第二十五話 水色の宝石の謎(後)
私の言葉はルレジェンネ様の意表を突いたらしい。トパーズ色の目がまん丸になってしまった。
「……なんですか。それは」
「私がお話しした事は、色々な方にお話を伺って作り上げた推測です。ですから間違っている可能性もあるのです」
「それはそうでしょうけども……」
ルレジェンネ様は困惑していた。彼女は私の説明で納得しつつあったからね。
それはとりも直さず私の推測とルレジェンネ様の推測が似通っていた事を示している。自分の想定と似ていれば、それは納得し易くなるわよね。
私の目的はルレジェンネ様に納得してもらい、炎のトパーズについての情報を引き出す事なのだから、何も納得しかかったルレジェンネ様を今更困惑させる事はないのかも知れない。
しかし、私はあえて言った。
「ロイヤルブルームーンストーンの石言葉は『幸運』『純粋な愛』『愛の予感』です。そもそも愛の告白のために送る石としてはピッタリな宝石なのです」
他にも未来を指し示すという意味もある。これらの意味をサイサージュ殿下が知っていたとすれば。
「サイサージュ殿下はカーライル殿下と分かれて傷心されていたルレジェンネ様にこれを贈る事で『私と新しい恋をして未来へ向かいましょう』と仰ったと考えられますね」
ルレジェンネ様は目を瞬いた。
「……随分ロマンチックな推測ではなくて?」
「もともとロイヤルブルームーンストーンはこの上なくロマンチックな石ですよ」
女性を象徴する月の名を冠した宝石で、しかも丁重に扱わないとすぐに砕けてしまう。男女の繊細な関係を象徴する石。それがロイヤルブルームーンストーンなのだ。
「初代皇妃陛下も、初代皇帝陛下からこれを贈られたのでしょうけど、それだけでどれほど想われていたのか、大事にされていたのかが伺えると思いませんか?」
そう考えたサイサージュ殿下は、自分の月に捧げるために、わざわざ繊細な扱いが必要なロイヤルブルームーンストーンをリカットしてルレジェンネ様に贈ったのだ。繊細な宝石を大事に扱う事には、贈る相手を大事にするという意味が込められている。
「そもそも、ルレジェンネ様はこれが初代皇妃陛下遺愛の品だとご存じありませんでしたね? それでは私が先ほど推測した『貴女を皇妃にする』という意味がルレジェンネ様に伝わりませんでしょう?」
という事はサイシャージュ殿下は最初からそんな意味をこの石に込めてはいなかったという事になる。
となると後に残るのは、サイサージュ殿下の純粋な想いだ。ルレジェンネ様に対する熱烈な愛情である。
「サイサージュ殿下は最初からルレジェンネ様の事が気になっていたようですよ」
これは皇妃陛下やユリアーナ様が仰っていた。サイサージュ殿下はほとんど貴族子女との交流はしなかったし、積極的にアピールする質ではなかったからほとんど誰にも気付かれていなかったようだけど。
もちろんルレジェンネ様本人にも気付かれていなかっただろうし、本人も気付かれないようにしていたに違いない。なにしろ弟のカーライル殿下の恋人だったんだからね。ルレジェンネ様は。
しかし、カーライル殿下との関係がやむを得ず終わる事になった時、サイサージュ殿下は我慢が出来なくなったのだろう。このロイヤルブルームーンストーンを贈る事で愛情を露わにしたのである。
「そして、サイサージュ殿下が自分の支持者と図って運動していたのは、自分が皇帝になるためではなく、皇族として独立する。新たな公爵になる事だったようです」
皇兄というのは立場が微妙である。本来皇帝になるべきだった人物だけに疎かには扱えないのだけど、権力を持たせ過ぎると次代への不安要素にもなる。
なのでリキアーネ様がサイサージュ殿下に結婚を禁じたのは。意地悪ではなくカーライル殿下の御代の安定のためだった。リキアーネ様はサイサージュ殿下の事は普通に我が子として愛していらっしゃったらしいのだけど、親子の情愛よりも帝国の安定を優先したのである。
しかしサイサージュ殿下はルレジェンネ様と結婚して公爵家を興す事に拘った。それはルレジェンネ様の将来を案じたからだったのだろうね。
