第十二話 真珠の話

 ……結局、保留にするしかなかった。


 それが精一杯だったのよ。だって、次期公爵殿下からの正式なプロポーズだったのよ! しかも両陛下を立会人にお願いした! そんなの断れる訳がない。


 もちろん、保留だって大変に失礼な話だ。普通であれば受諾一択。私に選択の余地など残されていなかった筈なのである。


 しかし、ガーゼルド様は私を熱っぽい表情で見詰めながらこう仰ったのだ。


「返事は急がぬ」


 今にもキスでも迫りそうな位に間近に迫っておきながら、彼は返事の保留を許すと言ってきた。


「君にも考える時間が必要だろう。私は身分差を理由に決断を強いたくない。君に私を納得して選んで欲しいのだ」


 ……既にしてこの状況が身分差を利用した断れない状況だと気付いていないのかしらこの人。


 そして自分が選ばれない訳がないとも確信しているのよね。この人。


 しかし、先送りを許してくれるというのなら、乗らない手はない。時間を置けばガーゼルド様の気も変わるかもしれないし、私にも逃げるための良いアイデアが出るかもしれない。


 私はガーゼルド様の美顔の圧から懸命に顔を逸らしながら言った。


「……分かりました。では保留で」


 私が言うと、ガーゼルド様は若干ショックを受けたような顔をなさった。


「……すぐに受けてくれても勿論良いのだぞ?」


「お許しを頂きましたので」


「それはそうだが……」


 ガーゼルド様はシュンと肩を落としてしまった。そんなにガッカリされると私が何か悪いことをしたような気分になるじゃないの。


「ガーゼルド。お前が悪い。プロポーズをするのならもっと以前からちゃんと愛を訴え根回しをしておくものだ」


 皇帝陛下が訳知り顔で仰った。分かっているなら今日のコレを最初に止めて欲しかった。


「まぁ、良いじゃないの。愛は伝えた事だし、お返事をもらうまで恋人気分でいれば」


 皇妃陛下は楽しそうね。そして私たちはまだ恋人にもなっていないんですけどね。それと皇妃陛下のお言葉には言外に、保留は良いけど断ったらどうなるか分かっているわね? という強い圧が感じられたわよね。


 これは後から聞いたけど、ガーゼルド様の女性に対する無関心には皇族全体が頭を悩ましていたそうで、魔術師とか催眠術師による治療まで検討されるレベルだったらしい。


 帝国三大公爵家の一つ、グラメール公爵家の嫡男にして唯一の男子であり、帝国騎士団の最精鋭である近衛騎士団で若くして団長を務めるほど知勇に優れ、そしてどの誰もが認めるほどの美男子にして品行方正な彼の結婚は貴族界のみならず国家的な重大事だった。もちろん、結婚しないでは済まされない。


 その彼がようやく花嫁を見付けた。しかもどうやら身分不相応な大きな魔力を持っているらしいと聞いて、皇帝陛下も皇妃陛下も即座に結婚を認める決断をしたらしい。ガーゼルド様は頑固だから、ここで認めなかったら「もう結婚はしない」とか「私は公爵家を継がない」などと言い出すかもしれない。


 ガーゼルド様を他の女性と結婚させるより、私の身分偽装の方が簡単だと思ったということで、どんだけガーゼルド様の結婚問題に皇帝陛下が悩んでいたかが分かろうというものだ。


 ただ、皇帝陛下はこの時こうも仰っていた、


「レルジェの魔力は確かに平民のものではなかろうよ。なので私はレルジェの素性を辿れば、高位貴族に辿り着き、案外兄上の落胤などと偽装しないで済むのではないかと思っている」


 私がもしも愛人との間に生まれた私生児でも皇帝陛下が要請すれば、その貴族が認知しないという事はあり得ないだろうからね。確かに、嘘は少ない方がバレ難い。嘘を吐かないで済むならそれに越した事はない。


「そうだな。君から返事がもらえる前に、君の素性について徹底した調査を行ってみよう。君も何か思い出した事があれば私に伝えて欲しい」


 ……そんな事を言われてもねぇ。なにしろ私が孤児院に預けられた時はまだ何も分からない赤子の状態で、私を預けに来たのは両親ではない女性だったらしく、事付けも何もなかったそうだ。私の名前も当時の修道女の誰かが勝手に付けたらしいのよね。


 寄付金と宝石を持たせてくれたので、孤児院における私の待遇は良かったみたい(そういう子はもしかしたら後で引き取りに来るかもしれないから大事に育てられる)だけど、名付けもせず結局引き取りにも面会にも来なかったのだから、私が親から大事にされていなかったことは明らかだろう。


