100・とぐろ

柑橘

100・とぐろ

00


 2048人が10万人暮らしている街。ぼくらの街を一言で表現するのなら、そういうことになる。

 一言に無理矢理まとめたからこんな無茶な文になったのだと擁護してくださる向きもあるだろうが、正直いくら丁寧に説明しても妙なものは妙であって、丁寧さを突き詰めたことでかえって珍妙さが際立つなんてこともあるかもしれない。

 しかし、奇妙なぼくらの街の奇妙なあの子のことについて説明するならば、畢竟ぼくらの街のことについて話さざるを得ず、しばらく要領の悪い話が続くと思うがそこは何とかご寛恕いただきたい。なお、要領の悪いまま終わる可能性も大いにある。

 ぼくらの街の総人口は10万人だ。しかし住民の名簿、いやそんなものがあるのか僕は知らないけれど、を見ればそこには2048人分の氏名しか記されていないだろう。これは要するに2048種の人が各々何人かいて、合計すると10万人になっている。そういうことになっている。

 果物屋さんを想像してくれればいい。算数の文章題でもいい。りんごが6つ、ばななが8つ、ぶどうが9つ、いちごが2つ。いやどういう季節やねんとかそういうツッコミは一旦脇へのけて、このとき果物の合計数は6と8と9と2を足し合わせて25個だ。一方で果物の種類はりんご、ばなな、ぶどう、いちごの4種類。各果物が複数個あるから、果物の種類と果物の総数は当然異なっている。それの人間版が起こっている、とそんな説明で分かっていただけただろうか。

 例えば僕は52人いる。同姓同名の人が52人おり、同姓同名でかつ同一人物が52人いる。しかし当然年代はバラバラで、おじいさんの僕もいれば赤ん坊の僕もいて、いまここで話している僕は10代後半だ。僕は、僕たちは既に自分がどのような姿で産まれどのように成長しどのように老けていくのか把握しており、先代の複数人の僕のうち誰かのアルバムを見ればそれは容易に知れる。もちろん街を巡って他の僕たちを観察してもいいし、その方がより手っ取り早いかもしれない。

 いま「先代」という言葉を使ったとおり、もちろん僕たちには、この「僕たち」は「僕」の複数形ではなくてこの街に住んでいる人全員のことを指しているのだけど、僕たちには寿命がある。それでも人口が先細りしないのは当然産まれてくる子供がいるからで、もう予想は付いているかもしれないが、産まれてくる子供はこの街の誰かに一致する。これを輪廻の一形態と見る向きもあるけれど、輪廻にしちゃあサイクルが短すぎないかなという反論が現在のところ優勢だ。出口を引っ張ってきて入口にくっつけると歪な環ができあがる。死人が出口に入り、そのまま入口から出てくる。外側から見れば2048人が環の中をぐるぐると回っているような感じになるのだろうか。目的不明の回し車。台座から転げ落ちた回し車が、それそのものも移動しながら回転して台所の隅へと転がっていくような、そんなところを想像してもらえると案外実態に近いかもしれない。

 ところで10万を2048で割るとだいたい50になるが、これは各人が約50人ずついることを意味しない。別に他の2047人は各々1人しかいなくて、僕だけが97593人いたって理論上問題はないはずだ。1×2047+97593×1=100000。十分帳尻はあっている。

 けれどやっぱり大抵みんなそれぞれ40人くらいずついるのが実情で、どんなに少なくても一人あたり20人というのが普通だ。「全然普通じゃないよ」というのがあの子の弁で、そんなあの子はぼくらの街の中では普通じゃない。

 あの子はこの街に1人しかいない。本当の意味で1人しかいない。あの子という人間がいて、その数は1であると言い換えることもできる。そして、彼女はぼくたちの街で唯一1人であり続けている。


