第2話 台風をめぐる呼び名の問題

 台風10号は、その後、「熱帯低気圧」に変わった。

 この「台風が熱帯低気圧に変わる」という表現に、私はじつは違和感を感じている。

 なぜ違和感を感じるか?

 その説明から始めて、ここでは、この「台風をめぐる呼びかた」について書いてみたいと思う。


 台風は、その構造としては、熱帯低気圧の一種だ。

 天気予報用語として、「構造としては熱帯低気圧」のうち強いものを「台風」、「構造としては熱帯低気圧」のうちあまり強くないものを「熱帯低気圧」として区別している。

 だから、台風は、もともと「熱帯低気圧」として発生し、「台風」になり、たいていは再び「熱帯低気圧」に戻ってその一生を終える。

 しかし、「熱帯低気圧」であっても「台風」であっても、低気圧の構造としては熱帯低気圧である、というところは変わらない。

 これだけ書いただけでかなりこんがらがって、よくわからなくなってきた。


 整理すると:

 ●低気圧の構造としては、「台風」も「熱帯低気圧」も、熱帯低気圧である。

 ●「構造としての熱帯低気圧」のうち、天気予報(気象をめぐる行政)では、強いものを「台風」、強くないものを「熱帯低気圧」と呼んでいる。

ということだ。


 天気予報が使う用語は、気象庁という行政官庁(役所)が決めた用語に基づいている。

 もっとも、「爆弾低気圧」とか「ゲリラ豪雨」とか、民間の研究者やマスコミが創り出した用語もあるから、天気予報が使う用語はぜんぶ気象庁が決めたとは言えない。

 だが、少なくとも、気象庁が作った用語は、マスコミの天気予報でも、気象庁が決めたとおりの意味で使わなければならない。

 「台風」、「熱帯低気圧」も、そういう、気象庁が決めた用語だ。


 「構造としての熱帯低気圧」のうち、最大風速が34ノット以上のものが「台風」、それ未満のものが「熱帯低気圧」とされる。

 34ノットというのは中途半端な感じもするが、これが国際基準だ。

 1ノットは時速1.852キロで、普通は船の速さを示すのに使う。風の強さが「ノット」で計測されるのは、帆船や初期の蒸気船にとって、風の速さは大きな関心事だったからだろう。

 日本では風速を表すのには「秒速」が使われる。「風速xメートル」というのは、「風の秒速が毎秒xメートル」という意味だ。

 時速1.852キロは秒速0.514メートルにあたるから、だいたいの換算として「2ノットで風速1メートル」と考えておけばいいだろう。

 34ノットは、厳格に換算すると風速17.5メートルほどになるが、気象庁は「17メートル」としている。

 「台風」にしても「熱帯低気圧」にしても、そのあらゆる場所で風速を計測することは不可能で、現在は、気圧配置や衛星画像などの資料を利用して台風の特徴を分析して最大風速を推定している。「推定」なので、あまり厳格に数字を決めてもしようがない、ということだろう。

 台風の大きさは、「風速15メートル以上の強風が吹いている範囲」を「強風域」として、この強風域の大きさで決める。34ノット以上、つまり風速約17メートル以上が台風ということだから、台風は必ず「強風域」を伴っているということになる。

 ちなみに、一部の人以外にはどうでもいい情報として、帝国海軍の空母蒼龍そうりゅう飛龍ひりゅう翔鶴しょうかく型の速力がだいたい34ノットぐらい。


 台風や熱帯低気圧を、天気予報用語(気象をめぐる行政的な用語)としてどう呼ぶかということは、それが引き起こす被害と関係して、デリケートな変化を繰り返してきた。


 たとえば、いま「台風が熱帯低気圧に変わった」というときの「熱帯低気圧」は、以前は「弱い熱帯低気圧」と言っていた。つまり、以前は「台風が熱帯低気圧に変わった」ではなく、「台風が熱帯低気圧に変わった」と言っていた。

 ここまでに書いたように、「台風」も、現在の「熱帯低気圧」も、低気圧の構造としては熱帯低気圧で、同じだ。そのうち「強い熱帯低気圧」が「台風」と呼ばれるわけだから、「強くない熱帯低気圧」、「台風ではない熱帯低気圧」は「弱い熱帯低気圧」だったわけだ。

 ところが、「台風」というスゴいものが「弱い熱帯低気圧」に変わったというと、どうしても安心してしまう。「台風、終わったー!」と思って安心し、災害に警戒しなくなってしまう。

 ところが、実際に「弱い熱帯低気圧」も、低気圧である以上は風も吹かせるし雨も振らせる。「弱い熱帯低気圧」が台風と同じような災害を引き起こしたこともある。

 だから、「弱い熱帯低気圧」から「弱い」を取って「熱帯低気圧」にした。

 天気予報用語・行政用語としては、人びとに「何だ、弱いのか。じゃあ災害に備えなくていいんだな」という判断をさせてしまう要素を削ったわけで、そのぶん、わかりやすくなったけど。

 どうなのかなぁ。


 台風の種類の呼び名からは、これ以外にも、台風への警戒をおろそかにする要素を削ってきた経緯がある。


 たとえば、台風の大きさは、現在、「台風/大型の台風/超大型の台風」で区別する。

 台風の強さは「台風/強い台風/非常に強い台風/猛烈な台風」で区別する。

 「大型」以上や「強い」以上にならない台風は、たんに「台風」と呼ばれる。


 だから、たとえば

 ●「台風」といえば、大型にもなっていないし、「強い」の基準にも達していない強さの台風。

 ●「強い台風」といえば、大きさは普通だけど、強い台風(今回の令和6年台風10号は、大きさは普通のまま「非常に強い台風」になった)。

 ●「大型の台風」といえば、大きさは「大型」だけど、強さは普通の台風。

 ●「大型で強い台風」といえば、大きさも「大型」で、強さも「強い」の基準以上の台風。

ということになる。

 ちなみに、大きさも極大、強さも極大なら「超大型で猛烈な台風」となる。


 (この話題は次回に続きます)

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