第十一話 突然のプロポーズ
七百年前とは随分古い話が出てきたわね、と私が呆然としていると皇帝陛下は笑って仰った。
「初代皇妃アミスフィアがいらっしゃったのは千年前だぞ?」
帝国は大体創設千年にもなるのだそうだ。もっとも、その間には色々あったみたいなんだけどね。
もちろん一千年前なんてはるか遠くに霞む大昔の事だ。伝わっている伝説も本当なのか大ボラなのか判断し辛い物も多いらしい。
アミスフィア様自体も書物に名前が伝わっているだけで、お姿は抽象的な絵でしか残っておらず、事績も断片的なものが知られるのみである。
しかしその中でアミスフィア様は「宝石の声を聞き取る事が出来た」と伝わっているらしい。
「宝石から持ち主の記憶が読めたらしい。対面しただけで身につけている宝石の記憶からその人物の過去や隠し事を見事に言い当てたと伝わる」
……私の能力と似ている事は認めざるをえないわね。
「でだ、この能力は遺伝した。代々の皇帝の中にも何人か宝石の記憶を読める者が出た」
それだけではなく、帝室に近い血筋の貴族にもごく稀にその能力が表れたらしい。
当時は現在よりも人の魔力が強く魔法が日常的に使われていた程だったので、それとも関係があるのではないかと皇帝陛下は言った。
「宝石から秘密を読みとられるのを恐れた皇族や貴族達は、対策を考えた。その一つがそのガラスコーティングの技術だな」
確かに交渉の場で身に付けた宝石から秘密を読み取られてはたまらないだろう。貴族は魔力を貯蔵に使うために身に付けない訳にはいかないから尚更だ。
「だが、血筋が薄れたからか、だんだんと宝石の記憶を読み取れる者は現れなくなっていった。最後の記録は七百年前。それからは精々宝石に籠った魔力量を察する事が出来る者が現れた程度だ」
ガーゼルド様もそれくらいは分かるらしい。でも、その程度でも分かれば宝石とガラス玉の判別は出来そうね。
「なので其方が宝石の記憶を読み取れるという事になると、七百年ぶりという事になる。そうなると生まれが気になる所だが、孤児だったとか?」
……皇帝陛下、というかガーゼルド様はそこまで調べたのか。まぁ、今伺った宝石の記憶を読み取る能力の重要性を鑑みれば当たり前なのかもしれないけど。
私は諦めて最初から説明する事にした。
「そうです。私は孤児院出身です。帝都のエルターゼ修道院の孤児院に、生まれたばかりで預けられたみたいですね」
冬のある日の事だったらしい。私は孤児院で修道女によって育てられたのである。
修道院には常に三十人ほどの孤児がおり、私はそのみんなと兄弟のように育てられた。修道院なので大女神様へ毎日祈りを捧げたり、奉仕活動で方々の清掃なんかをさせられたけど、食べるに困る事はなかったし、遊び相手にも事欠かなかったから、楽しく暮らしていたわよ。
「親の事は何も分からぬのか?」
ガーゼルド様の問いに私は肩をすくめる。
「全然。私が預けられた時に一緒に、寄付金と小さな宝石があったそうですけど、身元が分かるようなものは何も」
「寄付金はともかく、その宝石に何か暗号でも隠されていたのではないのか?」
「どうでしょうね。その宝石も修道院の運営の為に売られてしまって、今はありませんからね」
ガーゼルド様は考え込む。
「ふむ、寄付金と宝石を残した、という事は、君の親は多分貴族だな」
どうかしらね。私が十三まで孤児院で暮らしてる間にも、孤児院に何人も子供が預けられたけど、身分はまちまちだった。確かに寄付金と共に預けられるのは珍しい例だったけど。
「貴族かどうかは分かりませんけど、多分表に出せない私生児だったんじゃないかと思いますね」
「そうだろうな。貴族の愛妾で表に出せない者の子供を平民に預けたり孤児院に出すのはよくある事だ」
貴族の愛人には公妾と私妾がいて、公妾は家が公認して妻と同等に扱われ、生まれた子供は正妻の養子になった上で認知されるのに対し、私妾の子供が認知されることは少ないのだそうだ。
私はおそらく貴族の私妾の娘だったのだろうとガーゼルド様は予測した。しかも私の能力には高い魔力が必要だと考えられるから、高位貴族の私生児だったのではないかという。なるほどね。
