第3話

 次の日。小説講座があるため、寝ていたい気持ちを殺して無理やり体を起こした。目覚めてからというもの、体がズシンと重かった。


「お母さん……今日学校休む……」

「いいけどなんで?」

「俺の背中にでっかい単行本が乗ってる……」

「元気なら行ったほうが良いわよ」


 無理やり制服を着せられ、カバンと共に玄関の外にぽいっとゴミを放り投げるように出されてしまった。何故か僕の右手には例の鉛筆が握られていた。無意識すぎるだろ。


 行く宛もないので仕方なく僕は学校に向かうことにした。背中に乗っている単行本とジリリと肌を焼き付ける太陽、鬱陶しいくらいに頭に響く蝉の声。一歩足を踏み出すごとに一年寿命が縮まっている気がする。


 死にそうになりながらもなんとか学校についた。カバンは机の横に、右手の鉛筆は適当に置いて机に勢いよく頭を落とした。


 後ろの方から「今日はリモートらしい」というのが聞こえてきた。体育館に移動しなくてもいいという安心感に誘われてそのまま眠ってしまいそうだったが、すぐに担任がパタパタとパソコンを電子黒板とリモート会議とに繋ぎに来たので目が覚めてしまった。


「そろそろ講座が始まるから席に座っとけよ」


 生徒はぞろぞろと自分の席に座った。僕は眠れそうになかったが起きていると死ぬかもしれないので顔を伏せた。


「おーい、始まるよー」


 コンコンと机を叩きながら囁く、その優しい女神のような声は一体誰なんだ。


「多田君もきっと、この人のことが気に入ると思うよ」


 春野の声だ。俺は無視を決め込んで更に深く頭を潜らせた。


『皆さんおはようございます』


 突然、前の方から話し声が聞こえた。


『ちゃんと繋がっていますかね? では小説講座を始めたいと思います。私は本定斎勝紀ほんじょうさいかつのりと申します。よければ覚えてくださいね』


 小説家が話し始めていた。流石に一度も顔を見ないのは良くない気がしたので一瞬画面を見た。黒髪にやや白髪が混じっているその姿は小説家というよりのんびりしたおじさんであった。しかしそんなことはどうでもよかったので話を右から左へと聞き流し、目を瞑っていた。


『こうして皆さんとお話するのをとても心待ちにしておりました。では軽く自己紹介を。私は日本の小説賞の中で一応、一番すごいとされる千里賞に八回ほどノミネート、そのうちの二回は千里賞に選ばれました』


 おお〜という静かな歓声とその話し方のお陰で思っている以上に凄い小説家だということが分かった。ただ、話されれば話されるほど頭が痛くなってくる。僕は鞄から耳栓を取って、両耳を塞いだ。


『……まあ自己紹介はここまでにして、本題の小説についてやっていきたいと思います』


 小説の書き方について説明を始めた。耳を塞いでいても薄ら入ってくる声にうんざりする。やはり本業が小説家ということもあって説明はうまい気がするが、先生程ではない。


 隣をちらっと見ると、春野は画面をじーっと見つめていた。僕にはわからないがそんなにこの人が面白いんだろうか。僕は強い睡魔に襲われてだんだん意識が遠のいていった。


 ◇◇◇


 二時間が経ったくらいだろうか。自然と目が覚め、首が痛い事に気づいたので僕は顔を上げた。


『そろそろ時間ですかね。では講座を終わりたいと思います』


 いつの間にか終わったらしく、パチパチという音が教室に響く。俺は迷惑をかけないよう、両手を前に組んでぐっと伸びた。


『あっ、そうそう。二年生の春野ゆい菜さんと多田雅之ただまさのり君はこの後空き教室三まで来てください。では、本日はありがとうございました』


 バチンと画面が真っ黒になった。


 切れる直前に名前を呼ばれた気がしたが気のせいだろう。僕は耳栓を外して机の上に転がしていた鉛筆と一緒に鞄に入れた。そしてそれを持ってすぐに帰ろうとした。


「行かないの?」


 ほわんと春野が話しかけてきた。行くってどこに行くんだよ。そしてその数秒後に「多田いる?」と言いながら担任も近づいてきた。


「早く本定斎先生の所に行ってこい。偉い人を待たせるわけにはいかんだろ」

「さっきの小説家……の人の所にですか? 多分僕じゃないと思います」


 頭にズキッと痛みが走る。


「お前なあ。春野、こいつを連れてってやれ」

「わかりました」


 春野は僕を獲物を見る烏のような目で見て、腕はキリリと音が鳴りそうなくらい強く掴んだ。頭と腕の両方が痛み、だんだん腹の痛みまで出てきた。しかし僕のことを一切気にせずに彼女は僕をさっき話していた人の所へと連れて行った。


「春野、あの人に僕のこと何か言ったのか?」

「何も。ただ小説が大大大嫌いな人がいるって言っただけ。名前はどこで知ったんだろ」

「おい!」


 春野は軽く目を逸らしながら答えた。勝手に人の名前を使うなんて良くないとは思ったが、声には出さなかった。そしていつの間にか僕達は、さっきの人が待つという空き教室三の前に来ていた。


 

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