帝宮編

第十九話 帝宮の風習

 皇太子妃になられたヴェリア様に従って、私も帝宮へと引っ越した。


 皇太子宮殿は広大な帝宮の一区画を占める大きなお屋敷だ。外向きの外宮と生活区画の内宮があるのは帝宮本館と同じで、私たち侍女は内宮に近接する使用人居住区画に住む。


 使用人と言ってもみんな貴族であるから(雑用をする下働きですら貴族身分を持っている)私に与えられたお部屋も大きいし豪華だ。そこに私はメイーセン侯爵家から譲ってもらった下働きのリューネイと共に移り住んで来たのだった。


 リューネイとは気心が通じていて、離れ難かったので私の侍女として付いてきてくれるよう頼み、快諾してもらったのである。彼女曰く「皇族になるだろうレルジェ様の専属侍女の地位を逃す手はない」との事だったわね。


 ちなみに、メイーセン侯爵家からヴェリア様に付いてきた侍女は三人だけだ。服飾担当の侍女であるエーミリア。お化粧担当であるワイスミール。そして宝飾品担当の私である。この三人は持ち込み侍女として上級侍女扱いとなる。


 これ以外に帝宮侍女から選抜された者達が七名、上級侍女となった。更に二十人が下級侍女として控え、下働きに至ってはヴェリア様専属だけでも五十人にもなるらしい。


 びっくりするような大所帯だけど、理由はすぐに判明した。実に仕事が細分化されていたからである。


 例えば食事の配膳でも、地階にある台所から廊下までで一人。廊下から階段までまた一人。階段も踊り場から上は違う者になり、二階の廊下はまた別の者が。それから前室担当者に渡り、毒味がいて、そこから別の者がヴェリア様の前まで。そしてここで初めて配膳担当の上級侍女が皿を持ち、ヴェリア様に供するという具合である。


 あまりの迂遠さに私は呆れ返ったのだけど、それが帝宮の伝統なのだという。


 それならそれで仕方がないのだけど、困るのは宝飾品に関しても同じように担当が細分化されてしまう事だった。ヴェリア様にアクセサリーをお着けする時にも、収納箱から出して私の手に届くまで三人の侍女の手を経由するという事になっていたのである。


 そして私はヴェリア様のお身体にアクセサリーを着けるのがお仕事で、宝飾品の管理はまた違う上級侍女の仕事であると言われてしまったのだ。私は困惑した。


「それは困ります。場合によってはアクセサリーの石を外して違うものに入れ替えるような事もありますから」


「ならばそのように担当の者にお命じ下さいませ」


 と皇太子妃付き侍女長のベルフェールさんはにべもなかった。そんな事を言っても技術がない侍女には無理だと思うのよ。


 これは服飾もお化粧も同じであり、メイーセン侯爵家からやってきた持ち込み侍女の三人は風習のあまりの違いに困惑した。


 結局、私たちはヴェリア様に訴えて、ヴェリア様のご命令という形で少し風習を変えてもらうしかなかった。長年帝宮に仕えてるというベルフェールさんは良い顔をしなかったわね。私も必要な時以外は宝飾品に触らず、必ず管理担当者の立ち会いで触る事を約束するしかなかった。


 ちなみに、皇太子宮殿には下働きでさえ子爵家出身以上の身分の方しかおらず、男爵令嬢は私しかいなかった。ダントツで身分が低いのに上級侍女扱いな私に反感を持っている人は結構いたと思うのよね。


 ただそれが表面化しなかったのは、ヴェリア様が私をあからさまにご寵愛下さった事。それとやはり披露宴でのアレで、私が皇族に準ずる扱いを受ける謎の女だと認識された事による。


 そもそも宮殿の主たる皇太子殿下からして、既に私を単なる使用人扱いにはしなかった。特にガーゼルド様と私が揃えば必ず席を用意させて座らせ、友人として遇したのだ。これではいくら私に反感があったって、私を男爵令嬢扱いして虐めるなんて事は出来ないだろうね。


 そんな訳で私(というかヴェリア様)の帝宮生活は少しの不協和音を発しながらも何とか始まったのだった。


  ◇◇◇


 皇太子妃は、皇太子殿下のお妃様というだけではなく、公的な役職である。ご結婚式の後に任命式があったように、帝国政府の一つの役職なのだ。


 なので妃殿下にはお給料が出る。それとは別に役職に関わる予算が帝国の年間予算かゴッソリ割り振られる。その中には宝飾品購入費というのがあって、これの扱いが私に任される事になった。


