[番外篇]連休三日空晴れ渡らない

 今日は宮沢賢治の祥月しょうつき命日にあたるので、『台風について私が知っていること』の連載を休んで、宮沢賢治関係のエッセイを掲載するつもりだったのですが。

 エッセイをまとめられないうちに今日を迎えてしまいました。


 とか言ってると、先日、南西諸島を横切って上海方面に進んでいた台風14号が、これから温帯低気圧になって日本列島方向に戻って来る、という予報が出ていることに気づきました(ので、番外篇掲載となりました)。


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 などと書いていたら、台風がまだ温帯低気圧になっていないあいだに、石川県に特別警報が出るほどの大雨が降る、という展開になりました。

 もともと山地が多いうえに、一月の震災で土地自体が大きく損傷し、回復していないところもあると思います。

 じゅうぶんに警戒なさってください。


 これは、直接には台風によるものではなく、前線上に、台風より東に一つ低気圧があって、それが前線をいっそう活発化させている、ということのようです。ただ、台風が前線に湿った空気を送り込んだため、という可能性もあります。

 ともかく、台風ではない、低気圧の中心気圧もそれほど低くない(一〇〇四ヘクトパスカル)ということなのですが、それでも、じゅうぶんに災害が起こる状況です。


 (この部分、21日11時10分追記)

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 いったん西へと行ってしまった台風が日本列島に戻ってくることはそれほど珍しいことでもありません。

 台風は、太平洋高気圧の縁を回る風に沿って西へ、やがて北へと進んだあと、偏西風に乗り換えて、東へと速度を上げて進むものです。その東へ進むときに日本列島を通過することがあります。

 今回の台風一四号もそのコースに乗っている。

 このエッセイでずっと書いてきた台風一〇号よりもずっと「典型的な台風のコース」をたどる予報だ、ということです。


 ただ、今回の一四号についての予報では、「台風として日本列島に戻ってくる」というのではなく、「台風が温帯低気圧に変わる」→「温帯低気圧として日本列島にやって来る」ということが言われています。


 台風・熱帯低気圧の特徴は、「暖かい空気だけでできている」、したがって「前線を伴わない」というところにありました。

 温帯低気圧は「暖かい空気と冷たい空気の境目に発生し、暖かい空気と冷たい空気でできている」、そのため「暖かい空気と冷たい空気の境目である前線を伴っていることが多い」。


 で、今回、何が起こるかというと。

 台風・熱帯低気圧が、低気圧としてじゅうぶんに弱まらないまま、暖かい空気と冷たい空気の境目(前線)にぶつかり、冷たい空気も巻きこんで「暖かい空気と冷たい空気の両方を持つ低気圧」(温帯低気圧)に変化する、ということです。

 このとき、暖かい湿った空気を持ったまま、温帯低気圧になる。

 低気圧としてじゅうぶんに弱まらないまま、温帯低気圧になる。

 しかも、熱帯低気圧は中心の下の海水面温度が低いと衰弱しますが、温帯低気圧は、暖かい空気と冷たい空気が接しているかぎり、発達する可能性があります。


 というわけで。

 台風のままよりもむしろ発達して日本列島に来てしまう可能性があるので、じゅうぶんに警戒しましょう。


 前に書いたように、「台風が熱帯低気圧になった」、「熱帯低気圧が温帯低気圧になった」というと「弱くなった」と感じてしまうのが普通だと思います。ところが、今回は、もしかすると台風のままよりも強くなって来るかもしれないから、「弱くなった」という感覚はあてはまらないかもしれない、ということです。


 しかも!

 台風と違って、温帯低気圧は前線を連れているので、前線に沿った方向では、温帯低気圧が来るまでも、温帯低気圧が去ったあとも、雨が降り続くことがあります。

 これも災害を警戒しなければいけない要素です。


 さらに!

 この「台風から変わった温帯低気圧」の進む方角、「前線」がかかっている方角に、東北地方があります。

 で、九月二一日、賢治の忌日きにちということで、その故郷である岩手県花巻市では「賢治祭」が開催されるのですが。

 賢治祭に合わせて花巻やその近くを訪れる方たちには、少なくとも「あいにくの天気」、もしかすると「警戒を要する天気」になってしまいます。


 そして、この温帯低気圧が通過したあとは、前線が南に下がり、日本列島は、前線の北側にある「冷たい空気」に覆われます。涼しくなります。

 では、涼しくって何度ぐらい?