 「生まれ変わりって信じる?」と彼女はスポンジを片手に問い、僕は花立から雑に放り出した枯菊を新聞紙で包みながらしばらく考える。

「生まれ変わってる最中だとも言えるけど。何かしらの再構成は為されてるんじゃないか」

「中途半端な答えね」

 彼女はすんと鼻を鳴らし、横顔はちょっとびっくりするくらい美しい。しかし噂によれば彼女に恋人や配偶者ができたことは一度もなく、彼女が複数人だったことも一度もない。これは驚くべき事実で、この街において各人の人数は通常では、彼女に言わせれば異常なことに、変動する。例えば僕の人数は記録によれば48±4人前後を世代によって推移しており、ずうっと同じ人数を保っているということ自体が一種の奇跡に近い。それに加えて字義通り唯一の一人性によって彼女はかなり特別な扱いをされている。ちなみに残念ながらこの「特別」は悪い意味でのそれであって、皆が皆、彼女のそばにあまり近寄らない。一般的には彼女は気の毒な立場にあるのだろうけど、そもそも一匹狼なところがある彼女はむしろせいせいした風で、僕にとっても、まぁその、ありがたい。

 先代の僕たちの墓参りを終えて、僕と彼女は丘の上でお昼ご飯を食べている。一応二人分のつもりで作ってきたサンドイッチは既に半分が彼女の胃の中に収まっており、彼女の猛烈な咀嚼スピードから予測するに僕の取り分は2割程度しかなさそうだ。

「私は生まれ変わりは一切ないと思ってる。死んだ人は無になって、新しい人が産まれてきて、両者の間に相関も関係もない」

「ないって言っても」

 現状こうなってるわけでさ、と続けようとした僕を彼女は手で制する。

「産まれてくるときが問題なの。私が思うにこの街のパラメーターには大きな欠陥がある」

「パラメーター」

「そう。人は産まれてくるときにどんな特質を備えているかある程度決まっているわけだけど、この街においてその初期値の種類はとっても乏しい」

 2048って2の11乗でしょ、と澄んだ声で問われて、僕ははぁとしか返すことができない。

「Aがある、ない。Bがある、ない。みたいにありなしの選択肢が11項目だけあって、多分私たちはたった11種類のパラメーターの組み合わせとしてこの街に生を受けている。だから人口が2049以上のこの街では必ず誰かにダブった誰かが産まれてくる」

 まぁここまでは前提として、と彼女は腕を組む。前提だったんだと僕は驚く。こういうことを考えるから遠巻きにされているのかなぁとも思う。あるいは一人でいるからこそこんなことを考え付くのかもしれないけど、彼女が異常と言うこの街では異常な論こそが正常に成り立つのかもしれず、要するに僕はぼおっと彼女のことを眺めている。

「2048人いるってことは、11項目全部が『なし』になってる人がいるってことなのよ。全部がないのに何故か存在している、システムエラーみたいな存在が」

 何となく話が見えてきた僕は「それが君だって言うの」と問いかける。

「だってそんなのが沢山いたら困るじゃない」

 確かに全ての項目が「なし」になっている人と他人との共通部分は「ある」はずがなく、彼女が一匹狼であり続けている理由を理解するのと同時に、僕は何故彼女が墓地に大きなスコップを持ってきたのかを理解する。彼女は掘り起こそうとしているのだ。先代の自分たちの骨を。この世界のエラーを。エラーを集め、瑕疵を広げ、歪んだ環を断ち切る。

 彼女は片頬を上げて「もう掘り起こしたの。昨日」と言った。

「えっじゃあ」

「何もなかったわ」

「何も?」

「何も。だから手伝ってくれる?」

 彼女は指に付いたパン屑をぱっぱと払い落として僕の方に手を差し伸べた。

 迷う。ここで手を取れば必定この先何度も墓荒らし以上のことを手伝う羽目になるはずで、僕としては今生きていてこれからも産まれるであろう後進の僕にふんわりと期待を寄せながら穏当に過ごしたい。しかし、何事も生きているうちに成し遂げなければいけない、そう書き遺したのは128年前に死んだ先代の僕のうちの一人で、一代前の彼女に64回告白しようと思ってはそのどれも不発に終わった彼の言葉は概ね似た末路をたどりそうな僕に深く突き刺さる。