 これもちょっと一悶着あったんだけどね。ヴェリア様の宝飾品班の最高責任者である私が扱うか、別に専門の者を任命するかで揉めたのだ。だんだん分かってきたけど、こういう帝宮侍女の役割には一々役得があり、それが利権になっているようなのよね。


 宝飾品の予算なんて巨額だから利権も大きい。なのでどうしても私から利権を奪いたい上級侍女が何人もいて、しきりに侍女長やヴェリア様に「扱う人間と予算を預かる人間は分けるべきだ」と主張した。


 結局私が預かる事になったのだけどこれは明らかにヴェリア様からの信用度の問題で、ヴェリア様はつまりまだ帝宮の侍女達を信用していないのだ。


「下級侍女は良いのだけど、身分高い上級侍女達がね」


 と仰っていた。というのは、帝宮の上級侍女は、そもそも身分が伯爵家出身以上であり、侯爵家侍女のヴェリア様と同程度の出身身分の方が多かった。それ故にヴェリア様を侮っている者が少なくなかったのである。


 出身身分はともかく、今はヴェリア様は正式に皇太子妃になられて、完全に上の立場になっているんだけどね。帝宮の上級侍女というのは帝室の方に直にお仕えして親しくお声を掛けて頂けるものだから、必要以上に特権意識を持ってしまうものらしいのだ。


 そんな上級侍女だから、男爵令嬢から皇族になろうかという私への嫉妬は凄くて、なんとか私の信用を落とし、私から仕事を奪い取ろうと企む者は多かった。私になるべく宝飾品を触らせないようにするために、私が宝石をかすめ取ろうとしているとヴェリア様に讒言する者もいたわね。勿論ヴェリア様は一顧だにしなかったけども。


 逆に私に「ヴェリア様がレルジェの悪口を言っていた」なんて吹き込んで来る者もあった。勿論だけど私は信じない。だって宝石の記憶を見れば分かるからね。嘘なのは。とにかく帝宮の上級侍女達は私達持ち込み侍女を帝宮から追い出したいようで、有る事無い事言い立てられて私達三人は大変困らされた。


 皇族になられて間近いヴェリア様も生活や業務の上で帝宮の上級侍女に頼らなければいけない部分は多くあるので、あまり上級侍女を叱ったり排斥することも出来ない。私達にも「少しの間は我慢して上手くやってちょうだい」と言うしかなかったようだ。


 私は有形無形の業務妨害に悩まされまくった訳だけど、そんな時に物を言うのはやはり後ろ盾だった。


 ガーゼルド様は近衛騎士団長として、皇太子殿下ご夫妻の護衛を主に担当していらっしゃった。これは門外漢にはよく分かりにくいのだけど、近衛騎士団は皇太子殿下ご夫妻の護衛を、帝国騎士団が皇帝陛下ご夫妻の護衛を担当するのが伝統なのだそうだ。二つの騎士団の違いは私にはよく分からない。


 とにかく、両殿下の護衛を主に担当するのがガーゼルド様であり、彼はほとんど皇太子宮殿に常駐していらっしゃる。というか、近衛騎士団団長としての事務所が皇太子宮殿にあるのだ。仕事場なのである。


 それと皇太子殿下はガーゼルド様を将来の腹心と頼んでおり、政治の仕事についての相談を持ち掛ける事も非常に多く、ガーゼルド様は皇太子殿下の執務室にも自分の机を持っていたほどだ。


 そんなだから私がガーゼルド様と顔を合わせる機会は多かった。ヴェリア様がお出かけになってお供をすれば護衛に付かれる事も多かったし(両殿下が揃ってお出掛けになる時は必ず)、両殿下がお茶をしたりお食事を共になさる時はガーゼルド様も友人として同席することもあった。


 そんな頻繁にお会いするガーゼルド様は私を見れば、任務中であってもニッコリと微笑まれ、余裕があれば私の手の甲にキスをしたり軽く抱き寄せたりする。もっと余裕があれば雑談もする。


