第3話
町はすさんだ様相を見せながらも、予想に反して静かだった。ゾンビに襲われ時のために、学校を探して見つけた非常用の斧を手に持ちながら戦々恐々と進んでいたが、人が1人もいないのだ。避難が終わったのか、それとも全滅してしまったのか。動くものといえば、燃やされたごみ置き場をあさっているカラスをみたくらいだ。
「うじゅるどぅるぐるる」
「そうだね、誰もいないね」
当てもなくうろつきながら、柚希が時々発する声帯を空気が通っただけの音に相打ちを打つ。余計なことを考えてはいけない。台車の持ち手と斧をまとめて持つのは骨が折れるので、斧は椅子の背と柚希を縛るロープの間に突っ込んでおいた。
「ぼじゅるるうごおあ」
さっきから柚希が前方の路地の方向を見つめている。何かいるのかと通り掛けに覗いてみると、そこには地面にうずくまっている女がいた。
体に力が入り、体の中は熱いが体の表面は冷え、鳥肌が立つ。台車を物陰に止め、息を止めて様子を窺う。うるさい台車の音は聞こえていないようで、女はうずくまったままだ。息が上がっているのか、背中が大きく動いている。
調子の悪い人間か、それなら私でも……そう考えて一瞬で我に返る。今自然に人を殺すことを考えてしまった。こちらに何も危害を加えていない人を、友達のために。
柚希を見ると、うずくまる女の方をじっと見ていた。
「そうだよね柚希。おなかすいたよね」
ロープをほどくと、柚希は椅子から立ち上がり、取れかけた足を引きずりながら女性へ近づく。路地の壁に手をつき、けんけんの要領でゆっくりゆっくり近づいていく。あと数歩で届くところで、急に女性が振り返った。
「うるぶううああ!」
「ぐぉばああ!」
女性が奇声を上げて柚希にとびかかり、そのまま地面に組み敷いた。
「柚希!」
私は急いで駆け寄り、手に持っていた斧を女の頭へ振り下ろした。斧は女の肩甲骨の間に刺さり、女は柚希を押さえつけたままこちらを見た。その顔は血にまみれ、顔色は紙のように白かった。1つだけ残る濁った眼がこちらをにらみつける。
「ゾ、ゾンビだ!」
肩甲骨の間に刺さった斧を力いっぱい引くと、斧は引き抜けずに女の体ごと引きずる形になってしまう。女は汚れた手をこちらへのばし、なんとかつかもうとする。両手の指先は肉が裂け、骨がはみ出ている。こんな手に引っかかれたら私もゾンビになってしまいそうだ。
女は四つん這いのまま両手でこちらにつかみかかろうとしてバランスを崩し、前につんのめるように倒れこんだ。その拍子に斧がすっぽ抜けた。起き上がろうとうごめく女の、こげ茶の髪からのぞく白いうなじに狙いを定める。そして斧を振り下ろし、首をはねた。
首は地面に落ちて一度はね、少し離れたところで転がった。無我夢中でやったことで、今更震えがやってきた。手に力が入らず斧を取り落とす。ガチャンと大きな音をたてたが、首を切ったとたん動かなくなった女の体も、飛んでいった首も微動だにしなかった。柚希を助けるためとはいえ、人の首をはねてしまった。皮膚を突き破り、筋肉がブツリと断ち切られ、骨がぐしゃりとつぶれる感触が手に残り、鳥肌が止まらず感触を消すように思いっきりシャツに両手を擦り付ける。
押し倒された柚希の方を見ると、壁を利用しどうにか立ち上がって、また路地の方を見ている。体を動かすことができず目線だけ動かすと、女のうずくまっていた方向に、誰か倒れていた。
柚希に遅れてどうにか駆け寄ると、それは生きた男だった。しかし、腹を食い破られていてあたりに内臓が飛び散っていた。新鮮な血と内臓の臭いに胸が悪くなる。
「もうやめろ、いいから」
男はうわごとのように繰り返す。生きてはいるが、死ぬのは時間の問題だろう。私は男に近づく柚希を止めなかった。近くまで来ている柚希に気が付いた様子もなく、ずっと同じ言葉をつぶやいている。柚希は男の横に座り込み、腹の傷に手を伸ばす。血のたまった腹腔からちぎれた内臓をとりだし、表情一つ変えずに口へ運び、咀嚼する。ぐちゅぐちゅという不快な音が私の耳まで届く。両腕をかきむしりながら、首をはねた感触と親友が人を咀嚼する音から発生する鳥肌をどうにか収めようとする。しかし、目だけは柚希の食事を見守る。私たちがいまからやらなきゃいけないことの第一歩から目をそらすのはいけないと感じたのだ。
柚希は男の足を持ち上げ、噛みつく。ミチミチギシギシと音をたて、肉をはがしていく。男は動かず、声もどんどん小さくなっていく。
「あやか、もういいよ」
男の言葉に、知らない名前が入っていることに気が付く。もしかすると、この男とさっき私が殺した女は、私と柚希のような関係だったのではないか。ゾンビになってしまった女を人間に戻すため一緒に行動していたが、何かの拍子で女が男を襲ってしまったのだろう。これは、私たちの未来かもしれない。もう言葉を発することのなくなった男と自分の姿が重なって見えた。
食事の終わった柚希は、こちらに歩いて近寄ってきた。ちぎれかけていた足は骨に肉が巻き付くように復活し始めていて、歩き方もよたよたしているが大分良くなっていた。私に向かって口を開いたままゆっくり近づいてきたため、慌てて台車に積んでいたタオルを口に詰める。柚希は驚いたように目をまん丸にしたが、抵抗することはなかった。手を引いて椅子に座らせ、またロープでぐるぐる巻きにする。口からタオルをはずし、血で汚れた口回りをふいてやる。柚希はされるがままだった。
「柚希、頑張って人間になろうね」
話しかけても、柚希は濁った眼で不思議そうにこちらを見つめるだけだった。私は柚希が確実に人間に近づいていると確信した。もう人を殺してしまった私たちに後戻りの選択肢はない。私は柚希のためなら人を殺せる。そして柚希を人間に戻して、ふたりでこのアポカリプスを楽しむのだ。
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