公妃になれば公的な身分を得る事になり、もしもサイサージュ殿下が早逝されてもルレジェンネ様の身分は安泰だ。しかし、もしも身分が愛妾に止まれば、途端にルレジェンネ様の将来は不安定になる。
サイサージュ殿下はご自分の寿命が長くない事を知っておられたのだろう。彼はルレジェンネ様の為に父母と争ってまで公爵位を求めたのである。
「しかし、サイサージュ殿下の願いは叶いませんでした。結婚は禁じられ、皇兄の身分で帝宮に住み続ける事になりました。そしてご愛妾としてルレジェンネ様をお迎えした。サイサージュ殿下がルレジェンネ様から石を返させたのは、このタイミングだったのではありませんか?」
「……」
返事はなかったが間違ってはいないだろう。
サイサージュ殿下は自分が公爵家を興す事が出来なくなり、結婚を禁じられた時点でご自分はルレジェンネ様へ求愛する資格はない、と考えた事だろう。なのでルレジェンネ様とお別れするつもりでいたのだと思う。それで求愛の証であるロイヤルブルームーンストーンを返させたのである。
しかし、事情が変わった。
「ルレジェンネ様がご懐妊なさったのは、お二人が同棲を始める直前ですね?」
つまり、お別れするつもりがそうもいかなくなってしまったという事である。サイサージュ殿下は慌ててルレジェンネ様を離宮に招いて同棲を始めた。そうしないとルレジェンネ様が私生児を産む事になってしまう。
サイサージュ殿下には不本意な事だったと思う。殿下はルレジェンネ様を日陰の身にはしたくないとお考えだったのだから。
そしてルレジェンネ様はお子を出産した。しかし、その子供をサイサージュ殿下の庶子と認める訳にもいかなかった。
「後継者争いを避けるために結婚すら禁じられたのに、お子の存在が許される訳がありません。先帝陛下と先皇妃陛下は決して許さなかったでしょうね」
下手をするとすぐさま殺されてしまう危険性すらあっただろう。なのでサイサージュ殿下とルレジェンネ様はお子の存在を隠そうとした。おそらく身分を偽って信頼出来る方の養子にでも出したのではないかしら。
「そして私は、インペリアルトパーズはそのお子に持たされた、と考えています」
こちらの意味は明白だ。皇族の血を引くにも関わらず、闇に葬られようとしているお子に、皇族の証を。帝冠の象徴とも言える石を密かに持たせることで身分証明としたのだろう。
そこにはサイサージュ殿下の最後の意地が感じられる。皇帝権力のために、弟のために、やむを得ない事とはいえ、常に譲り日陰の身に立たされてきた殿下が、我が子のために遺した強い意志。
「サイサージュ殿下はルレジェンネ様の事も、お子の事も強く愛しておられたのですね」
私がにっこり笑って話を終えると、しばらくサロンに沈黙が流れた。
ルレジェンネ様は無表情、というか感情がなくなってしまったような顔をしていた。呆然と、ここではないどこか。もう会えない誰かの事を見詰めている。
この人の想いも複雑なのだと思う。彼女は元々カーライル殿下の事を強く愛していたんだと思うのよ。それが皇族の事情で別れざるを得なくなって、すぐにサイサージュ殿下に求愛されても簡単には気持ちが切り替えられなかったと思うのだ。
しかし、サイサージュ殿下の熱心な求愛に心を動かされ、次第に彼に惹かれていった。でも心の奥底でサイサージュ殿下は自分を利用しようとしているだけではないのか? という疑いを持っていたんだと思う。
それが故にサイサージュ殿下と死に別れてからも、ロイヤルブルームーンストーンの意味を考えていた。きっと解りたいような、解りたくないような想いだったんだと思う。
なので私は二つの推測を話した。真実を明らかにする必要はない。宝石の記憶が視えない以上、故人の想いは二度と聞こえる事はないのだから。真相は闇の中。ルレジェンネ様が納得が行く方を取れば良い。
長い沈黙の後、ルレジェンネ様はポツリと呟いた。
「二つ、間違っています」
私は首を傾げてしまった。
「二つ?」
「サージェがこの宝石を私から取り返した時、私は妊娠していませんでした」
ああ、そこか。それは私の全くの想像だったから外れていてもおかしくはない。
