小説 〜小説嫌いが書く小説は一番になれるのか〜
ちま乃ちま
第1話
シャッと閉められたカーテンの隙間からは、未来を照らす光が漏れている。六年三組の教室では校長先生が話をしていた。
「このクラスの春野ゆい菜さんが、小学生小説コンクールで一番上の賞である大賞を受賞されました!」
春野に向けて誰もが手を叩いたり、褒め言葉を発したりしている。もちろん僕も、隣の席で顔を手で抑えている座っている彼女に褒め言葉を投げてあげた。
「春野おめでとう! 休み時間ずっと読んだり書いたりしていたのが良かったんだな!」
春野は頬を赤らめながら俺に微笑んだ。一瞬目が合った気がしたがすぐに逸れた。
「せっかくなので春野さんの作品をみんなで読んでみましょう」
一冊の冊子が僕の手に渡ってきた。一枚一枚学校で印刷しているからか所々ムラがある。僕は緊張しながら表紙を眺めた。
「時間はたくさんあるからゆっくり読んでね」
『恋文ボート』それがこの小説の名前。題名を見ただけでは内容が全く分からない。最初から知らない単語があるという事実がじれったく感じてしまう。
僕は表紙をめくって最初の方を読んだ。
『私が乗ったボートには毎回一封の封筒が置かれていた。表面に堂々と恋文と書かれているから恋文なのだろう。初めて見た時、私はどこか懐かしい気がした。何度も目にしているとどうしても中身を覗いてみたくなる。私はそんな気持ちに擽られ、封を開けないように、見えるか見えないか、頭上で燦々と降り注ぐ陽光に透かして見ることにした』
小説は嫌いではない。毎週欠かさず九一三の棚から一冊は借りてちゃんと読んでいる。この間借りた、7つの図書館を巡って宝を見つけるという内容の本はとても記憶に残っている。面白かったなあ。
でも春野が書いたこの小説は一切記憶に残らない。なぜなら全てわからないからだ。『擽る』とは何なのか。『燦々』とは何なのか。なぜ難しい言葉を使うのか。なぜ遠い言い回しをするのか。一つ一つ考えながら読んでみても全く頭に入ってこない。
僕は怖くなって春野の方を見た。彼女は自分の小説をじっくり見て僕のことは一切見ていなかった。しかし春野の小説と心はこちらを見て嘲笑っているような気がした。僕は見ていられなくなった。自分の机に視線を戻しても小説が笑ってくる。前を見ても小説が笑ってくる。僕は冊子をぐしゃっと机の中に押し込み、腕を組んで顔を伏せた。
春野は一体どんな本に影響されてきたのだろう。僕は彼女のことが急に恐ろしく感じられた。この世界の小説は全部がこんななのかと思うと全てが怖くなった。
そうとも知らず先生はのんびりした口調で話し始めた。
「そろそろ全部読めたかな。なんと! 春野さんから素敵なプレゼントがあります!」
そう言って先生は大量の鉛筆を配り始めた。もちろんそれは僕にも届いた。二本の鉛筆は金メダルのように輝いて、僕の心の影を増やしていった。
「この鉛筆はコンクールで大賞を取った人の学校全員に貰えるすごい鉛筆なの。大切に使ってね」
じっと見ていると、突然二本のうちの一本が僕の右手を引き付けた。逆いたくても逆らえず、いつの間にか右手で金色に輝く鉛筆を握っていた。
左手で力強く引っ張っても右手から離れそうにない。僕は鉛筆の両端を持ち、引き抜こうと思いのまま力を込めた。しかし――
バキッ。
静かな教室に残酷な音が響いた。
先生は急にドスドスとと近づいてきて僕を廊下に放り出した。バシッとドアを閉め、針のような視線を向けた。
いつものポメラニアンのようなふわふわした雰囲気から鬼に変わった先生は、僕の両手の鉛筆を無理矢理奪い取り、目の前にぐっと見せてきた。
「……何でこんなことをしたの?」
「……」
「何でって聞いてるでしょ!」
先生は廊下の端から端まで響きそうな声で怒鳴った。先生の真っ直ぐな目は僕の真っ黒な目を覗いている。
「……ごめんなさい」
僕は渋々謝った。謝ることしかできなかった。「ごめんなさい」以外に言葉が出てこなかった。
僕は先生から目線を逸らした。景色がだんだん滲んでいき、ポタポタと地面に水滴が落ちていく音が聞こえた。悲しくなんかないのに。
「テープで元に戻しなさい」
「……はい」
先生は顔を元に戻して教室に入り、セロハンテープを取った。さっきまでガヤガヤしていた教室は一瞬で静まり返った。
僕は言われるがまま折れた鉛筆を繋ぎ、テープでぐるぐる巻きにした。
そして先生は僕の腕をがっしりと掴み、春野の隣にまで引きずって行った。
「ほら、さっさと謝りなさい」
「……春野さん、鉛筆を折って、ごめんなさい」
何故謝っているのか、今の僕には分からなかった。悪いのはこの鉛筆なのに。春野の小説なのに。それだけが頭の中でぐるぐるしていた。
「いいよ」
一本の三つ編みを垂らした漆黒のミディアムヘアを耳にかけながら、彼女はニコッと答えた。
多分春野は許してはいない。その表情がすべてを語っている。
◇◇◇
放課後、僕はテープを解いて鉛筆を一欠片ずつ捨てた。
「ばいばい」
いつからだろう。『小説』を読んでも面白く感じなくなったのは。いつからだろう、『小説』を見ると体がおかしくなるようになったのは。
僕が『小説』を見れなくなった――嫌いになったのはこの時からだった。
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