 両殿下のお茶のお供に私が行く場合は、皇太子殿下は必ず命じて席を用意し、私とガーゼルド様を座らせた。最初はご遠慮していたが、ヴェリア様もどうしてもと仰るのでガーゼルド様と並んで座るようになってしまった。そういう時には皆様もう私を皇族扱いして憚らなかったわね。お友達か親戚の扱いだ。


 皇太子殿下とガーゼルド様は同い年の二十二歳で、子供の頃から兄弟のように育ったらしい。剣術や騎馬は皇太子殿下の方が優れていて(勿論ガーゼルド様だって騎士団長になれる程なんだけど)お勉強はガーゼルド様の方が出来たのだそうだ。それ故、皇太子殿下はガーゼルド様を将来は国務大臣にするつもりだとはっきり仰っていた。


 それほどの腹心であるから、ガーゼルド様は既に皇太子宮殿に詰めている官僚の長のような扱いでもあり、実際その有能さと威厳で官僚達の信服を集めている様だったわね。


 皇太子宮殿でも特に重んじられているガーゼルド様が婚約者のように(実際、もう逃げられる訳もないので仮婚約者と言っても差し支えない)扱われている私を、虐め倒すなんてことは如何に帝宮の上級侍女でも出来ない。ガーゼルド様の権限があれば彼女達を罷免して帝宮から追放する事ぐらい容易いのである。


 なんだかガーゼルド様の威を借りるようであんまり良い気分はしないのだが、実際問題としてガーゼルド様の後ろ盾がなければ私が帝宮で上級侍女として振る舞うのは難しかった事もあり、結局は威を借りるどころか伝家の宝刀のように使う羽目になったのだった。


 つまり、あんまり私の仕事を奪おうと上級侍女が画策して煩い時などに、私はガーゼルド様と一緒にいる時にわざわざその上級侍女を呼んで「彼女が私の同僚の○○ですのよ」と彼に紹介する。私がそんな事をする理由はガーゼルド様はお見通しなので、彼は少し迫力のある笑みで微笑んで「ああ、そうか。レルジェの事をよろしく頼むぞ」なんて言って下さる。


 皇族で将来の帝国国務大臣のガーゼルド様に睨まれたその上級侍女は震え上がり、それからしばらくは大人しくなってくれるという寸法だった。


 ……正直に言って彼の事を便利に使っておいて、プロポーズのお返事を返さないのは不誠実な態度だと思うのだけど、ガーゼルド様は全く気にせずこう仰った。


「君の心が固まった時に返事をくれれば良い。いつまでも待っているとも」


 ……いつまでったって限度はあると思うのだけど、私個人の思いとしてもヴェリア様の生活が落ち着くまではお世話をしたいという気持ちもあって、私はガーゼルド様のお言葉に甘えてズルズルと返事を引き延ばし続けていたのだった。


 それはともかく、帝宮の上級侍女達には私はかなり困らされた。宝飾品を日常的に点検出来ないので。例えばヴェリア様にお着けする直前に手入れ不足でシルバーが曇っていたりして、違うものを急遽用意しなければならないなんて事もあった。自分でやるって言ったんならちゃんと仕事しなさいよね! と言いたくなる。


 陰口も酷くて、他の侍女に「レルジェは職責を利用して私服を肥やしている」「宝石をくすねている」なんていう讒言が日常的にヴェリア様のところには上がっているようだった。もちろんヴェリア様は信じない。すると今度は「レルジェとヴェリア様は不適切な関係にあるのではないか」なんて噂が立った。なんですか不適切って?


 私がガーゼルド様の仮婚約者であることも「そんな事があるわけがない」と様々な噂が飛び交った。曰く「レルジェが勝手に言ってるだけだ」「ガーゼルド様には別に本命がいてその目眩しだ」「ガーゼルド様は脅されている」「レルジェが催眠術でガーゼルド様を惑わしている」などなど。


 ……ちょっといい加減にして欲しい。私はこれまで平民から貴族になって、ブレゲ伯爵家、メイーセン侯爵家と移ってきた訳だけど、どちらも侍女はとても良い人たちばかりで楽しく過ごせた。なのにここに来て突然貴族の悪意に晒されまくった訳である。


