第七話 スターサファイヤの秘密(後)

「まったく驚いたな。そこまでは宝石の記憶を見るだけでは分からないと思うのだがな」


 ガーゼルド様の声には呆れたような響きがあった。どうやら私の考えは外れてはいなかったらしい。私はホッと息を吐いた。


「ただ、分からないことが二つあります」


 ガーゼルド様は意外そうな表情をして首を傾げた。


「そこまで何もかも洞察出来ていて分からない事などないだろう?」


「この件にガーゼルド様がどう関わるのか、そして私がなぜここに連れ出されたのかが分かりません」


 ウェンリィ伯爵家が経済的に苦しくなり、資産を隠蔽していると思われる愛人を探しており、その愛人の所に辿り着くためにこのスターサファイヤに秘められた謎を解きたがっている。というのは分かった。


 しかしそこに、本家とはいえ縁遠かったグラメール公爵家の次期当主であるガーゼルド様が直接出張ってくるのはおかしいと思う。


 前伯爵夫人はガーゼルド様が事情通だから、というような事を言っていたけど、そんな理由だけで身分が自分より高い、大してこれまで交流がなかった本家の次期当主を引っ張り出せるものなのだろうか。


 そして私だ。私の能力は便利である事は確かだけど、万能ではない。正直、一番役に立つのは鑑定だと思う。石の記憶を辿っていけば宝石の出所や種類はまず間違いなく明らかになるからね。ガラスからは何も視えないし。


 事実、私が能力と推理で到達した結論は、既にガーゼルド様がお持ちの情報だった。私にはこれ以上は何も分からないのだから、私がこのスターサファイヤを視る意味はなかったという事になる。


 それなのにガーゼルド様はわざわざ私を連れて来た。ご自分で分かっている事を言わせるために、私をわざわざ連れてくるはずないと思うのよね。


「ふむ、そうだな。そこは説明が必要か。まず、私がこの件に関わっている理由だが、これは簡単だな。私がウェンリィ伯爵家に金を貸しているからだ。つまり債権者なのだ」


「はい?」


「ウェンリィ伯爵家は貿易事業をしていると言ったろう? それに私が個人で投資しているのだ。親戚のよしみでな」


 ガーゼルド様によれば、現ウェンリィ伯爵は前伯爵の跡を継ぐとすぐに、高利貸し事業を精算したのだそうだ。周囲からの悪評に耐えかねたらしい。


 グラメール公爵家はこれを歓迎し、ウェンリィ伯爵が高利貸しの代わりに貿易事業を始める際に出資を行なった。この際に家としてではなくガーゼルド様が個人でお金を出したらしい。


「まだ高利貸し時代の前伯爵の悪評が消えていない時期だったからな」


 まだ公爵家全体で支援することは憚られたという事だろうね。


「ウェンリィ伯爵家の事業は順調だったのだが、残念な事に先日、伯爵家が派遣した外洋交易船が二隻、一度に沈んでしまった」


 外洋交易とは西の大洋を渡ってその先にある大陸との交易を図る目論見で、大きな船を派遣する事業なのだそうだ。非常に元手は掛かるけど、成功すれば利益も大きい。


 ウェンリィ伯爵家はこれに取り組み、失敗してしまったという訳だった。


「経済的に苦しくなってしまった伯爵家は私に追加の出資を頼みにきた。そしてその担保として提案してきたのが、件の愛人の所にあるであろう隠し財産という訳だ」


 まだ手に入ってもいない資産を当て込んで担保にしようというのだから、ウェンリィ伯爵家は余程追い込まれているのだろうという。


 ただ、この話を聞いたガーゼルド様は「これは面白そうだ」と考え、前伯爵の隠し財産を探すのに協力する事にしたそうだ。なんですかそれは?


