第10話 なぜ台風は「迷走」したのか?

 ところで、令和六年台風一〇号はなかなか予報進路が定まらなかった。進路の予報は何度も変更され、日本列島に上陸する日付の予報もどんどん遅い日付に変更になっていった。


 台風一〇号は、最初は、本州や四国の南海岸にまっすぐ向かって来て、そのまま四国や本州を南から北へと通り抜ける、という予報だった。最初の時点では、関東に直接上陸するという可能性もあるとされていた。

 ところが、そのあと、動く方向が西のほうへと逸れて行った。本州・四国・九州への上陸予測の日付もどんどん後ろにずれて行った。台風の動きは遅く、台風の速さは「ゆっくり」という表示が続いた。


 最初はまっすぐに上陸すると予報されていたのが、西にずれてからは、西から四国の東側に上陸するかしないかというコースをたどり、そのあと関西地方に上陸してくる、という可能性も言われた。


 この「四国の東側に上陸して北上し、いったん瀬戸内海に出てから本州に上陸する」というコースでは、関西中央部に大きい被害が予想される。京阪神地方を台風の東側の「危険半円」に巻きこむ可能性が高いからだ。

 子どものころ関西に住んでいた私は、このコースを、室戸むろと台風(一九三四年)、ジェーン台風(一九五〇年)、第二室戸台風(一九六一年)コースとして教えられ、記憶してきた。どれも関西に大きな被害をもたらした台風だ。

 社会の防災も発展しているので、同じような大惨事にはならないだろうけど、相当にごわい台風になるのでは、と思った。

 しかし、室戸台風やジェーン台風や第二室戸台風を引き合いに出した報道には出会わなかった。引き合いに出されたのは平成三〇年台風二一号で、この台風ではタンカーが漂流して関西国際空港に渡る橋を破壊、関西国際空港が孤立したことで記憶されている。

 室戸台風とか、もう遠い昔の記憶になってしまった。

 というより、記憶としても呼び覚まされなくなったのだろうか、と思った。


 結果的に、このコースも通らず、もっと西寄りに進路を変えて、九州に南から上陸して天草のあたりまで海と陸地の境を北上、そこから東に向きを変えて西から東へと九州を横断した。


 なぜここまで台風の進路が西に引っぱられたかというと、寒冷うずまたは寒冷低気圧という、温帯低気圧でも熱帯低気圧・台風でもない種類の低気圧の影響を受けたからだ。その寒冷渦の説明はややこしいので後回しにする。


 台風は、というより、熱帯低気圧・台風も含めて、低気圧も移動性高気圧も、基本的には風に流されることでしか移動できない。

 台風ではあんなに強い風が吹いているのだから、その風の反動で移動できてもよさそうなものだけど、渦なので、北でも南でも東でも西でも同じような風を吹かせているので、勢いが打ち消され、けっきょく自力ではほとんどどちらにも移動できない。


 一般的には、台風は、太平洋高気圧の縁で発生する。

 太平洋高気圧のまわりには、時計回りで風が吹いている。太平洋高気圧の南の縁で発生した熱帯低気圧・台風は、その風に流されて、まず西へ、やがて北へと移動する。

 日本の南西諸島ぐらいの緯度で太平洋高気圧のまわりの風の影響から離れる。このとき、台風は、しばらく進む速度が遅くなる。

 そのあと、偏西へんせいふうという地球規模の西風の流れに乗って急速に速度を上げ、東側へと向きを変えて、わりと速い速さで日本列島を通過していく。

 八月ごろは、太平洋高気圧の勢力が強くて日本列島の上まで覆っていること、偏西風が日本列島の北のほうを流れていることもあって、このコースに乗ると日本列島の西側を北上していくことになる。

 しかし、太平洋高気圧の勢力が弱かったり、その位置が偏っていたりすると、そのコースに乗れない。

 そのばあい、太平洋高気圧の縁を離れて偏西風に乗るまで、台風はどこへ行ったらいいかわからない状態になり、停滞したり、行ったり来たりすることになる。こういう台風を「迷走台風」と呼ぶことがある。

 今回の台風一〇もそうだった。

 思いっきり「迷走」した。


 台風一〇号も、最初は太平洋高気圧の南の縁を吹く風に乗って西のほうに進んでいた。そのまま行くと、その高気圧の縁の風に乗ってやや北のほうに向かうはずだった。

 しかし、その途中で、南西諸島のあたりにあった「寒冷渦」または「寒冷低気圧」というものに引っぱられて西へと移動し、太平洋高気圧の縁を回る風から引き離された。

 台風を引っぱった「寒冷渦」は弱まって消滅してしまい、台風はそのまま無風地帯に取り残されてしまった。

 偏西風は今年も日本列島の北のほうを吹いていて、南西諸島あたりの海面からは遠い。偏西風に乗ることもできない。

 さらに、猛暑の今年は、アジア大陸の東のほうに存在するチベット高気圧という上空の高気圧が、南西諸島の上まで張り出していた。台風一〇号は、このチベット高気圧にも行く手を阻まれた。

 けっきょく、無風状態のところを、台風はあまり速くない速度で迷走した。関西地方から太平洋に出たところで弱まって熱帯低気圧に変わった。そこで、今度は太平洋高気圧に行く手を阻まれ、さらに引っ返して関西と中部の境目あたりを通り抜けて北へ行き、熱帯低気圧でもなくなった。


 もともと、台風が最後に乗っかるべき偏西風に乗れなかった上に、寒冷渦に引っぱられて西に行ったり、チベット高気圧と太平洋高気圧に行く手を遮られたり、台風を乗せて運ぶような風がなかったり、ということで、同じような場所を遅い速さで迷走し続けたのだ。

 しかも、その下の海水温が高かったために、そのあいだも台風は強くなり続けた。

 そのぶん、台風の被害が大きくなり、影響も長引いたのだった。

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