第2話

 柚希は押し倒された後もこちらに手を伸ばし立ち上がろうと試みていた。足が宙ぶらりんなせいでうまく立ち上がれず、芋虫のようにうごめいているだけだった。私は床に落ちていたロープで、どうにか柚希を椅子に縛り付けることに成功した。

 柚希は濁った眼をぐるぐる動かし、呼吸のたびに声とは言えない音がのどから鳴り、口だけがこちらに噛みつこうと歯をがちがち鳴らす。椅子から立ち上がることはできないようだ。とりあえず私の安全は確保された。

 「柚希、どうして……」

 もちろん柚希は答えない。しばらく見つめあうと興味を失ったのか、唸りながら首や手足の縛られていない部分をただ動かすようになった。冷静に眺めても、完全にゾンビだ。私の友達は動く死体になってしまった。私は椅子を引き寄せ柚希の向かいに座った。柚希は椅子を引きずる音に反応しこちらを見たが、またすぐ目線をと手足を動かし始める。

 「ゾンビなんて、柚希は大喜びなはずなのに。どうしてあなたがゾンビになっちゃうのよ」

 オカルト部といってもちゃんと活動してるのは私たちだけで、他はほとんど幽霊部員だった。生徒全員が部活に入らねばならない校則のゆがみだと活動報告にまとめて怒られたっけ。でも、小さな部室を二人で独占できるのは楽しかった。中学では話の合うオカルト愛好家はおらず、寂しい思いをした。それは柚希も同じで、私たちは初対面にもかかわらずすぐに親友になった。まことしやかにささやかれるネットロア、日本公開されていないゴアホラー作品、翻訳されていない海外の伝承。私たちの興味は同じ方向を向いていた。花の女子高生の話題にしては血なまぐさいことが多かったけれど、とても楽しかった。

「ゾンビには様々なタイプがあるんだよ。感染の方法、運動能力、見た目の変化。絵里香はどのタイプが好き?」

 眼鏡の奥のぱっちりとした瞳を輝かせて語る柚希を思い出す。今の彼女は眼鏡なんかどこかへ行ってしまって、全身ズタボロだ。私も自分の体をよく見てみたら、ところどころ返り血や謎の液体が制服に付着して固まっていた。ほこりも絡みついて信じられない汚さだった。

「ゾンビアポカリプスが来たら、二人で生き残ろうって話していたのにね」

「ぐじゅごるる」

 返事をするようにタイミングよく音が漏れ、私は少し気が楽になった。

「そうだ」

 私は立ち上がり、備え付けられたロッカーの方へ向かった。二人でゾンビアポカリプスが来た時のマニュアルを作ったはずだと思い出したからだ。定期的に提出を求められる活動報告の1つとして制作したのだ。

「ひっ」

 ロッカーを開けると、中は血で汚れていた。柚希がゾンビになる前にあけたのだろうか。それとも、私か。

 目に付くようなところに、「アポカリプスの生き残り方」と表紙にマジックで書かれた大学ノートが置いてある。手に取って開くと、カラーペンをつかって可愛くデコレーションされた文章が目に入る。二人でわいわい書いたことを思い出し、無意識に口角が上がる。読み進めると、血で固まったページにたどり着いた。

「ゾンビを人間に戻す方法……?」

 そのページは、震えた殴り書きの字で書かれていた。柚希の字だ。

『都会の方でゾンビが発生して、電車に乗って拡散しこの町までやってきた。噛まれて数時間たつと発症し、四肢がもげたりする致命的なダメージを受けても動いている。機動力は高くないが、集団で来られると対処できないかも。避難所が開設されたが、そこでもゾンビが発生して大変なことになっていた。ひどい感染症という扱いにされて、政府がゾンビを駆除するために動いているが、どうやらゾンビは人間を食べるとまた理性を取り戻し、人間に戻っていくようだ。人間を食べて傷が治るところを見た。そして唸り声から言葉のようなものを発するようになって、かさかさした肌が血色を取り戻していた。どういう仕組みなのだろうか』

 どんな状況でも好奇心を優先しメモを残すのは彼女らしいと思った。その中でも、柚希は大切なことを残してくれていた。

「柚希を人間に戻すことができる?」

 それは、柚希のために人が殺せるかということだ。口に出すと、事実の重さに汗が出る。柚希は首をかしげて天井を見ている。スマホもロッカーに入っていたが、充電が切れていて使い物にならなく泣ていた。今の状況じゃ電波があるのかもわからない。窓の外の黒煙を見ながら考える。両親と兄弟は生きているのだろうか。避難所からもゾンビが発生したとなれば、難しいかもしれない。私には、もう柚希しかいないのかもしれない。

 

 ロッカーには、水と乾パン、手回し充電器つきライトが入っていた。いつかの有事に備えて軽い気持ちで準備していた籠城セットだ。

「アポカリプスが訪れたとき、命の重さは平等なのか?」

「そんなわけないよ。パニックホラーを見るのはいいけど巻き込まれたくはないから、そんな事態になったら眺めのいいところで一緒に籠城しちゃおうよ」

 いつか話した会話が頭をよぎる。学校は坂の上にあって、籠城にはぴったりだった。だから彼女は最後にこの場所を選んだのだろうか。趣味は過激だが性格はやさしくおとなしかった彼女を思い出す。彼女は私の決断を非難するだろうか。

 私は体育館倉庫から持ち出した台車に柚希を椅子ごと縛り付けた。柚希は時々こちらに噛みつこうとするが抜け出そうとはしなかった。私は汚れた制服を保健室に残っていたジャージに着替えた。柚希の分のジャージと籠城セットを入れたリュックを背負う。

 「柚希、ごめんね。行こうか」

 私は、柚希を人間に戻すために学校を後にした。

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