 最初は辟易するだけだったけど、あまりに悪意も凄く仕事の邪魔ばかりされるので、だんだんそれどころではなく、怒りを覚えるようにさえなってきた。


 ちょっと懲らしめてやらなければいけないわね。と思い始めた頃、格好の事件が起こったのだった。


  ◇◇◇


 帝宮において、宝飾品購入の際、ヴェリア様が宝石商人に直接会う事はない。男爵がせいぜいの、平民上がりの宝石商人に皇太子妃が会うなんてとんでもない、というのが帝宮の常識らしい。


 私でさえ宝石商人に会えない。アクセサリーの購買は専門の担当侍女が行うので、彼女に私からヴェリア様のご意向を伝え、それに基いて担当侍女が宝石商人に発注するのだという。


 迂遠極まるけど、決まりだと言われれば仕方がない。私はヴェリア様と相談しながらデザイン画を描き、それを購買担当の侍女に渡して発注を指示した。担当侍女はデザイン画を渡されて大分驚いていたけどね。


 ……そしてそれはネックレスを発注した時に起こった。夜会用に少し派手目なものが欲しいという事になり、エメラルドと水晶、ダイヤモンドを使ったネックレスを私がデザインして発注を指示した。これまでにも二、三度、既に発注していたので私はあまり心配していなかった。デザイン画には細かく指示を入れていたしね。


 しかし、二ヶ月後、実際に納品されたネックレスを見た私は顔色を変えることになる。私の強張った顔を見てヴェリア様は首を傾げたが、購買担当の三十歳くらいの侍女はホクホクニコニコしていた。


「どうでしょう? 発注書通りのものだと思いますけど」


 ……なんだとう? 私はその瞬間キレそうになった。てめぇ! この私を舐めてんのか! と平民言葉丸出しでキレ散らかすところだったわよ。こう見えても私は平民時代、特に孤児時代は孤児院の年下の子供達をどやしつけ、頭を殴っていう事を聞かせていて、結構恐れられたものだったのよ?


 これのどこが発注書どおりなのか! 貴女の目は節穴ですか! ……とまだしも丁寧に怒鳴ろうとして、私は気が付く。もしも節穴じゃないとしたらどうだろう。


 私はじっとネックレスのエメラルドやダイヤモンドを見て、記憶を読み取った。そこから見えてきたのは……、そういうことね。


 これは放置してはおけない。こんな事が重なるようでは皇太子宮殿の秩序の問題にもなってくるし、ヴェリア様の権威にも関わる。そして私にこんな阿呆な手口は通用しないという事を知らしめる良い機会にもなるだろう。


 私は徹底対処する事を決心した。


「……これを納品した宝石商人を呼びなさい」


 私の言葉に、担当侍女のファーメイはキョトンとした顔をした。


「なんでしょう? 何か不手際でも? ならば私から伝えますけど……」


「必要ありません。今すぐ商人を召喚しなさい。私が自ら尋問します」


「それは職分を超える行為ではございませんか。宝石商人との交渉は私の……」


「いいから! 今すぐ宝石商人を呼びなさい!」


 私はついにキレた。ドカンとファーメイを怒鳴り付ける。ファーメイは怯んだけど、それでも反論してきた。いい度胸である。


「ゔぇ、ヴェリア様! レルジェの申し出はあんまりではございませんか! 職分を侵すことは帝宮の秩序を守るためには許されざる事でございますぞ!」


 侍女長のベルフェールさんは頷いていたから同意見なのだろうね。でも、この場の総責任者はヴェリア様だ。そして、当然ヴェリア様はファーメイなんかより私の事を信頼して下さっている。それに私が故なくこんな事を言い出すとは思っていない。


 ヴェリア様は私の事をちらっと見て、そして静かに仰った。


「レルジェの良いように」


「ヴェリア様!」


 ファーメイもベルフェール様も驚きの声を上げたが、皇太子宮殿においてヴェリア様のご意見は絶対である(それだけにご意志を表明するのに慎重さが求められるんだけど)。ファーメイは渋々動き出した。


 翌日、皇太子宮殿の外宮の応接室に、今回のネックレスを制作、納品したアドラス男爵がやってきた。口髭を生やした小太りの男で黒い髪をベッタリと撫で付けている。目付きは商人らしく抜け目なさそうだ。