 なので私は完全に、自分の親から興味を失っていた。今日この時まで一切思い出すことも考える事もなかったくらいである。なので親について調べたこともなければ、親代わりの修道女達に尋ねる事もない。何度か修道女が私が預けられた状況を話してくれたのを覚えているくらいである。


 まぁ、この調子ならきっとガーゼルド様が熱心に調べてくれる事でしょう。私はこの件について完全にやる気が無くて、ガーゼルド様に丸投げしてしまったのだった。


「まぁ、身分のことは私がどうにでもする。ガーゼルドは早くレルジェからプロポーズの返事をもらう事だな」


 皇帝陛下はそう言って大きな声で笑った。心強いのか横暴なのか微妙なご発言だったわよね。


 こうして私は次期公爵ガーゼルド様の「仮婚約者」になってしまったのである。


  ◇◇◇


 メイーセン侯爵のお屋敷に帰って来た私は寝込んだ。一日だけ。それ以上はヴェリア様のご婚礼の準備に支障が出てしまう。


 ただ、ヴェリア様は事情を薄々察しておられたらしく「ゆっくり休んで考えなさい」と仰った。多分、皇族の横暴に振り回されて婚約解消を余儀なくされたご自分の境遇と重ねておられるのだろうね。


 しかし侯爵令嬢のヴェリア様がお断り出来なかった話が、男爵令嬢の私に断れる訳がない。まして元平民である事もバレてしまっているのだ。お断りなんてすれば即座に首がポーンだ。


 受けるしかないと分かってはいるんだけど、納得は出来ない。それに元平民の孤児である私に公爵のお妃様になれというのは無茶振りにも程がある。務まるとは思えない。ガーゼルド様は何を考えているのか。


 しかしガーゼルド様はこう仰っていた。


「君なら務まると思ったから求婚したのだ。私の人を見る目はそれなりに確かだぞ?」


 ……私だってガーゼルド様の眼力や洞察力が素晴らしいことは、スターサファイヤの一件で分かっている。私だって彼の能力は認めているのだ。


 問題は私にガーゼルド様に対する、その、男女の情愛がこれっぽっちもない事なのだ。


 私はこれまで男女交際に無縁の人生を送ってきた。孤児院では男女入り混じった、自分が男なのかも女なのかも不分明な生活を送って来たのである。


 そしてロバートさんのお店で見習いとして働き始めてからは毎日大忙しだった。仕事は楽しく毎日が新鮮で、私は夢中で働いた。その結果、男女交際にうつつを抜かす暇などなかったのである。


 それは、宝石店で働いているとお客かや業者から交際(愛人契約を含む)を持ち掛けられたり、セクハラを受けたりして、自分が女性である事はいやでも意識はしたけどね。でも、自分から男性の事を意識したことはなかったし、そんな気分になった事もなかった。


 まぁ、結婚はするんだろうなぁ、とは思っていたけどね。それが普通だから。平民でも二十五歳を越えても結婚していなかったら、身体に何か問題があるか、犯罪者かくらいに思われてしまうだろう。商人としてやって行くには社会的信用は大事である。


 しかしまさかその結婚相手が、平民時代には名前を呼ぶのも憚られるような雲の上のお人だった次期公爵殿下だとか、さすがにそれは予想も想像も出来なかったわよ。


 私は悩んだんだけど、どうにもこのままガーゼルド様のプロポーズを受諾する気にはなれなかった。


 結婚相手としてガーゼルド様に不満があるとかそういう話ではない(むしろ優良物件過ぎる)。好きでもない相手と結婚するのは平民でも貴族でも普通の話だから問題ではない。


 では何が問題なのかと言えば、単に気に入らなかったというしかない。自分の意思や行動に関係なく、大きな流れの中に放り込まれてグルグル流されるようなこの状況が気に入らなかったのである。


 そもそも私の願いは宝石商人としての独立だった。男爵令嬢への偽装やヴェリア様の侍女になる事はその目標に向かうための手段であると考えられたから納得できたけど、ガーゼルド様と結婚なんかしたらそんな目標は吹き飛んでしまうだろう。


 そもそも私が宝石商人として独立を目指したのは「誰にも頼らず一人で生きて行くため」だったのよね。


 私には実家が無く、この世の中にほとんど寄る辺がない。孤児院には帰れないしね。だからしっかりした自分の居場所。住処。寄って立つ地盤が欲しかったのである。


 なんとなくだけど、このままガーゼルド様と結婚してしまうと、私は一生そううしっかりした足場と人生に得られないままになる気がする。なにしろ皇兄のご落胤に成りすまそうっていうんだからね。一生嘘を吐き続けないといけないのだ。