「だって面白そうではないか。このスターサファイヤにどんな謎があるのか、ワクワクするであろう?」


 目を輝かせるガーゼルド様。子供か貴方様は。まぁ、分からない考え方ではないけども。


 で、勇んで謎解きに励んだのだが、これがなかなか難航していたらしい。


「君が言い当てた事だって、私が同じ結論に辿り着くまでには随分と時間が掛かったものだ」


 ガーゼルド様には宝石の記憶は見えないからね。色々と調査しなければ分からなかった事だろう。


「……で、その前伯爵が財産を隠した愛人とやらは見つかったのですか?」


 私が言うとガーゼルド様は大袈裟に両手を広げた。


「それなら君をわざわざ連れてくると思うのか?」


 つまりそれが私が引っ張り出された理由だ。ガーゼルド様の調査は前伯爵の隠し財産どころか前伯爵の愛人の所にすら辿り着かなかったらしい。


「まぁ、長年連れ添った前伯爵夫人すら気が付かなかった愛人だそうだからな。しかも、かなり昔に出会ったらしい。そんなに長期に渡って隠しおおせた存在を見つけるのは簡単ではないさ」


 ガーゼルド様は苦い笑顔で仰った。前伯爵に愛人がいたなど、前伯爵夫人もそうだけど長年仕えた使用人や出入りの業者、数少ない友人や同業者も知らなかったのだそうである。


 このスターサファイヤだけが、前伯爵に夫人以外の想い人がいた証拠であり、その謎の彼女に辿り着く唯一の道標なのだ。


 そしてモノが宝石だけに、捜査が行き詰まったガーゼルド様が宝石の記憶を読み取れる私を頼ったのも無理はないのである。


「というわけだ。他に何か分からぬか? なんでも良い。推理のきっかけになるような何かだ」


 そんな事を言われましてもね。私が推測したことはお話した事で全部ですよ。……あ、でももしかして……。


「このスターサファイヤと対になるスタールビーの存在はご存知ですか?」


 私の言葉にガーゼルド様は目を輝かせた。


「なんだそれは!」


「石の記憶を見ていたら見えたのです。この指輪が作成された時、対になって造られたスタールビーの指輪があるようなのです」


 前伯爵と栗色髪の女性がお互いの指輪を見せ合ったイメージが見えるから間違いないと思う。かなり大きなスタールビーだから、もしかしたら世に知られる品になっているかもしれない。そちらから辿る方法も考えられるだろう。


「それは私が集めた情報には無かったな。やはり君に頼んで良かった!」


 ガーゼルド様は満面の笑みを見せた。子どものように笑うのね。この人。


「他には何かないのか?」


「そうですね。気になるのは、前伯爵夫人が何故私に『これは借金のカタに引き取ったものだ』なんて嘘を吐いたのかという事ですね」


 ガーゼルド様のお話では、彼の方には正直に愛人の存在を話していたようなのに。


「それは、君に愛人の存在を教えたくなかったからであろう」


 ガーゼルド様は「捜査に役立ちそうだから宝石の鑑定をさせたい」という事にして私を連れて来たのだそうだ。だから前伯爵夫人は愛人や隠し財産の事は言わなかったのだろうとのこと。


「それはちょっと変ですね。夫人は私とガーゼルド様の仲を、その、誤解していましたでしょう? ならばガーゼルド様が詳しい事情を私に話すだろうと想像出来る筈です」


「……言われてみればそうかも知れんな」


 ガーゼルド様はムウッと考え込む。私も考える。夫人の吐いたすぐバレる嘘。ガーゼルド様の調査でも影も形も見当たらない前伯爵の愛人。消えた遺産。スターサファイヤと対になったスタールビー。二つ合わせれば途方もない額になる宝石。こんなの、伯爵家の資産でホイホイ買えるものなのかしらね?


 私はもう一度スターサファイヤを視る。指輪を撫でながら見ている前伯爵。彼は指輪を見る時は必ず一人だった。ジッと見下ろすその視線はなぜか冷たく、それでいて執拗だった。高利貸しとして描かれた、あの肖像画に見えた強欲はあまり感じられず、静かな、何かを思い詰めたような表情をしていたわね。


 ……ちょっと情報が足りないわね。私はガーゼルド様に尋ねた。


「前伯爵の生まれはもしかしてウェンリィ伯爵家ではない?」


 ガーゼルド様は虚を突かれたような表情を見せた。


「なぜ分かった?」


「いえ、伯爵家にしては結婚指輪が豪華だなと思っただけです」


 ロバートさんのお店の顧客にはブレゲ伯爵以下、伯爵家が幾つかいた。なのでその経済状況は大体把握している。それから判断すると、伯爵家がスターサファイヤとスタールビーのセットの指輪を結婚指輪としてオーダーするのはなかなかの大盤振る舞いだと思うのだ。