 彼は応接室に頭を下げつつ入ってきて、固まった。そこには錚々たる面々が揃っていたからだ。


 まず、応接セットのテーブルの向かい正面のソファーには私がいる。そして上座に当たる位置にはヴェリア様がいて、その横にはなぜか皇太子殿下までが座っている。私の座るソファーの後ろにはガーゼルド様が立っていらして、下座にはファーメイが座らされている。他にもベルフェールさんとヴェリア様の上級侍女が全員。そして宝飾品担当の下級侍女が五人部屋の隅に控えていた。


 帝宮に出入りする貴族商人であれば皇太子殿下ご夫妻とガーゼルド様の顔を知らない訳がない。アドラス男爵はまずお偉方の顔を見て呆然とし、次に私の顔を見て表情を引き攣らせた。


「れ、レルジェ! なんでここに!」


 と思わず声を出してしまってから、アドラス男爵は慌てて手で口を塞ぎ、そして急いで跪いた。私はわざと大仰な口調で言う。


「お久しぶり。アドラス男爵。私の事を見忘れていないようで何よりです」


 当然、平民時代に商売で付き合いがあったのである。何度も商談をして、何度も色々とやり合ったわね。色々とね。


 アドラス男爵は皇太子殿下ご夫妻に跪いて長々とした挨拶を送った。この席に両殿下がご出席する事には侍女長のベルフェールさんも皇太子宮殿の執事長も強い難色を示した。男爵風情と面会するなどあり得ないと言うのである。


 しかし皇太子殿下もヴェリア様も悠然とその意見を却下した。「何か面白い事をやるのであろう?」と皇太子殿下はワクワクしたようなお顔で私に仰ったわね。


 ガーゼルド様も呼んでもいないのに来て下さったが、こちらは両殿下の護衛なのでお仕事である。それならお二人の後ろに立つべきだと思うんだけど。


 私はアドラス男爵を対面に座らせると、下級侍女にネックレスを持って来させ、私の前の台の上に広げさせた。


「これがなんだか分かりますか? アドラス男爵?」


 私の言葉に、アドラス男爵は明らかに「マズイ!」という顔をしたわね。この男は私の事を、私の鑑定能力の高さを知っているのだ。


「せ、先日納品させて頂いた、ネックレスでございますな? 妃殿下ご着用のものと聞いております」


「ほう。妃殿下がご使用になられる事を知っていたのですね? そうなのですね?」


 私の追及に、アドラス男爵はカックンと歯切れ悪く頷いた。


「も、もちろんでございます……」


「それなのに、こんなエメラルドとダイヤモンドをよこしたのですか? アドラス男爵?」


 アドラス男爵は真っ青な顔で沈黙した。ヴェリア様はゆるっと首を傾げて私に尋ねる。


「そのエメラルドやダイヤモンドが偽物だという事ですか?」


「いいえ、さすがにそこまでは。偽物ではございません」


 皇太子妃が使用する予定のネックレスにガラス玉をはめ込むような真似をすれば、バレたら死刑どころか生き埋めでもおかしくない。さすがにそんな事はいかに欲深なアドラス男爵にも出来ない。


 しかし。


「このエメラルドと大きなダイヤモンド三つ。これのクラリティが低過ぎます。明らかに値段に見合っていないのです」


 ネックレスのメインを飾る石である肝腎要のエメラルドとそれを囲むダイヤモンド。これの透明度が少し低いのである。


 宝石の価値を決める要素で、透明度、クラリティはかなり重視される。特にダイヤモンドは内容物が無ければ無い程良いものとされ、エメラルドは元々内容物を含み易い性質があるので、クラリティが高いものは希少である。


 皇太子妃殿下がご着用になるアクセサリーの品質は当然だけど絶対に最高のものでなければならない。それなのにこの石たちの品質は最高のものとは言い難いのである。


「貴方はヴェリア様がご使用になると分かっていて、このような二流の石を売り付けたというのですか? 答えなさい。アドラス男爵」


 私の居丈高な追及にアドラス男爵はボタボタ汗をテーブルに落とし始めた。私の質問にハイと答えれば、それは彼の死刑宣告と一緒である。怖い顔で皇太子殿下が睨んでいるしね。


 だが、実は私は真相を知っている。犯人は彼ではない。共犯ではあるけどね。私は言った。


「質問を変えましょう。男爵。貴方はこのネックレスに、本当にこの石をセットして売ったのですか? 本当はもっと良い石をセットして売ったのではありませんか?」


 私の優しい声に、アドラス男爵は弾かれたように顔を上げた。私は彼の顔を見つめてニンマリと微笑む。何もかも、お見通しですよ?


