第6話
次の日、僕は春野とおじさんと学校近くのカフェに来ていた。
「俺はウインナー珈琲で。春ちゃんと多田君はどうする?」
「私はクリームソーダで」
「あっ、僕はジンジャーエールをください」
「かしこまりました〜」と言い店員はそそくさと去っていった。
「ここのカフェ来てみたかったんだよね。学校に行くとき毎回通るから気になってさ」
間髪入れずに「俺はおじさんだから」と言った。おそらく僕に向けてだろう。意外と気にしているのかもしれない。
窓際のテーブル席。おじさんと向かい合わせに、僕と春野は並んで座っていた。
隣をじっと見るわけにもいかないのでわからないが、多分春野は緊張している。勿論僕もだ。
「二人は学校の課題の小説書けそう?」
春野は考える隙もなくすぐに「はい」と答えた。
「一応もう書き終わりました。来週推敲する予定です」
「そうかい。多田君は?」
「僕は……どうでしょう」
ポリポリと頭を掻きながら答えた。おじさんは予想通りと言う顔で、春野はえっ……、と引き気味で僕を見ていた。
「どうして書けないの?」
春野に聞かれた。春野はおそらく純粋に知りたかっただけなのだろうが、僕は少し心に傷をつけられた気分だった。
「僕は春野とは違って小説を書いたことがないし、ずっと小説を読んでないから何も分かんないんだよ。二万字がどれくらいなのかも、どんな感じで話を進めたらいいのかも」
春野は「……なんかごめんね」と小さく呟いて目線を逸らした。
「まあ気持ちはわからんでもない。俺も初めて書いたときは右も左もわからなかったからね」
意外だった。プロの小説家がそんなことを言うなんて。僕はてっきり初めから凄いものを書いていたものだと思っていた。
「春ちゃんみたいな話を書くようになったのは書き初めてから一〇年経ったくらいからだしね。小学四年生があんな難しい言い回しを使えるのにはびっくりしたよ」
ちょうど「お待たせしました〜」と俺達の頼んだ品物が届いた。珈琲の香りが心地良く漂ってきて、この空間をすぅっとリセットさせた。
僕は一瞬香りに気を取られてしまったが、気になったことをすぐにおじさんに質問した。
「小四で難しい言い回しを使ったって言ってましたけど、春野が小説を書き始めたのって小六じゃなかったんですか?」
「小三からだよ」
クリームソーダをかき混ぜながら横からすっと割り込んできた。
「俺が初めて春ちゃんの小説を読んだのが、春ちゃんが小学四年生の時に開かれたコンクールなんだよ。いやあ、あの時のは本当に驚いたなあ」
珈琲を飲みつつ話を続けた。
「あの小説は同年代の文章のレベルを軽く超えていてねえ。同年代に読ませる気が一切ない文章で面白かったよ」
春野はゲホゲホとクリームソーダを飲むのを止めて「あの頃は皆、私が読むような小説を読んでいると思っていたんですよ!」と焦って訂正していた。
何回か『小説』という言葉を聞いているからか少し気持ち悪くなってきた。
「すみません、ちょっとトイレに行ってきます」
僕はすっと席から立ち上がり、すぐにトイレへ入って扉を閉め、便器の前にかがんだ。
……そういえばどうして僕はあんなに凄い人しかいない空間に座っているんだろう。僕の書く話は春野よりも格段に劣っているし、おじさん――本定斎先生よりも絶対に面白くない。
吐き気も治まり、トイレから出ようとして手を洗った。前を見ると大きな一枚鏡が僕を大きく映していた。鏡に映る姿は泣きそうで、悔しそうで、どうしても見ていられなかった。
僕はこれ以上見ていられなくなり、席へ戻った。
「おかえり。大丈夫?」
心配してくれている声を肴に、僕はジンジャーエールをゴクゴクと一気に飲んだ。
「プハァ」
喉を通り越す爽やかな感覚は心の不純物を取り除くようであった。
僕はカバンから財布を取り出し、千円札を取り出した。多分足りるはずだ。
「お釣りはいらないんで。先帰ります」
「では」と言ってカバンを背負い、店を後にした。僕の目から頬へと冷たい液体がつうっと垂れてきた。夏の暑さに消されそうで消えないそれは増え続ける一方だった。
家に帰り、スマホを開くと『来週の金曜日、空き教室三で』と一言だけ本定斎先生から送られてきていた。
書かないと。
僕はノートを開いて無理やりシャーペンを動かした。
目の前でお尻がトゲトゲの鉛筆が僕をずっと監視していたことに、その日僕が気付くことはなかった。
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