と、思ったのだけど、ルレジェンネ様が続けて仰ったお言葉は私の意表を突いた。
「嘘を吐いたのです。私は『妊娠している』とね」
……ああ。私は納得した。
「サイサージュ殿下を繋ぎ止めるためですね?」
サイサージュ殿下はロイヤルブルームーンストーンを取り返すと同時に、ルレジェンネ様に別れを告げたのだろう。
しかしルレジェンネ様は妊娠を偽称する事で別れを拒んだのだ。考えてみればルレジェンネ様は誇り高い貴族令嬢であり、婚姻前に男性に身体を許したとは考え難い。つまり見え見えの嘘だ。
その見え見えの嘘を理由に、サイサージュ殿下はルレジェンネ様との同棲を決意したのである。結局、サーサージュ殿下も最愛のルレジェンネ様と離れられなかったのだ。
「……もう一つは?」
私の問い掛けにルレジェンネ様は肩を竦めた。
「もう一つはトパーズの行方です。いえ、正確には私はあの子が何をサージェから授かったのかは知らないのよ。サージェは『二人の子である証を持たせた』としか聞いていないの」
それが炎のトパーズであるとはルレジェンネ様は聞いていなかったのだそうだ。ただ、ただならぬ物であるのは察していて、私が炎のトパーズの行方を探していると聞いてピンときたのだそう。おそらく我が子が持たされた「証」がその石だったのだろうと。
「……そのお子は、今どこに?」
「知りません。ええ。これは大女神に誓っても良いわ。本当に知らないのよ……」
ルレジェンネ様曰く、彼女がお子を産んだのは十八年前。確かに産んだのだけど、その姿をほとんど見る事もなく、お子は離宮から姿を消してしまったらしい。
もちろん、サイサージュ殿下が隠してしまったのだ。殿下は「安心出来る所に預けた」とだけ仰ったらしい。
ルレジェンネ様もお子の存在の危険性は理解していたから文句は言えなかったのだそうだ。その内ほとぼりが覚めたら聞いてみよう、と思っていたのだが、翌年にはサイサージュ殿下が薨去なさってしまい、ルレジェンネ様は離宮に幽閉されて外部の情報から隔絶されてしまう。
結局お子の行方はルレジェンネ様には全く分からない事態になってしまったのである。
「だから悪いけど、そのインペリアルトパーズの行方は分からない。多分、私とサージェの子の所にあるだろう、としかね」
……なんてこと。
ここに来て行き詰まってしまうとは。私は炎のトパーズがルレジェンネ様のお子の所にあるとまでは予想出来たけど、まさかルレジェンネ様がお子の行方を見失っているとは考えていなかったのである。
しかしその可能性も予測しておくべきだった。お二人の事情に理解がある今の皇帝陛下の御代である今ならいざ知らず、お生まれになった当時の状況ではお子の存在は本当に危険だったのだから。サイサージュ殿下が自らの死を持ってお子の行方を封印したのも仕方のない事だったのだ。
しかしこれでは炎のトパーズへの道が途切れてしまった事になる。私は頭を抱えてしまった。
と、その時、じっと私とルレジェンネ様のやり取りを聞いていたガーゼルド様が声を発した。
「ルレジェンネ様にお伺いしたいのですが、お二人のお子は女ですか? 男ですか?」
ルレジェンネ様はガーゼルド様からの不意の問い掛けに目を丸くしたが、すぐに答えた。
「女よ。顔立ちも目の色も見ていないけどね」
髪は黒っぽかったらしい。本当にほとんど見てもいない内に連れ去られてしまたのだろう。
ガーゼルド様は頷くともう一つ質問した。
「もう一つ伺いますが、サイサージュ殿下はこのロイヤルブルームーンストーンになんでガラスコーティングを施したのだか解りますか?」
ルレジェンネ様は今度こそ戸惑ったような表情を浮かべる。
「解りません。……そういえば一度サージェが冗談めかして言ってたわね『君に秘密がバレないためだ』って」
ガーゼルド様が目を鋭く細める。
「ルレジェンネ様、貴女は宝石の魔力は見えますか?」
「……薄らとはね。でも記憶が読める程じゃないわよ」
ルレジェンネ様はそう言いながら私の事をチラッと見た。やはり私が宝石の記憶が視えるのを察しているのだろう。
「もしかしてサイサージュ殿下は宝石の記憶が視えたのではないですか?」