「で、孤児院に寄付をしていたロバートさんの指輪の宝石が偽物だと指摘したのがきっかけで、ロバート宝石店で働く事になり、今に至ります」
「天才少女だ!」ってロバートさんは驚いていたけど、私は宝石の記憶を辿っていただけだから、その当時は宝石についての知識なんて全然なかったわよ。
「……どうも君は、自分の生まれにはあんまり興味がなさそうだな?」
ガーゼルド様はなぜか不満げな表情で言った。私は首を傾げてしまう。
「今更自分の生まれが分かっても何にもなりませんし」
親が分かったからといって、今の私には何の得にもならないからね。そうね。遺産でもくれるっていうなら、独立資金の為にもらってもいいかもね。
「もしも高位の貴族の生まれなら、今の男爵令嬢の身分よりも高い身分が手に入るかも知れぬではないか」
私は反対側に首を傾げる。
「別にこれ以上の身分は必要ないですし」
私の目標は宝石商人として独立する事なのだから、男爵令嬢でも十分なのだ。帝都一の宝石商人の一人であるハイアール男爵でさえ男爵なのだから。
「ふむ、宝石商人になりたいのか? それはやはり宝石が好きだからか?」
「まぁ、宝石はそこそこ好きですけど、それよりは、他に能がないというのが理由としては大きいですね」
私に出来ることは宝石の記憶を読むことだけだ。学もないし技術もない。一人で生きて行く方法が、私には宝石しかなかったのである。
「ふむ。別に一人で生きて行かなくても、誰かの嫁になれば良いではないか」
「平民では妻も働いて家計を維持するものなのでございますよ。むしろ嫁に行きたければ良い稼ぎを得ている必要があります」
まぁ、私も貴族になってしまっているので、そういう話も色々変わってきてしまっているとは思うんだけどね。
「そうか……」
とガーゼルド様が少し難しい顔をして沈黙してしまった。あれ? ご機嫌を損ねたかな? 正直に受け答えしただけなんだけど。私が少し心配しながらガーゼルド様の整った横顔を見つめていると、突然笑い声が響いた。
見ると、皇帝陛下と皇妃陛下が口元を手で隠して笑っておられたのだった。皇妃陛下は俯き、皇帝陛下は上を向いて堪えられないというように笑い転げていらっしゃったわね。
「ハハハハ。ガーゼルドも形無しだな」
「ガーゼルド。それではダメですよ。通じません。もう少しはっきり言わねば」
「回りくどいのは其方の悪い癖だ」
ガーゼルド様は憮然となってしまった。
「放っておいてください。伯父上」
「其方に言えないなら私が言ってやろうか?」
「結構です!」
へー。ガーゼルド様は皇帝陛下の甥っ子なんだ。と私は思っただけだったわね。後で聞いたらお母様が陛下の妹らしい。公爵家と皇家は緊密に血縁関係を結んでいるのだそうだ。
ガーゼルド様は怒ったような声で言った。
「私は君が、かなり高位の貴族の生まれだと踏んでいるのだ。その能力に多大な魔力が必要なのは分かり切った事だからな。ならば平民から生まれる筈はない」
突然変異的に魔力を持つ平民が生まれる事がないわけではないものの、いくらなんでも初代皇妃並の魔力はあり得ない筈だとの事。ならば私のまだ見ぬ両親は多分かなりの高位貴族だろうというのがガーゼルド様の見立てだった。
ふーん。としか私は思わなかった。血筋はそうでも、私は多分私生児で、認知出来ないから孤児院に預けられたのだ。今更親を探し出しても認知してくれるとは限るまい。
今現在困ってはいないのだから、何もわざわざ親を探し出して認知を迫る理由が、私にはない。
全然興味がなさそうな私に、ガーゼルド様は頭を抱えてしまった。さっきからなんですか? ガーゼルド様には私の生まれなんて関係ないでしょうに。
「……君が高位貴族の生まれである方が色々都合がいいのだ」
「都合?」
「君のその能力は大変に珍しく、色々危険だ。そこまでは分かるな?」
……それはそうかも知れない。
なにせ宝石を見れば、持ち主の色んな事が分かってしまう。肌身離さず付けている宝石からはその人の生活が結構赤裸々に見えてしまう場合もある。それを防ぐために宝石にガラスをコーティングする技術が開発された程度には昔も危険視されていたのだ。
「君がたかだか男爵令嬢程度では、攫われて悪事に利用されるかも知れぬ」