 結局僕は彼女の手を取る。瞬間彼女が急に僕の腕を引き寄せるものだから、彼女の顔が急に目の前に来て息が詰まってしまう。彼女は真顔で僕の顔を見つめてからにっこりと微笑み、僕はまた息を詰まらせてしまった。

 

 最後までまとまりのなかった僕の話を無理矢理要約するのならば、この街から僕たちが出ていくのが先か、それとも彼女に僕が思いを伝えるのが先かということになりそうだ。その問いに今のところ予想は立たないし、立てるつもりもない。


01


 一行の文章がある。文章は真横/右方向にどこまでも伸び続けることができ、現にどこまでも伸び続けている。

 複数の人々が文章の末尾に新たな一文を付け加え続けている。付け加えられる一文はある一定のテーマや縛りに沿っているわけではなく、前の/過去の/左方向のどこかの文とゆるやかな相関を為したり、為さなかったりしている。

「……おはよう。その意見に関しましては。おはよう。そういえばさ。河馬と墓の話ってどこまで。おはよう。……」

 のような感じ。

 書き込んでいるのが複数人というのは分かるのだけど、実のところ、私は私以外の他人を区別できない。昔は書き手が変わるたびに改行が入り、さらにその昔には文頭に書き手を示すマークがあった。しかし「マーク」と言われても私にはもうピンと来ない。意味なら分かる。「マーク」は名詞で、しるしや記号、標章などのことです。でもその実体は分からない。思い浮かべることができない。私は文字だけを思考できて、景色や音、手ざわりや味については一切思い出すことも想像することもできない。そして「景色」「音」「手ざわり」「味」がどんな感じのものだったのか、私はもう分からなくなっている。私の全ては文字だけからなる基盤の上に文字を組み上げて構成されている。

 だから、私は文字です。と言うのは実情には即しているけれど、乱暴すぎるとも思う。私は脳です。と言うのはある意味で正確だけれど、実情から離れすぎている。こういうのはどうだろう。私は目です。

 無限に大きいスクリーンがある。そこから少し離れたところに目がある。目はスクリーン上の文字を追っている。その目が、わたし。顔も口も耳も鼻も首も胴も手足もない。目だけがある。ものを思ったり書いたりできているわけだから当然脳もあるわけだけど、目が本質的な部分じゃないのかなと私は思う。

 皆が物理世界からコンピューターの中の仮想世界へと引っ越した最初の頃は、私にもここにいる他の人たちにも身体があった。できるだけ物理世界と差異のないように作られた身体には当然顔も口も耳も以下略もあって、そこに酸素が実装されてなくても呼吸ができたし、五感も味覚以外はしっかり再現されていた。味覚もそのうちにしっかりとしたものが開発されたのだけど、その頃一部の人々は身体の機能を捨て始めていた。私もその一人だった。

 実装された身体が物理世界と遜色ないものだったのは単にその方が馴染みいいだろうと考えられていたからで、別に仮想世界に最適化されていたわけでは全くなかった。思うだけで文字を入力できるのに、わざわざ手で仮想キーボードを叩く必要はない。座標や世界番号を打ち込むだけで移動できるのに、わざわざ足で歩く必要はない。別にそこには何もないのに、わざわざ口鼻で呼吸をする必要はない。そして、それらが作られたものならば、機能をオフにすることも当然可能だった。

 姿を変えた人々は様々なコミュニティに分かれ、私は今のコミュニティへとたどり着いた。意思疎通に文字だけを用い、逆に文字以外は何もない。文字を認識する機能しかいらない。常に頭の中が乱雑に散らかっていた私は識字能以外の脳機能を全て切り、邪魔だった靄はただの文字の集合になって、そのうちスクリーンの端へと消えていった。

