第8話

 僕は早速家に帰って、空白の机上にノートを広げた。今なら何でも書ける――そんな気持ちが僕の背中を押してくれた。


 目の前にいる鉛筆も僕を応援してくれている。


 一文字一文字書くごとにペンのスピードがどんどん上がっていく。周りのスピードが僕に追いついていないみたいだ。


 今までに書いていた話を広げつつ、春野に提案してもらった出来事も書きつつ、説明文にならないように注意して……。


 ご飯も食べず、トイレにも行かず、いつの間にか何時間も過ぎていった。


 窓から入ってくる光は月明りだけになり、いつの間にか鳥のチュンチュンという囀りが聞こえ始め、蝉のミンミンという鳴き声が窓から部屋の中へ侵入し、頭の中に入ってきた。


「書けた……」


 僕は両手でノートを持った。気持ちよく起きれた時のような、テストで満点を取った時のような、そんな感覚が全身に巡っていた。


 僕はすぐに最初から読み返した。僕が書いたにしては面白いほうかもしれない、と自画自賛してしまうほどの出来だった。


 でも読めば読むほど何かが違う。何かが足りない。そんな気持ちにもなった。


 何が足りないのか、僕には分からなかった。


 そんな時、先生が話してくれたことが頭に浮かんだ。


『あの鉛筆使って書いてないでしょ』


 そういえば使っていない。僕は目の前にいる鉛筆を見た。彼は足りない何かを知っているようにこちらを見ている。右手は自然とペンを置き、惹きつけられるようにトゲのすぐ下あたりを握った。


 鉛筆から僕に足りなかった何かが水のように流れてきて、パズルのピースのようにハマっていく。とても気持ちが良い。


 足りなかったのはこれなのか……。


 僕はすぐに違和感があった部分を直していった。するとすぐに違和感がなくなり、元からそこにあったかのような佇まいをし始めた。


 僕は全てを直していった。勿論例の鉛筆と一緒に。彼と書いていると、今までにないくらいのスピードで文字を書けた気がする。


 直し終わったのか、鉛筆は自ら机に降り立った。


 それと入れ違いに僕はノートを手にとってもう一度読み始めた。さっきまでのよりも断然良かった。ポタポタとノートが濡れたのに自分がとても驚いた。自分が書いた小説に自分が泣かされるなんて。


 僕はすぐに春野に連絡をした。


『小説が完成したから読んでみてほしい』

『一七時位に学校横の公園でいい?』


 ◇◇◇


 一〇分前にはつけるように、連絡が来た場所に自転車を走らせた。


 しかし既に公園には見知った顔の女の子が一人立っていた。本当に来てくれているとは。


「お待たせ。僕が誘ったのに遅くなった」

「全然。私が早く着きすぎただけ」


 さっきまで外出していたのか、服装がお洒落だ。メイクもヘアアレンジもしてある。


「書けた小説見せて」

「あっ、ああ」


 僕が見とれていたとはさて気づかず、彼女は小説を早く差し出せと迫ってきた。


「はい」


「ありがとう」と言いながら彼女はノートを受け取り、近くにあったベンチに座って静かに読み始めた。


 僕も隣に座ってスマホを触った。


『春野ゆい菜』


 勝手に検索バーにはその文字が入っており、無意識に彼女のことを検索していた。それに気づいた瞬間、直接聞けばいいのにというなんとも言えない後ろめたさがあった。


『「春野さんは出したコンテストほとんどで入賞しているそうですが、また何かのコンテストに応募するんですか?」


「いえ、暫くはする予定はありません」』

 

 目についたので読んでしまった。でも学校のには絶対に提出しないといけないから応募しないことはない気がする。


「ぐすっ、うぅ……」

「春野どうした!? 何かあった!?」


 急に春野が泣き始めた。僕はスマホを置いてハンカチを取り出し、春野の目元に軽く押し付けた。


「……よく書けてると思うよ」

「そう? ありがとう! 悪いところがあったら全部遠慮なしにズバズバ言ってほしいんだけど……」


 僕は姿勢を正して感想を待った。しかし彼女の口から出てきたのは思いもよらない言葉だった。


「悪いところなんて何もないよ。私にはこんなの書けないなあ……」


 僕は嬉しくなった。


「こんなの小説が嫌いな人の書く文章じゃないよ」

「あ、ありがとう……」


 僕は照れながら答えた。プロから褒められるのがこんなにも嬉しいだなんて今まで思わなかった。そう思って春野の方を見ると、彼女の顔は僕とは反対に曇っていた。


 春野は「ごめん、帰る」とノートとハンカチをベンチに置いてタタタッと走っていってた。


「あっ、ちょっと」


 僕は何か悪いことをしてしまったのか。仲良くなれた気がしたのに、僕はまた、春野を怒らせてしまったのかもしれない。


 ◇◇◇


 いつの間にか時は過ぎ、とうとう今までのように学校が始まった。始業式も終わり、あとは提出物を出して帰るだけだ。


「課題ちゃんと出せよ。まあ今日は小説しか出すものないけど」


 僕は夏休み後半でタブレットに打ち込んだ小説を提出した。側であの鉛筆に見守ってもらいながら、何度も読んで確認したので誤字脱字は無いはずだ。


 出し終わったのでタブレットを鞄に仕舞っていると、「久しぶり」と春野が声をかけてきた。 あの時怒って帰ったのだと思ったが、今は怒ってなさそうだったので安心した。


「久しぶり。あの後大丈夫だった?」

「えっ、ああ、うん」


 それなら大丈夫か。


「小説提出できたら帰っていいぞ」

「先生ー。やってない人はどうすれば良いですかー?」

「そりゃ一択だろ。残れ」


「そんなあ!」と叫んでいる声が耳に入った。ドンマイ。僕でもできたんだから誰か分からないがお前ならもっとできる。


「じゃ、私は帰るね。ばいばい」

「うん。じゃ」


 春野はパタパタと急いで出ていってしまった。僕も帰ろうとカバンを持ち、教室を出た。


 ◇◇◇


 文化祭も終わり、半袖から長袖に変わり始めた頃だった。


「今日はいい知らせがある。小説コンクールに送る二人が決定した」


 教室ではおお〜、という歓声が沸き上がった。


「一人は絶対春野さんだよね。もう一人は誰なんだろ」

「やっぱり俺のが良かったんじゃないの! 先生分かってんねえ!」


 だんだん騒がしくなってきた頃、先生は「静かに」と言って話し始めた。


「選ばれたのは多田と◯◯だ。二人の作品はもう送ってあるからあとは結果待ちだな」


 ……マジか。


「春野! 僕選ばれたって!」

「良かったね。おめでとう」


 春野が悲しそうな顔で言った。春野も選ばれたんじゃないのか? なのに何でそんな悲しそうな顔を……?


「木ノ本さん凄いね! おめでとう!」

「いやいやそんな……」


 周りの人が木ノ本の方を見て祝福の言葉を投げかけている。


 ……春野が選ばれてない? そんな事があるのか?


「じゃ、今日も一日頑張れよ〜」


 先生はいつも通り教室を出ていった。一緒にこの疑問も連れて行ってくれたらいいのに。しかしそんな事はしてくれなかった。


『春野が選ばれなかった』その事実だけが教室に残された。

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