「そうだ。実は前伯爵は我がグラメール公爵の出でな。祖父の弟なのだ」


 なんと。血縁とは聞いていたけど、思ったより近い血縁だった。なるほど。


「公爵家出身なら結婚指輪があんなに豪華でも普通なのかも知れませんね」


 私がうんうんと頷きながら言うと、ガーゼルド様がふと何かに気が付いた。私に向かって身を乗り出す。


「待て、今、なんと言った? 結婚指輪?」


 は? 私は言われて首を傾げる。ああ。


「そうですね。結婚指輪ではなく愛人と交わした指輪でしたね。その場合、なんと呼ぶのでしょうか……」


「違う違う。それだ。確かに、あれは結婚指輪であろう。愛人と指輪を交わす事はあまりないし、愛人に贈るにしては、あれはあまりに豪華過ぎる」


 愛人に指輪を贈る事はままあるが、指輪を交換する事はあまりないという。しかも貴重な宝石が使われたイニシャル入りの指輪だ。それだけ大事な愛人だったのだと言われればそれまでだが、その割りに指輪を着けて愛人と会った「記憶」がないのは不自然だろう。


「あれが結婚指輪だとすると、対のスタールビーは前伯爵夫人が持っているという事でしょうか?」


「それでは始めから話が成立すまい。隠し財産の話がどこかに消えてしまう。増資の話までなくなってウェンリィ伯爵家は破産だぞ」


 それもその通りだ。だとするとスタールビーの持ち主は……。私は考えてガーゼルド様を見た。ルベライト色の瞳が期待を込めて私を見詰めている。


「……調べて欲しい事があります」


 私の言葉にガーゼルド様はニコニコしながら頷いたのだった。


  ◇◇◇


 翌日昼過ぎ、私とガーゼルド様は前伯爵夫人と昨日と同じように向かいあっていた。私は箱に入った指輪をテーブルに置く。


「何か分かったかしら?」


 伯爵夫人は微笑みを浮かびながら問い掛けてきた。私はチラッとガーゼルド様と視線を交わした後に言った。


「夫人はこの指輪の正体をご存じだったのですね?」


 前伯爵夫人は微笑みの表情を変えなかった。


「何の話かしら?」


「この指輪が、他の誰かの結婚指輪ではなく、前伯爵の結婚指輪だということを、夫人はご存じだった筈です」


「あら、私の結婚指輪はこれよ?」


 夫人は自分の左手薬指に輝くダイヤモンドの指輪を見せた。それなりに高価な石だがスターサファイヤに比べれば見劣りする。私は首を横に振った。


「違います。夫人との結婚指輪ではありません。これは、前伯爵が夫人と結婚する以前に婚約していたお方との間に作った結婚指輪なのです」


 私が言っても夫人は一切微笑みの仮面を外さなかった。しかし私は構わず続ける。


「前伯爵は夫人との結婚以前、婚約者がいらっしゃいました。しかし、お家の事情があって婚約は破談になり、その後、夫人と結婚なさったのです。当然……」


 私はチラッと前伯爵夫人を見る。笑みが深まったようだった。


「夫人も知ってらっしゃいましたね?」


「ええ。まぁ、夫婦ですからね」


 それは縁談の時にお互いの評判を調べる中で、婚約予定のお相手に婚約解消歴があったかどうかは明らかになった事だろう。前伯爵夫人は前伯爵に別れた婚約者がいたことは知っていたのである。


 ならばこの指輪が、前伯爵とのその元婚約者との間に交わされた指輪ではないかと想像が付いても良さそうなものである。というか、指輪にYのイニシャルを見た瞬間にそう直感したに違いない。


 しかし、前伯爵夫人はガーゼルド様に相談を持っていった際に、この事を伏せた。なぜだろうか?


「しかし、夫人は前伯爵がどなたとの縁談を解消なさったのか、まではご存じ無かった」


 前伯爵夫人の笑顔が僅かに強ばった。私は素知らぬ顔をして手元に、今日ガーゼルド様が持って来て下さったメモに目をやる。


「前伯爵が婚約を解消なさった方は、昨日からガーゼルド様に調べて頂いてようやく判明致しましたよ」


 グラメール公爵家は前伯爵の実家である。当然だけど、前伯爵ヨムガルド様の記録も残っている。婚約は家同士の契約であり、婚約解消も契約に含まれると言って良い。公爵家の文書保管庫に詳しい事情が残っていた。