他国の者、例えばフレッチャー王国の隠密組織が狙って来る可能性もないとは言えないという。なんだか物騒な話になってきたわね。
「しかし、もっと高位の貴族の娘であれば、そう簡単に攫われるような事はない」
伯爵、侯爵の娘ともなれば、行方不明になった時点で国家的な捜索が行われるし、もしも他国に攫われたとなれば、帝国として抗議をする事になる。そういう面では私は高位貴族令嬢である方がいいのだそうだ。
なるほど、と思える話ではあったけど、それならこの私の能力を誰にも秘密にしておけばいいんじゃないのかしら。幸い、知っているのはヴェリア様とガーゼルド様、そして皇帝陛下、皇妃陛下だけだもの。
納得していない私の表情をどう受け取ったものか、ガーゼルド様は明るく笑いながら言った。
「実は候補がいるのだ。皇帝陛下の兄上であるサイサージュ殿下という方がおられたのだが、その方が愛妾との間に子を成した、という噂がある」
少し引っ掛かる言い方だった。
「おられた?」
「故人だ。身体がお弱くてな。それで皇太子にはなられなかった」
その殿下はもう十八年前、つまり私が生まれた年に三十代の若さでお亡くなりになっている。そのサイサージュ殿下が亡くなる直前にご愛妾と子を作った、という噂があったのだそうだ。
「帝室のご落胤であれば高い魔力を持っていてもおかしくない。有力な候補だと言えるだろう」
へー。そんな方がおられたのねー。くらいの感想だった。あんまりにも関心が持てなかったものだから、私はうっかり口を滑らせた。
「その方が皆様には都合が良いという事なんですね」
一瞬、サロンの中が凍りついたように沈黙した。
「……どういう意味なのだ?」
ガーゼルド様が低い声で仰った。私は失敗を悟りながらも、発言が撤回出来ずに渋々応じる。
「全くの平民に古の皇妃様と同じ能力が発現したら貴族の権威に関わります。普通の高位貴族でもまずい。だから存在があやふやな皇帝陛下の兄君の娘としてしまった方が都合が良い。……という事なのかなと」
ガーゼルド様も皇帝陛下も額を抑えてしまった。親子のようにそっくりね。この二人。
「……ガーゼルド。聡過ぎるというのも考えものだぞ?」
「陛下。それが良いのではないですか。私の考えを軽々と超えてくる女性など、そうそう存在しませんよ」
そしてガーゼルド様は苦笑しながら仰った。
「そうだ。まさにその通り。逆に言うと、君にこのまま男爵令嬢のままでいられると困るということでもある。ここはそういうことだという事で納得してもらえないだろうか?」
つまり、男爵令嬢を偽装したのと同じように、今度は皇兄のご落胤を装えと言うのだろう。無茶苦茶である。
「皇帝陛下の兄君のご落胤が現れたら、それこそ大騒ぎになるのではないですか? 財産問題とか皇族順位の問題で大揉めになるでしょう」
あんまり良い考えだとは私には思えない。特に様々な問題が生じた時に実際に巻き込まれるのは私なのだ。下手をすると命まで危うくなるかもしれない。
お偉方の思惑でそんな事態に巻き込まないで欲しい。
「そこはこちらでなんとかする。色々準備を整えてな」
「なんですか準備って? 何をどうするつもりなのですか?」
私が食って掛ると、なぜかガーゼルド様はついっと視線を逸らした。手で口を隠すような仕草をする。? なんですか? 気が付くと、皇帝陛下と皇妃陛下がワクワクとした表情でこっちに注目していた。……さっきから何かがおかしい。色々とおかしい。
やがて、ガーゼルド様が決心したようにこっちを見てとんでもない事を言った。
「……私は君を妻に迎え入れようと思っている」
……
「は?」
「どういう顔だその顔は? 何を怒っている」
別に怒ってはいない筈だ。なんというか、呆れ果ててはいるけど怒ってなどいない。いないはずだ。
しかしまぁ、ここ数ヶ月の間、色んな人から言われ続けていた言葉が遂に本人から出て来た事に、若干の苛立ちを覚えたのも確かかも知れない。
「ガーゼルド様の愛人になるには男爵令嬢では身分が不足だから、ご落胤を装えということですか?」
「いや、そうではなくてだな……」