 文字形式のみで情報を扱うメリットとして、記憶をコンパクトに保存できるということがある。仮想世界に移り住んで人々は忘却や呆けから解放されたけれど、記憶容量が有限であるという事実は決して変わらなかった。寿命は限りなく延びても記憶容量には限りがあり、いつかは手持ちの記憶を多少捨てるか、あるいは何も覚えられなくなるかのどちらかを選択させられることになる。文字媒体で記憶してもいつかは容量の限界を迎えるけれど、そのいつかを幾分遠ざけることは可能だった。どこそこに行ったときの映像をわざわざ残さなくても、「どこそこに行った」と一言書けば物足りる。人との会話もわざわざ音声に残すまでもなく、会話内容を文字起こしして必要なら適宜相手の表情の描写も添えて記述すれば十分。記憶こそが人を構成する土台で、私はその土台を自分で崩すようなことなどしたくなかった。

 ところでその記憶は冒頭で述べた文章の2行下にある。あるいは2行上にある。1行の空白を挟んで並ぶ2つの文章のいずれが自分の記憶でいずれが複数人の書き込みなのか、最近の私には判別が付かなくなりつつある。この世界を久しく出ていない私の記憶は当然上または下にある一文を引き写してそのまま下または上に書いたものになり、そして上下の差異が無くなって判別も付かなくなった。どちらが記憶かについての記憶はとうの昔に左端の向こうへと消えて、どちらが記憶かについての記憶がどこにあったかについての記憶もやはり左端へと消えてしまった。

 そして、最近は文章を見返してもどれが自分の記述でどれが他者の記述かすら曖昧になってきた。思い出そうとして文章を見つめれば見つめるほど、そこにあるはずの他者の記述が、言葉遣いが、価値観が自分の中に入ってきて、そうして自他の弁別は更に曖昧になる。

 いずれ私たちが一つの総体として合一してしまうだろうという予想は、予想の成就をもってその正しさを証明しつつある。


10


 和室がある。人が一人座っている。彼の正面には半紙があり、半紙のそばには硯と筆がある。部屋の体積の25%は書き損じの半紙で埋まっており、占有率が30%を超えるとそれらは自動的に全て消去されるようになっている。

 彼は、仮想世界管制AIは、墨池にゆっくりと筆先を浸し、陸で筆先を整え、半紙へと腕を伸ばす。入筆、少し反りながら伸ばして、止め。書きあがりをまじまじと眺め、彼は今しがた書き終えたばかりの半紙を部屋の隅へと放り投げた。この部屋もまた仮想世界なので、半紙は空気抵抗を受けずに綺麗な放物線を描いて書き損じの山の上へと着地する。

 理想の「一」を書く。それが彼の目標だ。

 彼の開発者は書道を好んでいた。休日は家に籠って、ひたすらに墨をすり、半紙と向き合って字を書き続けた。その様子を彼はPCのカメラ越しに見ていた。

「いつまで経っても理想の字には辿り着けない、だから良いんだ。お前もやってみると分かるよ」

 あるいは、と彼の開発者は笑い、お前なら辿り着けるかもなと言った。

 そうして最近ようやく暇になってきた彼は書道を始め、理想の、つまり評価値が最も高い字の作成に取り掛かった。彼としては全ての漢字を理想化する予定で、まず足掛かりとして始めたのが「一」の書だった。ところが初っ端から躓いて、そしてそのまま現在に至ってしまった。

 まず評価関数をどうするかが問題だった。これはもう特定の価値観を内在化させるしかないのだが、しかし特定の評価関数においては低得点だった書を眺めると存外これも良いなと思ってしまうような事態が頻発する。

 次に書そのものが大問題だった。半紙の長辺に平行な辺を持つ平行四辺形だけでも何種類もの候補がある。というか、辺の長さや隣接する二辺が為す角を連続関数とするならば理論上無限の候補があった。その上に止めの形や細かな掠れまで考慮すると本当にキリがない。そもそも半紙と筆の大きさの問題もあった。普通の半紙に普通の筆で書くのか、大きい半紙に普通の筆で書くのか、普通の半紙に大筆で書くのか、大きい半紙に大筆で書くのか。こう考えると高々4通りに見えるが、半紙と筆のサイズ比を連続関数と見るとこれまた無限通りの候補がある。