 それを調べて貰うために、昨日からガーゼルド様は一人で騎馬で帝都に駆け戻っており、今日の昼間にこちらに戻られたのだ。次期公爵をこきつかって申し訳無いけど、本人は「徹夜をした」と言いながら目をギラギラ輝かせていたわね。


 私はまた前伯爵夫人を見る。その瞳に期待が満ち満ちているのが分かった。そう。この方の望みは最初からこの瞬間だったのだ。


「元婚約者の名前はメリアンヌ。前ワックバード侯爵の夫人です」


 その瞬間、ウェンリィ前伯爵夫人の表情が変わった。笑顔は変わらない。しかし貼り付けたようなお作法の笑顔が、歓喜を表す本気の笑顔になったのだ。


「そう。それが、あの女の名前なの……」


 「あの女」の言い方にゾッとするような響きがあった。恨み、怨念、執念そんなものが色濃く表れていたわね。私はうそ寒い思いをしながら前伯爵夫人に問い掛けた。


「夫人は、つまり前伯爵の元婚約者の名前が知りたかったのですね?」


 夫人は怖い笑顔のまま、ええ、と頷いた。


「夫が、結婚以来ずっと気に掛け、想い、そして支援していたことは知っていました」


 前伯爵夫人の唇は震えていた。なんだろう。怒り? 悲しみ? もっと複雑な想いなのかも知れないわね。


「貴女たちは高利貸しなんていうと、儲かって仕方がない商売だというように思うでしょうけど、実際にはそんな事はないのよ」


 それは商売は商売だからね。前伯爵夫人曰く、債権者とのトラブルは日常茶飯事で、悪質な債権者にお金を持ち逃げされて損失を被った事は数知れず、侯爵家に貸し付けた時などは身分差を盾に返済を拒まれ大損を被った事もあるとか。


 前伯爵が高利貸し商売を始めたのは結婚直後、公爵家から独立してすぐだったそうだ。前伯爵夫人も高利貸し商売の帳簿管理などで関わっていたそうで、商売が軌道に乗るまでは毎日眠れない日々だったという。


「そんな苦しい商売の中、あの人は少しずつお金を元婚約者に流していたのです」


 前伯爵夫人は帳簿を管理していたからね。つじつまの合わないお金にはすぐ気が付いただろう。前伯爵夫人は前伯爵を問い詰めたが「これは必要な金なのだ」と言いながら、けして使途を明かさなかったのだそうだ。


 そしてこれが何十年も、結婚以来ずっと続いていた。前伯爵は金遣いも荒くないし、前伯爵夫人の事も家族のことも大事にする良い夫ではあったそうだ。しかし、謎の使途不明金は高利貸し商売の成功と共に額が大きくなり、その事について前伯爵夫人は何度か伯爵と言い争ったらしい。


 そして結局、使途不明金については何も明かさないまま前伯爵は世を去った。そして、死後に彼の私室を整理していたら出て来たのが、このスターサファイヤの指輪だったという事だった。指輪を見て前伯爵夫人は直感した。この指輪を交わした相手と、前伯爵はずっと関係を持っていたのだと。


「そのメリアンヌという女と、夫は別れていなかったのでしょう? 多分、どこかに別宅でも造りそこで会っていたのではないですか? もしかしたらそこにも家庭があったかもしれません」


 貴族の世界ではたまにある事だという。正妻と愛人、別々の場所で二つの家庭を持つのである。……まぁ、それも男の甲斐性かもしれないけど、正妻としては複雑な気分になる事ではあるでしょうね。厳しい家計から抜いたお金で愛人との二重生活が維持されていたとなれば尚更だ。前伯爵夫人には許せなかったのだろう。結婚生活の間中、ずっと苦しみ怒りを募らせていたに違いない。


