第2話

 閉められたカーテンの隙間から光が漏れる午前一〇時二七分。終業式を行う体育館では校長先生が一学期中に結果を残した生徒の表彰をしていた。


「二年E組の春野ゆい菜さんが高校生小説コンクールで大賞、三条文庫小説大賞で最優秀賞を受賞されました」


 ……吐き気がする。


 僕は小説が嫌いだ。どれくらい嫌いかというと、キッチンなどに時々ひょこっと顔を出す黒くてカサカサしているやつよりも嫌いだ。


 皆が一斉に拍手をしているが、もちろん僕はは手なんて叩かず、校長の話を聞きながらぼーっとしていた。時々睡魔に襲われて審査員闇に飲み込まれ、はっと意識を取り戻す。その繰り返し。


 そうこうしているうちに終業式も終わり、涼しい教室に戻ってきた。椅子に座るとさっきまでの疲れが押し寄せてきて、僕は腕を組んで顔を潜らせた。どこからか聞き覚えのある女子達の話し声が耳に入ってくる。


「春野さん、たくさん賞を貰ってて凄いね! 本も出すんでしょう?」

「うん。よかったら読んでね」

「読む読む! こないだの映画も感動したし、すっごい楽しみだよ!」


 春野ゆい菜――僕の小説嫌いの元凶。こいつの小説を小説を読まなければ僕は今よりもっと優秀な学生になっていたはずなのに。


 彼女のせいで小説が一切読めなくなった。どうしても小説が目に入ったら吐き気などの症状が襲いかかる。そのせいで授業もテストも、小説は当たり前に解けないため国語の成績は壊滅的だ。


 僕と彼女は嫌なことに席が真隣だが、挨拶以外一度も話したことはない。僕から話しかけることがなければ彼女から話しかけられることもないのだ。


 席が隣なので時々彼女が目の端に入ることがある。その時は大体髪を耳に掛ける仕草をしている。クラスメイトの内の何人がこの仕草にやられたのだろう、というくらい美人に育った彼女は今やクラス内外で人気を集めている。それもそのはず、彼女は多くのコンクールで名を残した。書籍もいくつか出版し、そのうちの一つは映画化もされた現在新進気鋭の作家である。


 ガシャッと物が落ちた音がして目が覚めた。顔を上げると人気者が僕のペンケースや文房具達を持って目の前に立っていた。「ごめんなさい」と言って机の上にそれらを並べている。


「この鉛筆……」


 彼女の右手には、あの時僕が捨てたが次の日に戻ってきた鉛筆が握られていた。彼女はそれをじっと見ている。


「それ面白いですか? 昔真っ二つに折ったものの欠片なんですけど」

「ううん。ただ懐かしいなと思って」


 そう言って彼女は鉛筆をペンケースに置き、自席に戻っていった。彼女と話したのは小学校ぶりかもしれないと一人ながらに驚いた。彼女は小学生時代のことを覚えているのだろうか――。


「はい、じゃあ席についてー」


 担任が戻ってきた。通知表や大量のプリント類を両手で抱え込み、どさっと適当に置いた。そして「急だけど」とプリントを配りながら話し始めた。


「明日から夏休みに入るが、学校に来てもらうことになった」


 真夏のフェスのように騒がしかった教室に静寂が訪れた。誰ひとり喜んでいない。そんなことは気にしない、と僕は冬眠している熊のように顔を伏せていた。


「今配っているのはそれに伴っての追加課題についてだ」


 仕方なく体を起こして貰ったプリントを眺めた。……小説を書く? 夏休みに小説を書かないといけないのか? 急に吐き気が襲ってきた。これは絶対に春野のせいだと隣の席を睨んだがとうの彼女はプリントを見ながらまるで恋する乙女のような顔をしていた。


 追加登校の日は早速明日で、小説の書き方講座をプロの小説家が開いてくれるらしい。しかし、そんなものを聞いていたら体がおかしくなって最終的には死んでしまうような気がする。


「絶対参加ですかー?」


 誰かが茶化すように質問した。


「勿論絶対だ。各クラス二人選んでコンクールに送るらしいから、ちゃんと書けよ」


 ◇◇◇


 通知表やプリント類を貰い終わり、それらをカバンに詰めていく。夏休みへの期待を教室に残った思い出達と一緒にカバンに詰め込んだ――なんてことは一切なく、先生に裏切られたという気持ちを物と一緒にばしばし詰め込んでいく。小説を書くことほど価値のないことなんてないという気持ちもまとめて。


 終礼後すぐ、僕は絶対に小説を書きたくないという気持ち一心ですぐに先生に宿題と講義について抗議しに行った。


「先生! なんでわざわざ休み期間に学校に来て小説を書かなきゃいけないんですか! 俺が小説嫌いって自己紹介の時に散々言ったでしょう!」


 クラスメイトが一斉に僕の方を見る。恥ずかしいがそれどころではない。僕の生死に関わることなのだ。しかし先生は「がんばれ」と一言だけ言い放ってどこかへ消え去った。


 春野以外に小説を書けて、凄い作品を書けるやつがどこに居る。先生は春野の小説を読んだことがないから軽々とそんなことを決められるのだ。


「多田くん、小説嫌いなの?」


 まさかの春野が声をかけてきた。どうして声をかけてきたのか分からなったので少々困惑したが落ち着いて返事をした。


「大っ嫌いだ」

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