「私は元々平民ですよ。ガーゼルド様の愛妾になれるような身分ではございません。それは、次期公爵からのご命令とあらば仕方がないですけど、私なんぞを愛人にしなくても他にお似合いの方が沢山いらっしゃるでしょう? いったいぜんたい何を考えてこんな平民の小娘に目を付けたのですか。それとも他にも私のような娘を無理矢理手籠めにして愛人に……」
「落ち着けレルジェ」
ガーゼルド様は困った様に仰った。いけないけない。やっぱり私はガーゼルド様の言う通りにちょっと怒っているようだった。こんな高位の方々を怒らせたら私の首は物理的にスパーンと飛んでしまう。自重せねば。
私がスーハースーハーと深呼吸していると、ガーゼルド様が慎重な口調で言った。
「よく聞くのだ。レルジェ。私は君を『妻に迎え入れる』と言ったのだぞ? いつ『愛人にする』と言った?」
……思い出してみれば確かにそれはその通りである。けど。
「妻? って次期公爵のであるガーゼルド様のお妃という事ですか?」
「それ以外の何に聞こえた」
「いえ、その、それ以外の意味には取れなかったですけど……」
私はうーんと考え込む。あまりに非現実的な話なので逆にとても冷静になってしまった。
「いったい何を考えていらっしゃるのですか?」
「……分かった。もう一度最初から順を追って説明しよう」
テーブルの向こうで皇帝陛下と皇妃陛下が声を出さずに笑い転げていらっしゃるのは見なかった事にしたわよ。
◇◇◇
「まず、前提条件として、私は君の事が気に入った」
ガーゼルド様は大真面目な顔をしてこう仰った。
……まぁ、その、何となくそれは察してはいた。少なくとも周囲が私を彼の愛人候補だと勘違いする程度には親密な接触があったのは確かだ。
「その思考の切れ、度胸、発想、そして冷静さ。どれも私がこれまで出会ってきた女性の中には見なかった資質だ。一応言っておくが容姿も私の好みだぞ」
女性に告白するのに容姿に触れないと失礼になるからみたいに付け足しで褒められてもね。
「そして宝石の記憶を読む能力。これは多大な魔力を秘めているという事を意味するから、是非とも我が血筋に欲しい」
魔力は遺伝する面が多いからだ。平民より貴族の方が魔力が多いのは、魔力の多い同士で婚姻を重ねてきた結果である。
「様々な面を鑑みて、君は私の妻に相応しいと判断した」
真面目な表情とお言葉だけど、愛の告白としてその言い方はどうなのだろうか。まぁいいけど。
「君を妻に迎え入れる際に障害になるのは当然血筋と身分だ。元平民の男爵令嬢では、貴賤結婚以前の問題だ」
公爵家のお妃様は同じ皇族から迎えるのが通例らしい。侯爵家令嬢でも珍しく、伯爵令嬢でも論外扱い。男爵令嬢なんて笑い話にもならないそうだ。
「ここで必要になるのが皇帝陛下のご落胤の身分という事だ。実は皇族であったということなら身分の問題はなくなる」
私は呆れかえった。
「そんないい加減な話がありますか? 証拠もないのに皇族を騙って信用されるものなのですか?」
「普通なら信用されない。しかし君にはその能力がある」
宝石の記憶が読める能力がある、ということは高い魔力を有するという事だ。伯爵の姪程度の血筋ではあり得ない。ということはどこかのご落胤なのでは? それをブレゲ伯爵が引き取ったのでは? そう言えば皇帝陛下のお兄上にご落胤がいたという話があったな?
「という風に話を持っていけば、君がサイサージュ殿下のご落胤だという事にするのは不可能ではない。幸い」
ガーゼルド様はまだ笑っている皇帝陛下と皇妃陛下をジロッと睨んだ。
「皇帝陛下のご協力も得られるからな」
皇帝陛下は笑いながら仰った。
「ああ、いいぞ。確かにレルジェの能力は驚異で、他家に渡したくはない。それにガーゼルドの恋心の成就のためならいくらでも協力してやろう」
……一国の皇帝陛下がこんな安請け合いして良いものなのかしら? しかし確かに皇帝陛下が「確かに兄には愛妾との間に子がいたらしい」という証言をして、そう言えば髪の色は藍色で目は黄色だったな、とでも言えば周囲は納得してしまうかもしれない。
「どうだ? レルジェ?」
ガーゼルド様は爽やかに笑った。んだけど。
……どうだ? じゃないでしょうよ! 私はかーっと頭に血が上り、有り体に言えば切れてしまった。私は思いきりガーゼルド様を怒鳴り付けた!