「よくぞ突き止めて下さいました。早速その女に遺産を請求致しましょう。ガーゼルド様。遺産が無事手に入りましたらそれを担保にして、公爵家からの増資をお願い致します」


 前伯爵夫人は晴れやかに笑いながらそう言った。どうみても増資が実現しそうで嬉しいという顔ではなく、長年の復讐が果たせる喜びの表情に見えるわね。


 ……私は溜息を吐いた。私はこれからちょっと残酷な事実を告げなければならない。


「前伯爵夫人。貴女は勘違いしています。前伯爵は、前ワックバード侯爵夫人を愛人になどしておりません」


 私の言葉に、前伯爵夫人は戸惑ったように目を見開いた。


「……ど、どういう事ですか?」


「前ワックバード侯爵夫人は、侯爵夫人であり、それ以上でもそれ以下でもなかったという事です」


 つまりメリアンヌ様はワックバード侯爵家に嫁入りして、そこで貞淑な夫人として一生を終えているという事である。そう。もう故人なのだ。私はメモを見ながら説明を始めた。


「そもそも、前伯爵ヨムガルド様とメリアンヌ様がご婚約なさっていたのはもう六十年も前の事です」


 その頃、グラメール公爵家の三男だったヨムガルド様は、ユレミード侯爵家の次女であったメリアンヌ様と知り合い、恋愛関係になり、お互いの家の合意を得て婚約したのだった。二人がまだ十八歳の時である。婚約式も行われ、このスターサファイヤとスタールビーの結婚指輪も作られた。ヨムガルド様は結婚したら独立して伯爵家を興す事になっていたという。


 ところがここで横やりが入る。ワックバード侯爵家の次期当主がメリアンヌ様を気に入り、結婚を申し込んで来たのだ。普通ならもう婚約式を終えていたのだからこれが覆る事はあり得ないのだが、この話に他ならぬメリアンヌ様が乗り気になってしまった。それは分家の伯爵夫人よりも次期侯爵夫人の方が身分も上で色々と社交界の扱いも良くなるからだとは思うけど、不誠実極まりない話である。


 家同士の話し合いが行われ、グラメール公爵家としても有力家のワックバード侯爵家に貸しを作れるという計算もあってか、なんとヨムガルド様とメリアンヌ様の婚約は解消されてしまった。そしてメリアンヌ様はさっさとワックバード侯爵家に嫁いで行ってしまったのだった。……その後、ヨムガルド様とメリアンヌ様は一度も会っていないらしい。


 ヨムガルド様は屈辱に塗れた。婚約者を奪われた男と故なく社交界で笑い者にされたのである。そしてヨムガルド様は伯爵家次女だった前伯爵夫人を娶って、ウェンリィ伯爵家を興して独立した。グラメール公爵家はさすがに悪いと思ったのか、独立資金を多めに持たせてくれたという。


 ところが、ヨムガルド様はその資金を使って何と高利貸し商売を始めたのである。必要ではあるが、貴族界では嫌われている金融業を始めたのは、おそらく婚約解消を強いた実家への当てつけだろうね。自分がグラメール公爵家出身だという事を事ある毎に誇示しながら高利貸し商売をしていたそうだから。


「そして、高利貸し商売を始めた目的がもう一つあったのですよ」


「目的?」


 呆然としている前伯爵夫人に私は重々しく告げる。


「ワックバード侯爵家への復讐です」


 ヨムガルド様は高利貸し商売と同時に、密かに(前伯爵夫人にも内緒で)交易会社も興していた。使途不明金はそこに投入されていたのである。


 その交易会社は外国から石炭の輸入を始めたのである。最初は少量だったが、ヨムガルド様の高利貸し商売が成功して投入出来る資金が増えると輸入ルートと量を増やし、良質な石炭を安価で大量に輸入して大成功を収めたらしい。ちなみにこの会社の儲けはちゃんとウェンリィ伯爵家の資産に還流されていた。前伯爵夫人は高利貸しの帳簿は見ていたが、伯爵家全体の予算管理はしていなかったから気付かなかったのだろう。


 そして、この安価な石炭輸入によって大打撃を被ったのがワックバード侯爵家だった。侯爵家の基幹産業が領地にあった石炭鉱山だったからである。安価で良質な輸入石炭は、そもそも質がイマイチだったワックバード侯爵家産の石炭を駆逐してしまった。侯爵家の石炭はまったく売れなくなったのである。


 その結果、侯爵家の経済は急速に傾いてしまう。大侯爵家だけに帝国政府から何度かテコ入れが行われたものの、石炭の他に産業を持っていなかった事もあり、ワックバード侯爵家は十年ほど前に破産してしまったそうだ。ワックバード侯爵家は破産の精算のために家名と領地を皇帝陛下に返上して解散してしまって、現在は存在しない。


 ヨムガルド様の復讐は完遂されたのである。一から資金を作って会社を興して、ワックバード侯爵家の弱点に絞って集中攻撃を仕掛け、遂に格上の侯爵家を破産に追い込むなんて、凄まじい手腕である。婚約解消の恨みは恐ろしいわね。


