[番外篇]線状降水帯について私が知っていること(5)

 では、その「モンスター積乱雲」を生み出し続ける場所とは何なのか?


 向きが違う二つの風の流れがぶつかる場所です。

 もし、二〇二四年の能登半島豪雨が、はるか南の海上から来た湿った風と、輪島沖で水蒸気をいっぱいため込んだ西風とがぶつかって起こったのだとすると、この二つの風のぶつかる場所で「モンスター積乱雲」が次々に生まれたのです。

 向きの違う風がぶつかると、ぶつかった風の一部は上空へと吹き上がるので、上昇気流が生まれます。

 しかも、この例で言えば、南からの風は太平洋高気圧と台風が起こしているものですし、西風は停滞している前線とその前線上の低気圧が起こしているものですから、風の向きも強さも、どこを吹いているかということも、基本的に変化しません。

 同じような風がいつまでも吹き続け、同じ場所で衝突し、同じ場所で上昇気流を起こし続け、同じ場所で積乱雲を生み出し続けるのです。

 そのぶつかる風の両方がじゅうぶんに湿り気を帯びていれば(水蒸気をたくさん含んでいれば)、積乱雲もそれだけたくさんの水分を持ち、成長することになります。


 その積乱雲が「モンスター化」するには、別の条件もあります。

 雲が低い場所でできて、高い場所まで雲が成長することです。

 湿った空気というのは、水蒸気をたくさん含んだ空気で、暖かい湿った空気のばあい、地上の温度ではその水蒸気を雲にすることはありません。

 ところが、これが上空に吹き上げられると冷やされて、水蒸気をため込むことができなくなり、水蒸気が水の粒に戻って雲ができます。

 この「雲ができる高さ」は、そのまわりの空気の温度などによって決まります。

 「雲ができる高さ」まで上昇気流に吹き上げられた暖かい空気は、その上昇気流からもらった勢いと、その暖かさのために(暖かい空気は軽いので)、その高さからは、ほかから力をもらわなくてもひとりでに上昇していくことになります。

 つまり、下で風がぶつかっているとか、山の斜面を上ってきたとかいう理由がなくても、ひとりでに上昇気流が起こる状態になる(正確には、「雲ができる高さ」と「空気のかたまりがひとりでに上昇を始める高さ」は違うのですが、ここはこの表現で許してください)。

 やがてその「暖かい空気」の温度も下がり、まわりの空気と同じ温度になり、そこまで上昇してきた勢いも失うと、上昇気流はそこで止まります。

 この上昇気流が止まる高さが積乱雲のてっぺんの高さになります。

 積乱雲は、大気(より正確には「対流圏」)の下のほうの「雲ができる高さ」から、大気の上のほうの「上昇気流が止まる高さ」までの高さに成長できる。

 したがって、「雲ができる高さ」が低く、「上昇気流が止まる高さ」が高いほど、積乱雲は高く発達して巨大化し、「モンスター化」しやすい、ということになります。


 では、雲ができる高さが低いのはどういうときか。

 一つは、その暖かい空気が非常に湿っているとき、つまり水蒸気をたくさん含んでいるときです。

 もう一つは、上空が冷たいときです。

 上空に冷たい空気があるところの地表近くに湿った暖かい空気が吹き込んで行くと、低い高度から雲ができやすい。

 しかも、上昇気流は、上昇していた暖かい空気が冷えて、まわりの空気と同じ温度になるまで上昇します。温度差があることが重要なので、やはりまわりの空気が冷たいほうが高いところまで上昇気流が続くことになります。だから、まわりの空気が冷たいほどのほうが高いところまで上昇気流が届く。

 その結果、上空の空気が冷たいほど、雲の高さも高くなります。


 地表や海面近くに暖かく湿った空気が二方向から流れ込んでぶつかり、その上空の空気は冷たい、という条件があるときに、積乱雲は「モンスター化」するのです。


 「線状降水帯はどのように発生するのか?」はここまでわかっています。

 しかし、線状降水帯の予報は、現在でも「半日前から線状降水帯による大雨の可能性を、府県単位で出す」ということしかできません。しかも、そのマスコミの報道にあったように、予測できなかったことも何度もあります。

 今回の能登半島豪雨も予測できませんでした。

 この予報の難しさについて、気象庁は「予報が難しい現象について (線状降水帯による大雨)」というページを設けて解説しています。


 気象庁は、第一に、線状降水帯が発生する仕組みにまだ未解明の点があることを挙げています。

 線状降水帯発生のだいたいの仕組みは(「バックビルディング型」については)ここまで説明してきたとおりです。

 ところで、この文章では、「暖かく湿った風」、「雲ができる高度が低い」、「上昇気流が届く高さが高い」、「一定方向に吹く風に流される」などと書いています。

 しかし、これがわかっているだけでは予報ができないのです。

 「暖かく湿った風」って、どれぐらいの水蒸気を含んだ風だと線状降水帯ができるの?

 「雲ができる高度が低い」って、どれくらいの高さ?

 「上昇気流が届く高さが高い」って、どれくらいの高さ?

 「一定方向に吹く風」って、どれくらいの強さの風が、高度何メートルのところを吹いていれば線状降水帯になるの?

 「上空の冷たい空気(寒気)」って、何メートルぐらいの高さでどれぐらいの温度?

 その「数字」が確定できないと予報ができません。

 ところが、線状降水帯を生み出すその具体的な「数字」がまだ確定できていないのです。


 第二に、水蒸気がどう動いて線状降水帯に入り込むか、風の流れはどうか、という観測がじゅうぶんな精度でできていないということがあります。

 とくに、海の上のデータは、陸上からレーダーとかで観測するか、衛星から観測するか、あとは船を出して観測するかしかなく、採取できるデータが限られています。

 ところが、線状降水帯に流れ込む「暖かく湿った空気」の発生源はだいたいが海なので、海の上のデータが不足していると正確な予測ができない、ということがあります。

 第三が、予報に使っているメッシュ(ます目)の問題です。

 気象庁は、少し前まで、天気予報に五キロ四方のます目を予報に使っていました。

 高気圧とか低気圧とか前線とか、大まかな風の流れとか、大まかな水蒸気の流れとか、そういうのを五キロ四方のます目に落とし込み、それぞれの天気を予測したあと、その相互の影響の及ぼし合いとかを計算し、その結果をまたます目に落とし込み……というすごい複雑なことをやって、それも何通りもやって、いちばんありそうな「解」を見つけていました。

 現在ではこのメッシュを二キロ四方にできるところまで進んでいます。

 面積で言っても、五キロ四方のます目のなかに二キロ四方のます目は六・二五個入るので、精度六・二五倍ですよ。

 この「二キロ四方メッシュ」を活用して、今年の五月から線状降水帯の「府県単位」予報ができるようになったのです。

 ところが、積乱雲は巨大でも、じつは雨を降らす一個一個の活動部分は「夕立は馬の背を分ける」(馬の右側では雨が降っているのに左では降っていないことがある)と言われるくらいに細かいので、二キロ四方でシミュレーションして計算して予報してもまだ不十分なのです。


 だから、いまでも線状降水帯の予報は、ハズレたり、そもそも予報ができてないところでいきなり線状降水帯が発生したりするのです。

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