 関東では二〇度台後半、関西では三〇度の日もあります。

 ……あんまり涼しくないです!

 今年の「涼しい空気」ってその温度なんだよね。

 さらに次の前線が来て、さらに冷たい空気を運んできたら、ようやく、「涼しいと言ってもまだ暑い天気」から「涼しい天気」になるのでしょう。



 ところで、一九三三(昭和八)年、賢治が亡くなった年の九月二一日直前はよく晴れていたようです。

 一九三一(昭和六)年の九月に倒れてから肺の病に悩まされてきた賢治も、この晴れの天気のときには起きて、近くの神社の祭礼のお神輿みこしを拝んだ、といいます(このときにまず無理をして体調を悪化させた、という話があります)。

 その後、賢治の仕事であった肥料入れの相談に来たひとがいて、その応対を長時間行っていたら体調が大きく悪化し、亡くなった、とされています。


 その時期からだいたいちょうど九一年後、賢治が住んでいた街の高校を卒業した青年が、アメリカで「50-50」(超え)の偉業を達成する、なんて、そのころのだれも想像しなかったでしょうけど。

 ちなみに、この花巻東高校は、現在の地に移転する前には、まさに賢治が拝んだお神輿の神社のすぐ前にありました(大谷が卒業したときにはもうこの場所ではなかった)。つまり、賢治の住んでいた家にも近かったのです。


 それで、その亡くなる直前の祭礼の日をうたった短歌が賢治の辞世の歌(二首あるうちの一首)となりました。


 ほう十里じゅうり 稗貫ひえぬきのみかも いねれて

 みまつり三日みっか そらはれわたる


 「方十里」は十里四方で、いまでいうとだいたい四〇キロ×四〇キロ、「稗貫」は、いまの花巻市が花巻市になるまではこのあたりは「稗貫郡」の一部でした(現在の花巻市は町村合併でさらに広くなっていますが)。正確に四〇キロの正方形をとると稲を栽培していないような山地まで入ってしまうので、ここは「花巻とその周辺一帯(の平野)」ということでしょう。

 「稗貫のみかも」が難しくて、私は「ほかは実っていないけど、稗貫が稲が実っているの」と思っていたのですが、そうではないらしい。「稗貫の」で、「みかも」というのは「田んぼの広がるところ一面」という意味で、「稗貫の田では稲がよく実って」というような意味らしいです。

 だから:


 稗貫一帯の広い土地では稲がよく実っていて、収穫を祝う祭りの三日間も空が晴れ渡っているなあ


という内容ですね。


 その直前の年まで天候不順で不作が続いた、ということ、そして、賢治がその天候不順による不作を憂える作品をいくつも作っているということを考えると、この歌の内容は読むひとの胸に迫ってきます。


 不作と言えば……米が足りないと言えば……今日も某スーパーの米売り場がすっからかんだったのですが(別のスーパーではそこそこの量が入荷していました。ふだんとくらべればかなり少ないですが)。


 当時は、不作だと「米が足りない」だけではすまないことがあって。


 それは何かというと、当時は小作こさく制度なので、不作だと「地主 vs 小作人」の争いが激しくなるのです。

 しかも、当時の花巻地方では、寒い地方での米の収量の関係や山地の田畑が多くて収量が上がらないなどの理由で、地主が必ずしもリッチとは限らなかったようです。ぜんぜんリッチではないどころか自分が借金に追われているのに、小作人からは地主だからリッチな生活をしてるんだろうとうらやまれ、追い詰められる地主の姿も賢治は詩にしています。

 もちろん小作人の生活も追い詰められます。それは「質屋の息子」として跡取りを期待された経験のある賢治には、「肌感覚」でよくわかっていたはずです。


 悪天候で不作の農村を描いた詩には「小作調停官」(これは一九三一年と明示されています)、「もうはたらくな」、「何をやっても間に合ない」など、地主については「地主」、「五輪ごりんとうげ」などの作品があります(いずれもネットで読めますので、興味のある方は検索してみてください)。


 そういう農村を「自分ごと」として見てきた賢治なので、この「辞世の歌」には、あふれるほどの喜びが表現されているのだろうと思います。

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