 その辺が魚の小骨のように喉に引っ掛かって、私はガーゼルド様にお返事が出来ず、ズルズルとお待たせし続ける事になるのである。


  ◇◇◇


「来たわよ!」


 と応接室に堂々お入りになったのはイルメーヤ様だった。メイーセン侯爵家の応接室だというのに、自分の家のようだ。


「お久しぶりでございます」


「どこがよ。ついこの間会ったでしょ」


 そんな事を言われてもお作法通りの挨拶なのだから仕方がないじゃありませんか。


「先日は失礼を致しました」


「本当よ! あんな見事なレッドスピネル! 断腸の思いだったわ!」


 例のエベロン大王のルビーをフレッチャー王国に返還するために、現所有者であるイルメーヤ様を説得する必要があったのだ。


 それで私とガーゼルド様、皇太子殿下とヴェリア様が寄ってたかって説得して、帝室が十倍の値段で買い取るという事にしてどうにかイルメーヤ様を口説き落としたのだった。


 ちなみにエベロン大王のルビーは来年にこっそりフレッチャー王国に返還される事が決まっており、その場合は「去年帝国で話題になった石とは違うもの」という名目で返還される事になる。それで頃合いを見てフレッチャー王国では大々的に「大王のルビー発見」が発表される事になるだろう。


 その件で嫌味でも言いに来たのかな? と思ったのだが違うようだ。ちなみに今日イルメーヤ様と面会しているのは私だけだ。結婚式まで秒読み段階のヴェリア様は分刻みのスケジュールで動いていらっしゃって、とてもイルメーヤ様に会っている暇がない。で、その旨をイルメーヤ様にお返事すると「レルジェだけでいいわよ」という返答が届いたのだ。なぜに?


 私も忙しかったのだけど、流石にこれはお断り出来ず、なんとか無理をして私だけでイルメーヤ様をお出迎えしたという訳だった。


 この忙しいのにお姫様様のわがままに振り回されている場合じゃないんだけどなぁ。と思ったものの、何しろイルメーヤ様がガーゼルド様の妹である。今この状況でお会いするのを断わると、ガーゼルド様にどういう印象を持たれるか分からない。


 ガーゼルド様はこれまではあれほどほいほいとヴェリア様の所にやってきたくせに、私にプロポーズしてからというもの、すっかり姿を見せなくなったのだ。どういう意図があるのかは分からないが、非常に落ち着かない。


 イルメーヤ様はソファーにどっかりと腰を下ろすと、例のルビーについて一くさり文句を言っていたけど、やがて言い尽くしたのかフーッと息を吐いた。


「まぁ、確かにあんな両国紛争の種になりそうなモノ、私の手には余るからね。仕方ないわ」


 そして後ろに立つ自分の侍女から何やら小箱を受け取り、正面に座る私に向かってテーブルの上にズイッと押して寄越した。


「今日貴女に会いに来た理由はこれよ。見てちょうだい」


 ? 私は首を傾げながら小箱をテーブルに置いたままソッと開いた。


 中には白い石が一つ入っていた。大きさは直系五センチくらい。形状は真球。綺麗に虹色の輝きを帯びていた。


「触ってもよろしいですか?」


「どうぞ」


 ご許可を得て石を手に取る。よく見ると、白い石には貫通する小さな穴が開いている。これは……。


「真珠ですね」


 かなり大きな真珠だ。穴はネックレスにするためのものだろう。


 真珠は極めて高価な宝石で、こんな大きな真珠だと一カラットのダイヤモンドよりも余裕で高価だっただろう。南方の限られた海に生息する貝の中から採取されるということで、しかも十個の貝の中から一つ発見されれば良いくらいの希少なものだ。


 真球形の物が最も尊ばれ、勿論大きな物になればなるほど高価。非常に希に黒だったり金色だったりピンクだったりする真珠もあり、そういうものは当然だが価値も値段も跳ね上がる。


 真珠は非常に人気な宝石で、ネックレスにしたりティアラに使用したり、ドレスに縫い付けたりもする。需要も大きいから宝石店でも大量に取引される商品だ。


 なのだが、私は真珠に関しては何も「視え」ない。見ても触っても何も浮かんで来ないのだ。最初は同じ宝石なのになんで? と思ったのだが、どうやら真珠は実は鉱物ではないというのが影響しているらしい。同じ生物由来の宝石である珊瑚や琥珀からも何も見えないので。