ガーゼルド様の発言に私は驚く。どうしてそう思ったのか。
「わざわざこのロイヤルブルームーンストーンにガラスを被せた理由が他に思い付かぬ」
自分が宝石の記憶を視る事が出来たからこそ、自分の記憶を石に残すことを恐れたのだろうという。確かにその可能性はある。
ルレジェンネ様は呆気に取られたように顔をしていたが、眉間に少し皺を寄せて考え込みながら仰った。
「言われてみれば、彼が身に付けていた宝石はガラスコーティングのものが多かったわ。『これが正式な作法なのだ』なんて言っていたわね」
ルレジェンネ様に贈った宝石にまでガラスコーティングをしたのは、逆にルレジェンネ様が込めた記憶を読みたくなかったからだとも考えられる。
「確認しようがないけど、もしかしたらそうだったのかもしれないわね。あの人は隠し事が多かったから……。で、それがどうかしたの?」
「いえ。それが確認したかっただけです……」
ガーゼルド様は微笑んでルレジェンネ様にお答えになったのだけど、口元は不自然に固まっていた。
◇◇◇
離宮からの帰りの馬車で私は呻いた。
「どうしましょう。炎のトパーズの手掛りがなくなってしまいました」
両陛下や三公妃様まで巻き込んでしまって、今更ルレジェンネ様のところは空振りです、もう手掛かりがありません。とは言えない。なんとかしなければならないけれど、どうにもならない。困った。本当に困った。
しかしガーゼルド様は意外な事を仰った。
「安心せよ。炎のトパーズの行方は見当が付いた。見つかるかは分からぬが……」
「え?」
私は驚きのあまり揺れる馬車で立ち上がってしまい、危うく転倒しかけた。ガーゼルド様が慌てて抑えてくれる。
「何をしているのだ!」
「そ、そんな事より、トパーズの行方に見当が付いたとはどういう事なんですか! どうして! 何が分かったというのですか!」
私はガーゼルド様に齧り付きかねない勢いで捲し立てる。ガーゼルド様は私を抱き寄せて落ち着かせるように背中をポンポンと叩くと、私を向いの席に座らせる。そして言った。
「なんで君が分からぬのか、私が分からぬがな。宝石を持って預けられた女の赤子。心当たりがあるであろうに」
……は?
「……えーっと。それは、もしかして、私の事ですか?」
「私は他にそのような赤子は知らぬが、君は知っているのか?」
いえ。孤児院には寄付金と共に預けられる赤ん坊はたまにいたけども、宝石付きは私以外にはいなかったと思う。確かに珍しい事は珍しい。
しかし、それにしても皇兄とご愛妾の娘がこの私だなんて、随分話が飛躍しているのではないかしら。
「どうやらサイサージュ殿下は宝石の記憶が視えたようだ。であれば、同じ力を持っている君が殿下の遺児だという考えはそう突飛でもない」
何しろこの七百年見られなかった能力だという事だからね。いきなり私に発現したと考えるよりも、私の親がその能力を持っていたと考える方が自然ではある。しかし。
「なぜサイサージュ殿下は宝石の記憶を視る能力を誰にも、ルレジェンネ様にも言わなかったのでしょう?」
「そんな能力は自分には不要だ、と思ったのだろうな」
ガーゼルド様は溜息を吐く。
「皇族に生まれれば、その能力を全て使って帝国に奉仕するのが当たり前だ。サイサージュ殿下に宝石の記憶を視る能力があると知れたら、大きな責任を背負わされる事になっただろう。殿下は身体がお弱かった。きっと耐えられなかっただろうな」
……実際に能力がバレて皇族に取り込まれようとしている私が次々と背負わされている厄介事を考えると、あながち杞憂とも言えまい。
それと、もしかしたら先帝陛下とリキアーネ様が能力を隠すように命じた可能性もあるのではないかという。カーライル殿下の後継者としての地位を盤石にするという意味もあっただろうけど、身体がお弱かったサイサージュ殿下に負担を強いないためでもあっただろうね。
そしてそういう事情があったから、サイサージュ殿下は生まれたお子をすぐに隠してしまったのだろう。お子が自分の能力を継いでいたら、おそらくお子は先帝陛下やリキアーネ様に危険視されていたことだろうからね。後継者争いの更なる火種になるからだ。それを察したサイサージュ殿下はルレジェンネ様に我が子を抱かせる暇もなくお子を隠してしまったのだろう。