「馬鹿なんじゃないですか! 貴方は!」
私は立ち上がり、孤児院で年少の子供達を叱る時の勢いでガーッと怒鳴った。
「そんな話が通る訳無いでしょう! 一体何を考えているんですか! 身分を何重にも偽装して、帝国のあらゆる人を欺いて、そうまでして私と結婚したいなんておかしいじゃないですか! 天下の次期公爵がすることですか!」
天下の次期公爵を怒鳴り付けるなんて大不敬行為だけどね。これだけでも平民なら処刑モノの大罪だ。しかし、当のガーゼルド様は気にする様子もなく、フーフーと息を切らしている私の手を取ってこう言ったのだ。
「仕方ないだろう。私は君を愛してしまったのだから」
濃い目の金髪とルベライトを思わせる暗い赤の瞳。すっきりとして精悍な顔立ち。優雅な物腰。全帝国を見回しても二人といないほどの美丈夫が、瞳を潤ませながら私の熱い手でしっかり握ってこう言ったのだ。
破壊力が違う。
さすがの私もぐらっときた。恋愛経験なし。ロバートさんのお店にいた時に、出入りの業者の若者にアプローチされたことはあるものの、全然その気にならなかった程度に男女関係に疎い私でも、超イケメンからの直球の愛の告白には赤面を禁じ得なかった。私はみっともないくらい狼狽してしまった。
「な、な、な、何故ですか? なんで私なんかを……」
この超優良物件なら、高位貴族のお嬢様が選り取り見取り、引く手数多だろうに。なにも元孤児で平民で今は男爵令嬢に過ぎない私などを選ばなくてもと思うのだ。
そもそも、次期公爵殿下なら愛人を抱えるのは当たり前なのだから、男爵令嬢を手元に置きたいのなら愛人にすればいいのである。何も謀略を巡らし周囲を欺いてまで私を妻にする必要などない。宝石の記憶を読む能力が危険だというのなら、これまで通りに秘密にしておけば良いのだ。
私は彼から身を遠ざけて逃げようとするが、ガーゼルド様が私の両手をしっかり拘束していたから無理だった。彼は私の目からあのルベライト色の視線を一度も外さずに言い切った。
「君が良いのだ。君でなければダメなのだ。君と結婚出来ぬのなら、私は生涯妻を迎えまいぞ」
ガーゼルド様の真剣な言葉に、皇妃陛下がはーっと、溜息を吐く。
「レルジェ。その、ガーゼルドの言うことは本当です。その子はどうもこれまで女性に対する興味が薄くて、何度見合いをさせても縁談が決まらず、困り果てていたのです。そのガーゼルドが初めて見初めて熱烈に結婚を希望してきたのが、レルジェ。其方です」
確かにロズバード様がそんな事を言っていたし、私をガーゼルド様の愛人にすることに、皇太子殿下を始め周囲が妙に乗り気だな? とは思ったのよね。彼はこれまで非常に女っ気が薄く、婚約者や愛人どころか恋人すらいたことがないのだそうだ。
騎士団長としての職務に熱心に取り組み、次代の皇帝陛下であるルシベール殿下に最も信頼された腹心である彼が、唯一心配されていたのが「結婚にあまりにも興味がないこと」だったのである。その興味の無さ加減は、妹のイルメーヤ様でさえ「お兄様が結婚しないと私が嫁に出られないじゃないの!」と心配していた程だったそうだ。
この事が、本来であれば「論外以下」である筈の男爵令嬢たる私と次期公爵の婚姻を、皇帝陛下達が多少の無理は押し潰して強引に推し進める理由であるらしい。皇帝陛下にしてみれば「いないはずの姪を認知する」事と「公爵家の断絶」のどちらかという究極の選択を強いられた訳で、その心労はあまりあるわよね。それにしては見守る両陛下とも実に楽しそうだけど。
「レルジェ」
ガーゼルド様は自分も立ち上がって、今度は上の方から私の顔に自分の顔を近付けた。近い近い! でも私も彼の瞳から目を離せなくなっていたわね。
「私は本気だ。私はどうしても君と結婚したい。君は、私の事が嫌いか?」
……どうすりゃいいのよ……。
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