第16話 大瀧詠一の「颱風」
大瀧詠一に「
正確には、はっぴいえんどの曲ということになる。
はっぴいえんどは、メンバー四人がそれぞれの分野で一九八〇年代の日本のポップスを牽引することになるので、「伝説のグループ」とされている。細野晴臣、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂の四人である。
はっぴいえんどは一九七〇年にファースト・アルバム『はっぴいえんど』(私たちは「ゆでめん」と呼んでいた。ジャケットのデザインにちなむ)を発表した。この最初のアルバムは、テーマに一貫性のある、いわば「きまじめな」アルバムだったと私は思う。
次の年に発表された『
細野晴臣の「風をあつめて」、「夏なんです」や鈴木茂の「花いちもんめ」など、メンバーのその後の活動の「出発点」になるような曲も収められている(もちろんメンバーそれぞれはっぴいえんど結成前から「出発」しているので、これらの曲を「唯一の出発点」と考えると不適切だと思うが)。
で、一九七〇年代の大瀧詠一の「出発点」になるのが、当時のA面に収録されていた「はいからはくち」と、B面に収録されていた「颱風」である。
一九七〇年代の大瀧詠一の活動は、私は、たんなる「詞+曲」に収まらないポピュラー音楽とは何だろう、ということの探究だったと思う。それは、同時に、「アメリカンポップスというのがどうして国を超えてポピュラーに受け止められるのだろう?」という謎の探究でもあったと思う。
いまの私にはじゅうぶんに論じるだけの力がないけれど。
「颱風」はそういう大瀧詠一らしさが表に出た曲で、歌詞も大瀧詠一が書いている(「はいからはくち」のほうは松本隆作詞)。
当時の大瀧詠一はわざと声に力を入れて歌っていた。一九八〇年代の『ロング・バケーション』以後の大瀧詠一だけを知って聴くと、この歌いかたには面食らうのではないだろうか。
その声で、日本語のことばの区切りをまったく無視した、または、意図的にシンコペーション(音楽の「
なお、台風を表現する「どどどど…」という表現が、同じ県出身の宮沢賢治の「風の又三郎」を意識したものなのかどうかは、よくわからない。大瀧詠一に宮沢賢治がどれくらい影響を与えたのかもよくわからない。岩手県人だとすぐに「宮沢賢治と同郷」と言われてしまうので、かえって自分ではそういう話をしなかったようである(これからは「岩手県人なら大谷翔平と同郷」と言われるようになるのだろうか?)。この作品で賢治の書いた歌を「どっどど、どどうど」と切れば、「颱風」の「シンコペーション」感にはよく合う。
ただし、じつは、賢治は、この又三郎の歌は「どっ、どどどどう、どどどう、どどどう」と切るつもりだった、という話(賢治を直接知る人の回想)もあり、やっぱりよくわからない。
ところで、「颱風」の歌詞によると、このとき襲ってきた台風は「第二十三号」とされている。
台風の年間発生数にはばらつきがあるが、平均して二十五個ぐらいだ。したがって台風の番号が二三号まで行かない年もある。発生するとしても二三号は秋以降になることがほとんどで、そうなると本州に近づかないことも多い。
だから、この「台風二三号」というのも、私はフィクションだと思っていた。
ところが、『風街ろまん』が収録された一九七一年は台風の発生数が多いだけでなく、発生のペースも速く、八月末にはじっさいに二三号が発生して日本列島に到達しているらしい。九州、四国、本州の南岸に沿うように進んで、東京にも接近している。この歌で描かれた都市はほぼ確実に東京なので、これはこの台風のときの実録と考えていいと思う(アルバムの収録は一〇月ごろなので、台風二三号襲来より後)。
なお、大瀧とも交流があった
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