりやや上の世代だ。ファクタージュ伯爵家に嫁入りして来られたにしても、既にこのお屋敷にお住まいだった筈だ。これは期待が持てる。


 やがて、ルーリアという老侍女に手を引かれて、フェリソン様のご母堂がいらっしゃった。腰は曲がり、歩みはゆっくりとだったけど、足取りは確かだったわね。


 髪は真っ白。お顔には深い皺がびっしり刻まれていた。グレーの瞳が私とガーゼルド様を見て柔和に細められる。


「これはこれは。若き皇族の方々のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます。足が悪くて、跪けずに申し訳ございません。前ファクタージュ伯爵夫人、イルメーラと申します」


「こちらこそ、お呼び立てして申し訳ございません」


 私は立ち上がってイルメーラ夫人の手を引いて用意された席へと導いた。


「これは、もったいない。皇族の方に……」


「私はまだ皇族ではありませんし、年長者は敬えと教えられましたから」


 イルメーラ夫人に席に着いてもらい、私も座り直すと、私は早速エメラルドの指輪を取り出し、もう一度フェリソン様に説明したのと同じ事を言った。


 効果は劇的だった。


「……リーゼと申されましたか!」


 イルメーラ夫人はグレーの目を大きく見開いて呆然と呟いた。


「ええ。多分、明るい茶色髪で瞳は深い青だと思います」


 私がエメラルドから視た人相を伝えると、イルメーラ夫人は「おおお……」と呻いた。そして皺だらけの震える手を伸ばして、エメラルドを手に取った。


「……間違いありません。リーゼのエメラルドです。こ、これをどこで……」


「……宝石商人が修理のために預かっておりました。預けたまま、引き取りに来なかったと」


「……なんと……」


 イルメーラ夫人はなんだか愕然とした表情でじーっとエメラルドを見つめていた。フェリソン様が母親のただならぬ様子に戸惑いの声を上げる。


「どなたなのですか? リーゼとは」


「……貴方が知らぬのも無理はありません。貴方の成人前に我が家とは絶縁されてしまいましたから……」


 絶縁とはまた穏やかでない。貴族というのは血縁を非常に大事にする。そのため婚姻が非常に重要視されるのだ。親戚関係を広げる事は、すなわち家の勢力を広げる事に繋がる。


 そんな血縁を重視する貴族社会で、家から絶縁されるというのは大事件である。家と縁が切れるという事は、貴族でなくなるということと同義でだと言えるからだ。


 貴族令嬢が絶縁されて貴族でいられなくなるというのはつまり、貴族社会から追放されたという事だ。


 え? ちょっと待って。という事は……。


「その、リーゼ様は今……」


 イルメーラ夫人は悲しげに首を横に振った。


「分かりません。絶縁され、家を追放されてからどうしているのかは、さっぱり……」


 がーん、である。なんとここに来て道が途切れてしまった。ファクタージュ伯爵家でもリーゼ様の行方が分からないのでは、もう追跡は不可能だと言って良い。私は呆然としてしまったのだけど、私の耳元でガーゼルド様が囁いた。


「落ち着け。あの宝石商人は持ち主の行方を探してくれと言ったのだ。行方不明でも十分突き止めたと言える。それに、このエメラルドが個人の持ち物ではなく、家の持ち物だったとすれば、伯爵家を突き止めただけで十分という事になる」


 ……あの婆ちゃんがそんな屁理屈を受け入れてくれるかは分からないけど、そう強弁するしかなさそうだ。しかし、とりあえずもう少し事情を確認しておく必要があるだろう。


「その、差し支えなければ、そのリーゼ様がどうしてそのような事になったのか。それとこのエメラルドとの関わりについて教えて下さいませんか?」


 私の言葉にイルメーラ夫人は息を細く長くフーッと吐きながら天井を見上げた。


「そうですね。これも何かの縁です。あの娘の為にも聞いて頂いた方が良いかもしれません。皇族がらみのお話ですから、他にはあまり話せませんので」


 なんと皇族に関係する話であるらしい。それならあながち私もガーゼルド様も無関係ではないのかもしれない。


「リーゼ。メムリーゼは夫の末の妹です。私より八歳年少で、嫁いできた私にも懐いてくれて、私にとっては妹みたいな存在でした……」


 そう語り出したイルメーヤ夫人のお話は、私の心に強い印象を刻みつける事になる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る