 宝石商人としては人気商品である真珠の目利きが出来ないのでは仕事にならない。だから私は一生懸命勉強して、真珠の見分け方はそれなりに出来るようにはなっているわよ。


「良い色でしょう? これはこの間とは違う宝石屋で買ったのよ」


 またお忍びで下町の怪しい店に行ったという事だろう。リュグナ婆ちゃん以外にも怪しい宝石屋は沢山ある。というか、リュグナ婆ちゃんはあれでかなりまともな宝石商人だしね。


 私は真珠を光に翳し、色を見る。美しい虹色の輝きで光を通すと輝きが強まった。ん~? 私は思わず眉をしかめてしまう。もしかしてこれは。


 真珠を指先で慎重に撫で、軽く爪でひっかく。そして、開いている穴をジーッとよく見た。ルーペが欲しいところね。


 でもまぁ、判別は出来た。私はイルメーヤ様に視線を向けて言った。


「イルメーヤ様。申し上げ難いのですが」


「なによ」


「これは偽物です」


 イルメーヤ様は大きく目を見開いた。彼女の後ろの侍女も口に手を当てて驚いている。


「模造真珠といいます。ガラスの球の上に真珠を砕いて粉にして塗料と混ぜたものを塗り重ねるのです。すると、本物そっくりの模造真珠が出来る」


 まぁ、材料に本物の真珠を使っているのだから、厳密に言うと偽物ではないのかも知れない。人工真珠と呼ぶべきだろうか。しかし、芯にガラス球を使う事で非常に大きな真珠を造ることが出来るため、特に大きな真珠はこれを疑わなければならない。


「ど、どうして? 何処を見れば分かるのよ? これが模造真珠だって?」


「そうですね。幾つか判別方法はありますけど、まずこれは光を通し過ぎますね」


 本物の真珠も光は通すけど、模造真珠はガラス玉が中に入っているからより光を通して強く輝くのだ。ちなみに、芯に使う物には色んなものがあり、完全に光を通さない物質が使用される事もあり、その場合は逆に本物より輝きが弱くなる。


「もう一つは穴ですね。これはよく見ると穴の周囲が丸くなっています」


 本物の真珠の場合、当然だけど穴のない真珠に後から切削して穴を開ける。そのため、穴の周囲は角が綺麗な形状になる。しかし模造品の場合は元々穴を開けたガラス玉を塗料の中に漬けて真珠層を形成するため(大体の場合穴に紐を通して)穴の縁が角にならないのだ。これはルーペで見れば一目瞭然である。


「後はこれですね」


 私は自分のドレスの胸元に縫い付けて会った小さな真珠を二つ引きちぎった。これは小さいけど正真正銘の本物だ。そしてそれをイルメーヤ様に渡す。


「この二つを軽く擦りつけて下さい」


 イルメーヤ様は怪訝な顔をしながら私から二つの真珠を受け取ると、私の言うとおりそれを擦り合わせた。首を傾げる。


「なんかコリコリするわね?」


「では、一方をこのイルメーヤ様のものと交換して同じ事をしてください」


 イルメーヤ様は一つをテーブルの上に置くと、私から返された大きな模造真珠を手に取り、それを私の真珠と擦り合わせる。すぐに顔が驚きに歪んだ。


「コリコリしないわ!」


「そのコリコリが本物の証拠なのでございます」


 本物の真珠は微細な凸凹があってそれがそのコリコリ感を生み出すのだ。一方、模造真珠にはそれがないのである。


 はー、っと感心したイルメーヤ様はしきりに真珠をいろんなものに擦りつけている。ちょっと、それ私の真珠! 真珠が傷むから止めて下さい! お店でもお店の人の許しなく擦ったりしたらダメだからね!