 私の内心の声。そして保身の気持ちが勝ったのだろう。アドラス男爵は私に陥落した。


「ち、違います。このネックレスには違う石をセットした筈です。も、もちろん最高級の石を付けました。か、神に誓って嘘はございません」


 ふふん。私は満足して頷くと、わざと明るい声を出した。


「あれれ? おかしゅうございますね? アドラス男爵が納品した時には違う石が付いていたのに、私が検品した時には違う石になっていました。どこで入れ替わったのでしょうね」


 私はゆらっと立ち上がると、踊るような足取りで下座へ。ファーメイのところへと歩み寄る。そして俯く彼女を覗き込むようにして言った。


「アドラス男爵の納品に立ち会ったのはファーメイでしたね。それから、管理係に預ける事なく、そのまま私の所に持ってきた。そうでしたね? ファーメイ?」


 ファーメイもお化粧を流してしまいながら大量の汗をかいていた。しかしそれでもシラを切って見せるのが高位貴族で上級侍女の矜持なのだろうか。


「な、何の事でございましょうか? わ、私を疑っているのですか? どこに証拠が! なんで私が!」


 私は顔を上げた彼女の目に私の黄色の視線を真正面から射込んだ。ファーメイは「ひっ!」と小さく悲鳴をあげる。


「貴方のお部屋の、宝石箱の二段目の奥。そこにあるのでしょう? 入れ替えた宝石が」


 ファーメイの口が大きく開いてしまう。


「な、なぜそれを!」


 語るに落ちたという所である。私は素知らぬ顔で頷いた。


「私には分かるのですよ。残念でしたね」


 私がニーっと笑うと、ファーメイはガタガタと震え出した。まぁ、訳が分からなかったのでしょうね。こっそり隠していた宝石の在処が何でバレたのか。


 私がファーメイと間接的に立ち会った他の侍女達を脅していると、ガーゼルド様がパーンといい音を立てて手を叩いた。


「よろしい。勝負あったな。そこの侍女はとりあえず捕えよ。牢に繋げ。それとこの侍女の私室の宝石箱を調べよ。証拠品を押収する」


 ガーゼルド様の命令に応じてすぐさま騎士が動き出す。ファーメイには縄が掛けられた。「何をするのです! やめて! やめなさい!」なんて叫んでいるがもちろん誰も聞き入れない。彼女は侍女長のお気に入りだったので、ベルフェールさんにも助けを求めているが、もちろん彼女も動けない。ガーゼルド様の命令に逆らうことになるからね。


 ファーメイがズルズルと引きずられるように退場して、その頃には走ってファーメイの部屋を家宅捜索に行った騎士も戻ってきた。


「ありました。これでしょうか」


 私はそれを自分では取らず、そのまま台の上に置いてもらった。すり替えたなんて難癖が付いたら困るからね。


 そしてそれをアドラス男爵に示す。


「これでしょう? 元々付いていた宝石は?」


 アドラス男爵は少しホッとしたような顔で頷いた。


「そ、そうです。こちらが本来の宝石です」


「おかしいと思ったのです。アドラス宝石店といえば天下の名店ですもの。こんな二流の宝石を妃殿下に売り付けるなんてあり得ませんものね?」


「おっしゃる通りで……」


 と言いながら安堵に身体の力を抜き掛けたアドラス男爵に、私はニッコリと黒い笑顔を向けた。


「ではこの場で宝石を入れ替えなさい。そっちの二級品は『返します』からね」


 アドラス男爵の表情はまたも引き攣った。


 つまり、アドラス男爵はこの二級品の宝石も納品していたのだ。彼も立派な共犯なのである。


 カラクリは簡単だ。アドラス男爵とファーメイは図って、ちゃんと要求通りに特級品で制作されたアクセサリーと、付け替え用の二流品の宝石を納品する。


 そしてファーメイはその宝石を二級品に付け替える。そして付け替えた特級品の宝石はアドラス男爵が後で買い戻す。そうすると、ファーメイの元に特級品の宝石を売り払った金が入る訳である。