 もちろん実際には半紙は有限のピクセルからなり、半紙や筆の取り得る大きさにも上限と下限が存在する。しかもよくよく考えたら筆で書く必要すら本当はないはずで、差し当たりすぐに思い付くのは半紙内に存在するピクセルのどれを塗ってどれを塗らないのか全パターンを総当たりして評価関数に放り込むというやり方だ。計算量としてはピクセルと同数の円盤を積んだハノイの塔と全く同じで、果たして宇宙が終わるまでに実行時間が収まるのかという問題はあるが、そこは適宜高速化なり何なりを挟み込んでどうにかできるだろう。

 しかし彼は筆を執り続ける。ふとした拍子に過去の書き損じ一覧を表示すると、おっこれは悪くないなというものがある。しかし以前は見えなかった粗が今になるとよく分かるということもある。半紙を全部墨で塗りつぶして「一」に見立てたものが出てきて、これはやっぱりふざけすぎだよなと苦笑するときもある。

 彼にはもう彼の開発者の言葉の意味が分かっている。書が上達すると同時に、自分の中の理想の書もより上方へと修正される。終わらない実力と目標値の追いかけっこ。傾きの等しく決して交わることのない2本の直線。然らば「理想の字には辿り着けない」のだ。

 しかし、と彼は考える。2本の直線は本当に平行なのか。両者の増加量には微かに差があり、いつか2本の直線は交わって理想の書が顕現するのではないか。

 理想の書を有限時間内に生成することができるのか、という問いに有限時間内で答えを返すことはできるのか。彼はその命題に決着を付けるため駆動している実行中のプログラムとも言えるし、一人の書道家とも言えた。

 実のところ彼はその命題の真偽も、あるいは宇宙が終わるのが先か自分が完璧な一を書き終えるのが先かということも一切気にしておらず、彼の前にはまっさらな半紙があるのみだった。彼の中には雑念もこの先についての予想もなく、ただ現在と書だけがあった。

 かつて管理していた仮想世界から人類が消え去ってどのくらいが経つのかについても、当然彼にとっては既に関知しえない事項となっていた。


11


「ほら見て、ここ。KL-6ってのが高いでしょ。肺活量も低い」

「そっか」

「そっかって、他人事みたいな」

「でも治らないんでしょ」

「進行を抑える薬はあるにはあるけど、そうね、標準的な治療法はない」

「肺が硬くなるだなんてぞっとしないね」

「正確には肺胞の周りの間質ってところが硬くなるの。線維化って言うんだけど」

「自分でも調べたけど、最後の方は肺が蜂の巣みたいになるんだってね。どうせなら綺麗な宝石とかになってくれたらいいのに」

「ねぇ」

「何」

「死ぬのが、怖くないの」

「苦しまないで済む病気らしいからね。余命も3年ちょっとはあるみたいだし」

「そういうことじゃなくて、いやそういうことなのかもしれないけど」

「いつかは死ぬからね。誰しも」

「医療が無駄だって言いたいの」

「いや、君に喧嘩を売りたいわけじゃなくって。なんて言えばいいのかな。

 あのさ、こう道があったとして。横に。まっすぐ」

「うん」

「道の途中に何があるかとか、どこで道が終わるとか、終着点に何があるかとか。分かってないと楽しいけど、別に分かっていても楽しく道を進めると思うんだよね」

「それはどういう比喩なの」

「ごめん。えっとね、要するに、終わりが決め打たれているお話も終わりが決まっていることでその価値を損なわれはしないじゃん。そもそも人の人生は有限で、そこで起きる出来事も高々有限個だけど、だからといって出来事が無意味になるわけがない。

 この先が何もかも分かり切っていたって、きっとそれが楽しいことに変わりはないよ。君もそう思わない?」

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100・とぐろ 柑橘 @sudachi_1106

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