 ひとしきり自分でも色々見て、イルメーヤ様は慨嘆した。


「そうかぁ……! 騙された! ちょっとお安いし、おかしいとは思っていたのよね! 私はあんまり真珠は得意じゃないんだけど、綺麗だからつい買ってしまったのよねぇ」


 ……ふむ。そういう事か。私は言った。


「イルメーヤ様は宝石に籠もった魔力が分かるのですね?」


 イルメーヤ様がそのサファイヤ色の瞳を見開いた。


「な、なぜ分かったの?」


 やっぱりそうか。私は内心で頷く。


「ガーゼルド様が分かると仰っていたから、妹姫であるイルメーヤ様にも分かるのかなと。それに、他の宝石についてはかなり判別に自信をお持ちのようでしたから」


 これまでイルメーヤ様を見た機会に、彼女は一度も偽物の宝石を身に着けていなかった。貴族女性は常に大量の宝石を身に着けるのだけど、その小さな宝石の一つに至るまでガラス玉が混じっていないというのは逆に珍しい。


 リュグナ婆ちゃんの店でも例のエベロン大王のルビーをろくに見もしないで買っていたしね。普通はあんなお高い宝石をろくに鑑定もしないで買うなんてあり得まい。イルメーヤ様が騙された接着ダイヤモンドも、あれは確かに本物のダイヤモンドであるのは間違いなかったし。


 多分、ガラス玉と宝石の区別は瞬時に付くのだろう。でも真珠はそれが出来ないから自信がないのだ。


「それで真贋の鑑定をして欲しくて、今日私に会いに来られたのではないですか?」


 私の台詞を聞いて、イルメーヤ様はなにやら微妙な表情をした。怒っているような、感心しているような、呆れた様な。


 そしてやがて吹き出すように笑ってこう仰った。


「お兄様が惚れるわけだわね」


 いきなりその話題が出て来て私はピキッと硬直した。


「いやー、お兄様が『男爵令嬢を嫁にする!』って言い出した時には気が狂ったんじゃないかと疑ったんだけどね」


 イルメーヤ様はウンウンと頷いていた。


「お兄様は頭が良い人間が好きだからね。納得だわ」


「な、納得ですか?」


「その頭の切れに加えて、大きな魔力も持っているそうじゃない? それなら確かにお兄様があんなに執着するのも分かるわ。いいわよ、貴女なら。お兄様をあげる」


 上げるって、そんな次期公爵を物みたいに……。私が唖然としていると、イルメーヤ様はクスクスと笑い出した。


「いやー、貴女に振られたお兄様の落ち込み方が面白くてね。笑いが止まらないのよ」


「え? その、振ってはいませんよ?」


「そうなの? それにしてはここ数日、落ち込んで部屋から出て来ないんだけど」


 えー? なんですかそれは! 私がプロポーズに即答しなかった事で、ガーゼルド様は随分と傷付いてしまったらしい。慌て出す私とは対照的に、イルメーヤ様は余裕の表情だった。


「いいのよ。自信過剰なあの人には良い薬だわ。それに、貴女のその態度を見るにつけ、貴女だって満更でもないんでしょう?」


「満更って……。私は別に……」


「私が言うのもなんだけど、お兄様はいい男よ? 顔も良いし頭も良い。将来性有望。ま、ちょっと性格は変だけどね。お勧めよ」


 どうやらイルメーヤ様は真珠の鑑定にかこつけて、兄の恋路の後押しに来たようだ。つくづく仲良し兄妹ねぇ。このお二人。


「無事に婚姻が調えば、貴女は私の義理の姉になるわけだしね」


 ……男爵令嬢なんかが自分の義姉になることに、イルメーヤ様は何の抵抗もなさそうだった。ガーゼルド様もそうだけどイルメーヤ様もそういう感覚は貴族としては変わっていると思うのよね。イルメーヤ様の場合、私の宝石の記憶を読む能力を知らないわけだし。


 それからイルメーヤ様は私に、ガーゼルド様についてのお話を色々して下さった。子供の頃から優秀だったけど、一つの事に熱中し過ぎる癖があって、家庭教師を困らせていたらしい。例えば植物がどう育つのかが気になって、早朝から丸一日中、芽を出したばかりの植物を観察し続けたとか。熱中すると周囲が見えなくなるのだそうだ。


 女性への関心の無さにはイルメーヤ様も手を焼いていたそうで、自分の知り合いの貴族令嬢を何人も紹介しては断わられたらしい。ガーゼルド様は勿論女性から大人気だったので、イルメーヤ様に紹介を頼んでくるご令嬢は引きも切らなかったらしいんだけど、断わられるのが分かっていて紹介するのも気が引けるのでそれも困ったと仰っていた。


 そんなガーゼルド様が初めて熱烈に興味を示した女性に、イルメーヤ様も興味津々なのだそうだ。


「仲良くしましょうね! 未来のお義姉様!」


 などと言いながら、イルメーヤ様はご機嫌でお帰りになった。しかし私はガーゼルド様が落ち込んでいるという情報と、なんだか着々と外堀が埋まって行く事を感じて、頭を抱えてしまったのだった。


――――――――――――

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