 もっとも、メリアンヌ様自体は侯爵家の破産の遙か前、二十年くらい前にお亡くなりになってしまっていたんだけどね。不実を働いたご本人がいなくなってもワックバード侯爵家はヨムガルド様に許されなかったというわけである。


 ワックバード侯爵家が破産した後、前伯爵は交易会社を売却してしまい、現在その会社はウェンリィ伯爵家とは何の関係も無く存在している。惜しいわね。まだその会社を持っていれば現在のウェンリィ伯爵家の窮地も救えたかもしれないのに。


 ……これが、このスターサファイヤに秘められた物語だ。私もガーゼルド様からこのお話を聞かされた時はさすがに驚いたわよね。


 ガーゼルド様は公爵家に残された資料でヨムガルド様の婚約解消の事情を確かめ、そこからワックバード侯爵家破産の事情を調べ、その原因である石炭輸入会社の経歴からヨムガルド様の関与を突き止めたのだ。これをなんと一晩でやったのだからこの人も大概とんでもない。


 私が頼んだのはヨムガルド様が多分離婚か婚約解消を経験しているから調べて欲しい、ということだけだったんだけどね。そこを掘ったら芋蔓式にドンドンと隠された事実が出て来たのだそうだ。それにしても徹夜で調べ尽くす事はなかったと思うんだけども。


 ヨムガルド様が一人で部屋で、あの冷たい目でこのスターサファイヤを見ながら一体何を考えていたのか、今はもう分からなけれど、彼が勝ち誇った表情でこの石を見詰めていたという記憶は、ついぞなかった。晩年まで同じような、冷たく悲しい目付きでこの指輪を撫でていたわね。


 前伯爵夫人は呆然とソファーに座り込んだまま、声も出せない状態になっていた。まぁ、夫が愛人と楽しく別生活をしていたと思い込んでいたら、実際にやっていたことは元婚約者への復讐だなんて、それは理解が追い付かない事だろう。無理もない。しばらく待ったのだが動く気配もない。仕方がないのでそのまま辞去することにした。ガーゼルド様が言う。


「……前伯爵への義理もあるから、増資は実行しよう。担保はこのスターサファイヤで十分だ」


 まぁ、お高い宝石だとは言え担保には足りないと思うけども、きっとガーゼルド様もヨムガルド様に対しての実家の仕打ちに対して思うところがあったのだろうね。次期当主として贖罪したいという思いもあったのかもしれない。


 老メイドに後を託して、私とガーゼルド様はウェンリィ伯爵家の別荘を辞去した。ガタゴトと馬車に揺られながら、私とガーゼルド様は無言だった。ちょっとさすがに色々と情報量の多いお話だった。最初にスターサファイヤを見た時にはまさかこんな話になるなんて予測も付かなかったわよ。


「……スターサファイヤの石言葉は『貞操』だったな」


 ガーゼルド様は私の隣でさすがに眠そうに眉間を揉みながら言った。


「そうですね」


「皮肉な話だ」


 確かに貞操とはほど遠い話だった。ヨムガルド様があんな目でスターサファイヤを見詰めていた気分も分かる気がする。浮気が当たり前の貴族の家の結婚で、スターサファイヤなんて結婚指輪に使わない方が良いかもね。


「そのスターサファイヤは売るのですか?」


「さてな。石に罪はないが、あまり縁起の良い石とも思えぬ。まぁ、売って金に換えてしまった方が後腐れはなかろうよ」


 ガーゼルド様は宝石がお好きなのだけど、さすがにこれは来歴が悪すぎてコレクションに加える気にならないと仰った。「欲しければやる」と言われたけどお断りしたわよ。私だってそんな縁起の悪そうな石欲しくない。婚期が遠のきそうだ。


 ……のだが、結局このスターサファイヤは売られない事になった。この石をご覧になったイルメーヤ様が「欲しい!」とお兄様であるガーゼルド様におねだりしたからである。


「私のスタールビーと対になる輝きで素晴らしいわ!」


 との事だった。……そのスタールビーってもしかして……。


 結局、ガーゼルド様はスターサファイヤをイルメーヤ様に譲り、スターサファイヤはスタールビーと対になるブローチに仕立て直されて、イルメーヤ様のドレスを飾る事になったのである。……まぁ、元々はグラメール公爵家から出た二つの石が、戻って来たという事で良いんじゃないかしらね。宝石に罪はないのだから。


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