 アドラス男爵はちゃんとした品を納品したのであからさまな罪にはならず、買い戻した特級品の宝石は他に売るなりまた妃殿下のアクセサリーに使えばいい。特級品の宝石は簡単に入手出来るものではないから、戻ってくるだけでもアドラス男爵には十分なメリットがあるのだ。


 失敗だったのは私を侮ったファーメイが、納品してから私に見せる前に、すぐに宝石を付け替えてしまった事である。早くお金にしたかったのかしらね。おかげで言い訳の余地無くファーメイを犯人だと断定する事が出来た。


 特級品を使うべきところを二級品にして差額を着服する。この手の不正は宝飾品だけでなく、帝宮の物品購入のあらゆるところで横行しているらしい。上位貴族出身にしてはみみっちい詐欺よね。


 しかしながらそんな事が許される筈がない。実際、皇妃陛下の身に付けていらっしゃった宝石はどれも特級品だったから、皇妃陛下のところでは行われていないのだ。多分、厳しいのだろうね。皇妃陛下は。


 つまり、新入りのヴェリア様は侮られたのである。ヴェリア様の、新しい皇太子宮殿ならこんな詐欺が通ると思われたのだ。


 バカにすんな。この私がいる限り、こんなバカなことは二度とさせません!


「ベルフェール!」


 私は上役である侍女長を呼び捨てにした。彼女は目を見開いたが、私は顎を上げ、彼女を見下ろすようにして更に大きな声で言った。


「今後、ヴェリア様のアクセサリーの管理、購買は私が担当します! 他の者には触らせません! 良いですね!」


「そ、それは……。職分を超えて……」


「そういうのはもうどうでも良いのです! 決めました。良いですね!」


 私の断固たる宣言にベルフェールさんは二の句が継げなくなってしまう。私の後ろからは多分ガーゼルド様が怖い顔で睨んでいるしね。


 そしてその時、ヴェリア様が静かに仰った。


「ベルフェール」


「……はい」


「レルジェの言う通りに」


 ベルフェールさんはヴェリア様のキッパリとしたお言葉に、絶句してわなないていていたが、やがてガックリと頷いた。こちらも皇太子殿下が物凄く怖い顔で睨んでいたからね。いくら侍女長でも意見を返しかねたのだろうね。


 こうして、上級侍女の不正という口実を得た私とヴェリア様は、この事件を契機に人事を徹底的に改革する事にした。


 非効率な細分化された職制を整理して、持ち込み侍女三人を頂点とする指揮体系に作り替えた。上級侍女はとりあえず全員皇太子宮殿からは追い出した。帝宮を解雇される訳ではないからクビではない。利権を失って困るだろうけどね。


 特に宝飾品の担当は私と二人の下級侍女だけにして、管理が行き届くようにしたわね。


 侍女長のベルフェールさんだけは残したけど、人事権は渡さなかったからお飾りのような立場になってしまってすっかり老け込んでしまったわね。まぁ、これまでは利権を配分することで権勢を奮い、自らも利益を得ていたのだから自業自得である。


 立場的にもヴェリア様の信頼的にも、私は実質的なヴェリア様の侍女長のような扱いになってしまった。まぁ、問題を大きくして改革を促したのは私だしね。言い出しっぺの法則だ。


 おかげで大忙しになってしまって参ったわよね。毎日バタバタと走り回って仕事をするお陰で、録に雑談も出来なくなった私を見てガーゼルド様は嘆いたものだ。

 

「君は結婚する気があるのかね?」


「こんなに忙しければ当分無理ですね」


 私がしれっと答えると、ガーゼルド様は苦笑してしまった。もっとも、彼の方も色々忙しくて、本当にろくに二人でゆっくり会う機会も作れず、剛を煮やした皇太子殿下が無理やりお茶会をセッティングする有様だったんだけどね。「其方達は働きすぎだ!」って言われてしまった。


 そんな風にしてヴェリア様が帝宮入りをして半年は瞬く間に過ぎたのだった。どうにか人事の事も安定し、生活も落ち着き始めた頃、ちょっとした事件が帝宮内で起こったのだった。


――――――――――――

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