『仮死ニゼーション』その②
ある夕方、私――楓・ステファニー――が二日酔いの頭痛に目ざめたとき、自分がソファの下で一匹のそれなりの大きさのカニに変わってしまっているのに気付いた。酒瓶を抱えていた腕は鎌のような形の……
楓「これはさっきやったか」
寝ぼけ眼を、鋏の峰で撫でるように擦って、カーテンの隙間から窓を覗く。
きれいな橙色や紫色のフィルムを何十にも重ねて小麦粉をまぶしたような、室の悪い空が広がっている。そこに不満げに浮かぶ雲は、端の方がほつれて、少々細かくはなっていたが、まだ夏の形をしていた。
そこから視線を落とすと、ちょうど青磁色のスクーターが駐車場に入ってくるのが見えた。
楓「嵐が帰ってきてしまったらしい」
ヤマハの50ccのそれは嵐の愛車だ。
まともだった頃の私はよく荷台に座って彼女に抱き、ちょっとしたジャーニーに出かけたりした。
嵐「ところで私に、思い出に浸っている時間は無いらしい」
鈴の音とそれに遅れて蝶番が鳴る。
はちみつキャンドルのようないい香りとともに、嵐の軽快な足音が近づいてきた。
嵐「ただいま楓っ♪ 今日のおゆはんはコーネリアスの店の餃子だよ。さっきまで三人で飲んでて」
それで
鼻歌交じりに扉を開けた嵐が、部屋の惨状を見て漫画のように呆然と立ち尽くす。
レジ袋をドサッと落とし、声にならない声を上げて、いた。
私も居た堪れなくて、元に戻る方法を知っているかは不明だが、とりあえず助けを求めようと鋏を振り上げて嵐の元に駆け寄る。
華奢な足首に抱きついて鋏を鳴らす。精一杯のアピールは果たして届いたようで、嵐は私を抱き上げて、まじまじと観察する。
「はぁっ? カニ? アサヒガニ? しかもデカいな?」
鋏脚の付け根を掴まれ、高い高いをされるような格好である。
しかし考えてみれば同性とはいえ現在私は全裸であり、それを特に抵抗できずに晒すというのはなかなかどうして背徳感を覚えた。
隠そうとガチャガチャ動かそうとするが、私はそもそも何処を隠すべきなのだろうか。
楓「あのっ嵐、恥ずかしい」
私の声が届くのかはわからないが、ダメ元で口を開いてみる。
それに昔から嵐は、ヒトの心を読むのが上手だった。その技巧に与ってきた身としてはすごく信用しているのだ。
嵐「カニに興奮する趣味はないよ、楓。それで、これはどういうことなの?」
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