……なるほど。状況証拠としては間違いとは言い切れない気もする。物的証拠は何もないけど。
「ルレジェンネ様と君は似ていたしな。君がお二人の子である可能性は高いのではないかと私は思っている。仮にそうだと仮定すれば、炎のトパーズの行方も分かってくるのではないか?」
……私がもしも、あくまでももしも、サイサージュ殿下とルレジェンネ様のお子であったとすれば、私が孤児院に預けられた時に持たされていた宝石というのが炎のトパーズだった可能性が高くなってくる。
しかし……。
「仮定の土台の上に仮定の橋を架けるような推論ですね。調査をしても、全て無駄に終わるかも……」
「しかし、他に手掛かりがないのも事実であろう? 僅かな可能性に賭けて調査をしてみるしかないと私は思うがな」
確かに、他には何の手掛かりもないわけである。見つかりませんでした、では簡単に済まない以上、あらゆる手を尽くして調査を続け、これ以上はない所まで調査をするのが皇帝陛下に炎のトパーズの調査を任された私達の義務だ。
しかしながら私はどうにも気が乗らなかった。
まず、私は自分がサイサージュ殿下とルレジェンネ様のお子であるなんて信じられなかったし、あの何となく気が合わない気がするルレジェンネ様が自分の産みの親だなんて、ちょっと勘弁して欲しいな、という気分だったのだ。
私は自分の親がどんな人なんだろうか、と考えた事が無いではなかったけど、そういう時は自分の母親は何となく優しくて包容力があって、暖かな人なんではないかと想像していたのだ。あんな高慢な如何にも貴族の奥方様みたいな人だと思った事はない。父親にしてもロバートさんのようにニコニコしたお人良しだったんじゃないか? なんて思っていたのに、まさか皇兄殿下とか。そんなわけないでしょうと言いたくなる。
そして私は正直、皇族にあんまり良い印象を持ってない。なんだかんだ皇族の都合に振り回されて、私はかなり嫌気がさしていたのだ。命令されれば身分低い私は一生懸命働かなければならないのは仕方がないとはいえ、宝石の記憶を視る能力がバレてからどうにも好き放題に手軽く扱われている気がする。皇族入りすれば更に負担は重くなるだろうな、と思うとガーゼルド様のプロポーズに応える気もしなくなってくるのだ。
それが「私は最初から皇族でした」なんて話になったら逃げ場がなくなってしまう。ガーゼルド様と結婚しようがしまいが皇族の地位から逃れられなくなってしまうではないか。そういう意味でも信じたくなかったのである。
そして、私が預けられた時に持たされていた宝石を探すという事は、否応もなく私が育った孤児院にガーゼルド様をお連れして私の過去を紹介するということになるだろう。あの汚くて貧しくて狭苦しい孤児院に皇族のガーゼルド様をお連れする? 私はここで育ちましたと言うの?
……私は孤児院を出てから宝石商人見習いになり、ロバートさんに目を掛けられたから結構裕福に暮らしてきたのだ。まして貴族入りしてからは平民の富裕層でも全然敵わないほど贅沢に暮らしている。そんな私にとって、孤児院の貧相な暮らしは結構な黒歴史で、あんまり振り返りたい過去ではなかったのである。
それと私は仮婚約者のガーゼルド様が、私の育った環境を見て、幻滅して私を貧民出身の女として差別的に扱う事を恐れていたんだと思う。孤児院出身なんて平民の間でもあまり大きな声で言えるものではないからね。宝石商人時代にだってほとんど誰にも言ったことはない。まして貴族である私にとっては致命的なスキャンダルにすらなりかねないと思う。
ガーゼルド様が人を生まれで差別するような方だったら、私にプロポーズなんてする筈ないんだけどね。でも、それでも、私の中の引け目がそんな事を思わせたのだ。
しかしながら、他に方法はなさそうだ。私はかなり陰鬱な気分で、ガーゼルド様を私の育った孤児院にお連れすることを決めたのである。
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