第5話
柚希は女性の体の半分ほどを食べ、自ら椅子に戻り座った。足の傷はきれいに治り、目の濁りや肌の乾燥もなんだかよくなっているようだ。目をつぶってしまえば、体調の悪いただの人間に見える。私は柚希に近づき手を取る。柚希は噛み付くことも無く、ただされるがままだ。私は台車に女性の死体をくくりつけ、柚希の手を引いて女性の指さした路地に入ってみた。地面にすすの足跡が付いている。それは私が女性を殺したあの交差点から続いていた。
すすの足跡をたどると、たいして離れていない場所の一軒家に続いていた。庭に何かが燃えた跡があり、草木は枯れている。黒い壁はヒビだけで済んでいて、この混乱した世の中でも比較的きれいに保たれている。しかし1階の窓に、乾いた血で手形が恐ろしい数ついている。室内では誰かが同じ場所をぐるぐる回っているようで、一定間隔で窓に影が映し出されている。
静かに窓へ近づいてみると、若い男性が室内を徘徊していた。普通の人間のようだが、無表情でただ動いている様を見るとおそらくゾンビなのだろう。柚希より人間に近そうだ。
玄関の扉は開いていた。柚希をつれて入ってみる。ゾンビっぽい男性がいる部屋の前で、女性の死体を転がす。内開きの扉を半分あけると、しっかりした足取りでゾンビっぽい男性がこちらまでやってきた。念の為斧構えてはいたが、男性はこちらには目もくれず死体の傍にしゃがみこみ食事を始めた。見た目に分からなかったが、やはりゾンビだったようだ。無表情で一心不乱に肉を貪る。
男性は、頭を残して死体の肉を綺麗に食べきった。そしてそのまま地面に倒れ込んでしまった。活動停止してしまったのかと慌てたが、彼はすぐ寝息を立て始めた。呼吸をしている。
彼は、柚希の未来だ。私は彼の復活を見届けたかった。彼が目覚めるまでこの家で待つことにした。本当に人間に戻れるのだろうか。元の柚希に戻ってくれるのか。彼が起きた時、また何も変わらない、ただのゾンビだったらどうしよう。不安と期待がないまぜになる。柚希の手を握ってみる。握り返すことはない。私の体温がうつってうっすら温まっているが、柚希の手は相変わらず冷たい。胸だって動くことはなく、呼吸をしていない。まだ柚希は死体なのだ。
「あぁ、美優……僕のためにこんな……」
泣き声が聞こえた。重い瞼を開いて見知らぬ男性がうずくまっている光景を見て、自分が寝てしまったことを把握した。全身に鳥肌が立ち、瞬時に力が入る。手元に置いていた斧を手に取ったとき、ごとりと音がなったが男性は振り向かなかった。柚希は私の隣で、目を開いたまま1ミリも変わらない姿勢でそこにいた。
恐る恐る、肩を震わせて泣いている男性に近づく。もちろん斧を構えたままだ。
「あの、すみません」
なんと話しかければいいかわからず、当たり障りのない声かけになってしまった。男は振り返りぐしゃぐしゃに泣きはらした顔で私を見る。ゾンビの彼だ。泣いている。呼吸して意味のある会話ができる。顔が血濡れである以外、完全に人間だ。柚希のノートは本当だったんだ。これで柚希を人間に戻すことができる。
「美優を連れてきてくれたのは君たちだね」
彼の腕には、あの女性の生首が抱かれていた。私は頷く。彼の様子を見るに、彼女は家族なのだろう。そんな彼女に危害を加えたことは、柚希を連れている状況から見て言い訳しようがない。男の人に攻撃されたら、私はひとたまりもないはずだ。斧を握る手に力が入る。
「心配しないで。君に危害を加えるつもりはないよ。美優だって、僕のために人を殺したと思う」
しゃくりあげながらゆっくり話す男性の顔は、想像以上に穏やかだった。彼は生首の髪を丁寧に撫でながら続ける。
「ゾンビが発生してから2週間で世界はもう壊滅してしまった。政府は人間の保護にだけ一生懸命で、僕たちみたいな大切な人をゾンビと切り捨てられない人間はいないものとされている。君も、よく政府に見つからなかったね」
「2週間?世界はこうなってもうそんなに立つの?」
聞き捨てならなかった。部室で目が覚めるまで、世界は今まで通り平和な日常だったじゃないか。いつも通り、柚希を待つために私は部室で昼寝をしていて、それで目が覚めたら柚希がゾンビに、世界がゾンビアポカリプスな世界になっていて……
「あなたも、ご友人によって復活させてもらったんじゃないか?」
ゴトンと音が鳴る。斧を取り落としてしまったようだ。男性が私と斧を交互に見つめる。心配そうな顔だ。柚希がゾンビになったのは私のせい?
「うっ」
急にめまいがして床に膝をつく。私は知らないうちにゾンビになったのか?私を救うために柚希は手を汚し、そして自分を食べさせたのか?こんな最悪な世界を柚希一人で2週間もサバイバルさせたのか?疑問が湧き出て胃を圧迫する。気持ちが悪くなってうずくまってしまった。
最期の晩餐は君と 北路 さうす @compost
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