第4話
「失礼します」
春野はガラガラと遠慮なしに扉を開けた。僕は春野の影に隠れるようにひっそりと中を覗いた。すると中から画面で見たおじさんが出てきた。
「待ってたよ。春ちゃん元気?」
「はい」
春野は落ち着いて答えていた。……ように見えたが、彼女は目をきゅるんとさせており、僕から見れば餌を待ち続けた犬のようにさえ見える。
「……君が多田君かい? 会えて嬉しいよ」
僕はぎゅっと縮こまりながら春野の横に立ち、今出せる精一杯の声で挨拶をした。
「はい……多田雅之です……」
「そうか。廊下は暑いだろう? 中に入ってゆっくり麦茶でも飲みなさい」
おじさんは僕を中へ中へと招き入れた。空き教室の机配置は普通の教室と一緒で、おじさんの荷物は窓際の一番後ろの机に置かれていた。おそらくさっきまであそこに座っていたのだろう。
「春ちゃんありがとう。また後でね」
「はい。では失礼します」
春野はゆっくりドアを閉め、この教室から離れていった。足音が聞こえなくなったのと同時くらいにおじさんはこちらへ来た。
「ほら、そんな所に突っ立ってないでここに座って。麦茶はそこの紙コップに入っているのを飲んだらいいから」
僕はおじさんの言う通りに教卓の一番前の席に座って、カバンを机の横にかけた。
「いただきます……」
僕は緊張をほぐすために机の上に置かれていた麦茶を一口含んだ。しかしほぐれるどころか強ばる一方だ。
よっこいせ、とおじさんは僕の目の前に椅子を持ってきて座った。その姿はおじさんの中のおじさんで、偉い小説家には見えない。
「さて、多田君は本当に小説が嫌いなのかい?」
「はい」
「いやあ、面白いね」と言いながらはははと顔を緩ませた。その姿は気さくなおじさんだ。この人は本当に有名な小説家なのか?
「今回俺がこの学校に来た目的を知ってるかい?」
「小説の書き方を生徒に教えるためですよね」
「そうなんだけど少し違ってね。俺は君に会いに来たんだよ」
おじさんは机上の僕の手を取りながらそう言った。僕はびっくりして手をびっと引っ込めた。
「いやあ、春ちゃんからもらった鉛筆をすぐに折ったとかいう話を聞いたら会ってみたくなってさ。それにその鉛筆をずっと学校に持ってきてるんだろ? 普通折った鉛筆なんかすぐに捨てるのに」
今度はケラケラ笑いながら話した。そんなに笑うことだろうか。僕はかっとなり、『偉い人』ということを忘れて言い返した。
「別にいいじゃないですか! 捨てたのに次の日学校に来たら机の上に片方だけ置かれてたんです!」
「そんな事ある?」と笑いをこらえながら聞いているせいで、おじさんの顔は真っ赤になっている。これ以上言うと僕も変なことを言いそうだったので、拳をぎゅっと握って感情を落ち着かせた。
「それ次の小説のネタにしていい?」
「ええどうぞ」
「……そうだ。多田君もそれで小説書いてきてよ。次に会うときに見せて」
「なんでですか! ……というか次に会う時って……」
このノートに書いて、と一冊のピンク色のノートを渡してきた。
「いや、題名はこっちでつけよう」
ノートを引っ込めて、おじさんは革製のペンケースからネームペンを取り出し、強めの筆圧で題名をササッと書いた。
『呪われた鉛筆』
「よし、次までに書いてきてね」
ノートを僕の手の平に強く押し付けてきた。押し返そうとしたが、キラキラとした視線を向けられたら返す気も失せてしまった。
それからいろいろなことを話していると、「じゃあまた」といつの間にか終わっていた。
おじさんは僕を廊下に出してすぐにドアを閉めた。変なおじさんだったな。
隣の教室の時計をちらりと見ると、小説講座が終わってから一時間が経っていた。僕はようやく緊張が解け、その場にぺたんと座り込んだ。
渡されたノートを改めて見ると字がとても汚く、薄汚れて少し色褪せていた。
「はあ。どう書けば良いっていうんだよ」
◇◇◇
「多田君おかえり」
春野が話しかけてきた。こんな時間まで残っているとは。
「誰か待ってんの?」
「本定斎先生。楽しかった?」
「あー、うん、面白かったよ。呑気なおじさんって感じだった」
「なら良かった。宿題よかったら手伝おうか?」
「……何で知ってんの? でも大丈夫。自分でなんとかする」
俺はカバンにノートを仕舞いながら返事をした。
「そういやあの人が『次に会った時』みたいなことを言ってたんだけど、なにか知ってる?」
「えっと……、ごめん。それは知らない」
その代わりにこれ、とおじさんの電話番号とメールアドレスが書かれた紙を渡してきた。これに自分で連絡して聞け、ということだろう。
仕方なくおじさんに連絡してみるとすぐに返事が来て、今週の金曜日に今日と同じ教室に来いということだった。ついでに小説と折れた鉛筆も持って来いとも書かれていた。
また行かないといけないのか……。
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