第10話
「全部お前のせいだ!」
目の前に居るのは私の知っている彼ではなかった。私の好きだった綺麗な二重は前髪で隠され、せっかく高い身長は背中を丸めているせいで低く見える。
彼が小説を嫌いになったのは私のせいだ。私が小説を書いて入賞したから彼は書く気を失った――。
それに気付いた途端、私はシャツの裾をぎゅっと掴んだ。悔しかった。彼に私を見てほしくて、気持ちを気づいてほしくて書き始めただけなのに……。
「ごめんなさい……」
彼の姿がだんだんぼやけていく。
「分かったんなら話しかけんな」
彼は私に背を向けて、いつの間にか姿を消していた――。
◇◇◇
僕は五時間ほどかかって最後まで読み終えた。
机の端には使い終わったティッシュペーパーが山を作っていた。視界は主人公と同じようにぼやけて、また一枚、また一枚と箱からティッシュペーパーを摘み出した。
最初は腹痛や吐き気があったのに、いつの間にかそれらは消え、収まっていた。残っているのは甘酸っぱいような、温かいような、嬉しいような感覚だけ。この感覚は何なのだろう。
僕はこの小説に感動したのか?
確かに主人公が屋上にいる彼を説得しようと屋上に駆け上がっていく場面の臨場感は凄かったし、彼がそこから落ちそうになっているところを主人公が引っ張り上げる場面で掛けてあげた言葉にはティッシュペーパー一〇枚は使ってしまった。
僕が小説に感動でするなんて。五時間前までは考えられなかった。
小説を読むのはこんなに楽しいものだったのか。僕は久々にこんな気分になれて嬉しくなった。
やっぱり春野の書く小説は凄いな。僕が書いたのとは全然違う。言葉を足しても、引いても崩れてしまいそうな完璧で儚い物語。こんな話、僕には書けない。
この本を読んだら嬉しいとか悔しいとかいう感情全てが消えてしまった。そんな力がある気がする。
ただ残ったのは『感動』。それだけ。
本を閉じて、本棚に直そうとすると、一枚の栞がポトンと机の上に落ちた。
『ごめんね』
何がごめんねなのだろう。僕は春野に栞の写真と共に連絡してみた。
『この栞って間違えて挟んだやつ?』
しばらくすると返事が来た。
『この後空いてる?』
◇◇◇
「お待たせ」
「大丈夫、今来たとこ。急に呼び出してごめん」
僕は春野に呼び出されてこの間の公園に来ていた。彼女は何か言いたげな顔をしているが僕とは目を合わせようとしない。
「本、読んでくれた?」
「一応。正直あんなに感動するなんて思ってなかった」
「そっか。良かった」
彼女は笑顔でこちらを見た。そして勢いよく腰を九〇度曲げた。
「ごめんなさい!」
「え、えっと……何が?」
「多田君が小説を嫌いになったのって私のせいだよね? 多田君はずっと小説を読んでたのに急に読まなくなった。それも小六の時に私が大賞を取って、鉛筆を皆にあげたあたりから。それからもうずっと読んでる姿を見なくなって……」
「別に春野のせいじゃないよ」
春野が踏んでいる地面に、水滴がぽとぽとと落ちている。彼女は涙で濡れた顔を上げた。
「私が悪いんだよ……。多田君に私が書いた話を読ませなかったら、多田君に鉛筆を渡さなかったらってずっと考えてた。だけど、あれから話すこともなかったからせめて私の気持ちを知って欲しくてあの小説を書いたの」
「あの小説って?」
「栞を挟んでた本――『小説を読まない君へ』。多田君が友達と話してるのを聞いて、映画は観てるって言ってたから。それなら私の気持ちを知ってくれるかもって思って映画化の打診を受けたんだ」
そうだったのか。春野は僕のことをずっと気にかけてくれていた。なのにそれを見て見ぬふりをしていたのは僕だったのか。
「僕の方こそごめん。そんなに気にしてくれてたのに勝手に小説を……春野を嫌いになって」
「ううん。正直に話してくれて嬉しい」
彼女はにこっと微笑んだ。
「そういえば、ずっとあの鉛筆持っててくれたんだね」
「あの折ったやつ?」
「うん。ほら見て」
春野は右側のポケットから僕が持っている鉛筆の顔側の欠片を持っていた。
「何でそれを……。あの時春野が置いたのか?」
「うん。多田君の小説は……多田君は私の中で一番だから」
小説 〜小説嫌いが書く小説は一番になれるのか〜 ちま乃ちま @chima_ma_
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