第四章 月

第31話 崩壊後の月面にて

 聯球儀イリアステル崩壊の時。足元が崩れて無くなる恐怖に逃げ惑う人々は、その被害を受けない『空飛ぶ船』を見た。

 中心部に居た貴族達も、慌てて虚空船ヴィマナを出して崩壊するスフィアから逃れようとしたのだ。

 全体として人口の少ない貴族が持つには広く大きい虚空船ヴィマナには、結果として多くの一般人が乗り込むことになった。

 事情は様々で、貴族達を押しのけ、殺してまでも奪い取った船。正義感と責任感のある貴族が一般人を受け入れた船。混乱に乗じて貴族の『コレクション』を盗んだ者も居た。


 彼らが目指すのは一点。崩壊によって肉眼での確認が可能となり、聯球儀イリアステルとは星間線ゾディア・ラインで繋がっていなかった為に被害が無いであろうと推測される場所。

 聯球儀イリアステルの中心にあった、巨大なスフィア。


 ムーンである。






***






 崩壊から1ヶ月。

 廿四球儀アストロジア主導により、月面にて避難生活が始まっていた。初めはとにかく難民を受け入れていたが、次第に出身スフィアや元の階層によって各避難所に別けられていく。避難所は、乗ってきた虚空船ヴィマナがそのまま使われた。ウサギではない人々は虚空界アーカーシャでは呼吸ができず、防護服等がなければ月面の月沙レゴリスで危険であるからだ。


 その後、八芒星ベツレヘムが事前に開発・用意していた星鉄製3Dプリンターによって、月沙レゴリスを素材とする基地コロニーの建設が始まった。


 生き残った全ての人々を受け入れるだけの面積は、充分にあった。

 問題は虚空界アーカーシャ月沙レゴリス、そして食糧である。






***






「おとうさん、お腹すいた」

「ああ……」


 元労働孤児監督官のビールフは、革命の日に責任を取らされて企業をクビになっていた。家族と再会し、再就職先を探していた所を被災したのだ。

 虚空船ヴィマナ避難所にて、家族3人、力なく壁にもたれかかっている。

 虚空船ヴィマナの広い搬入出口を使用しており、各家庭ごとに有り合わせの衝立で分けられている。この船には500人ほどが居り、高い湿度と悪臭が充満している。


「これからどうなるの?」


 数日前に配給のあった水筒を娘に渡した妻がビールフに訊ねる。


「……俺は何も聞かされてねえ。そもそも、俺ごと崩壊に巻き込んで殺して、証拠隠滅するつもりだったろうしな。今も、いつ殺されても不思議じゃねえ」

「そんな……」

「だからまあ、最後にお前達に会えて良かった。何も知らねえバカな中間管理職が間違えて俺をクビにして、星間線ゾディア・ラインを通過させたんだ」

「…………隣の船では暴動が起きてるって、噂が聴こえたわ」

「だろうな。この避難も、貴族が善意でやってることだ。本来、見捨てられておかしくねえ。事実、もっと救えた筈の多くの人が虚空界アーカーシャで死んだ」

「……こんな所で生きていけるの……?」

「分からねえが、俺達はもう、何もできねえ。成り行きに従うしかねえな」


 これは行政の対応などではない。この虚空船ヴィマナも、ある貴族の私物である。毎日餓死者も出ている。船内は絶望の空気が漂っていた。


「ビールフ」

「あん?」


 そこへ。

 彼の前にやってきた女が居た。

 フードの付いた、ボロボロの黒いコートを着ていた。痩せた体型で、顔色も良くない。フードを被っており、髪色は分からない。

 だが瞳は赤かった。


「…………あんた……!」


 ビールフは彼女を見て驚く。隣の妻は何事かと首を傾げる。


「生きていたのか……!」

「……私だけ。『夫達みんな』は死んだ。ビールフ。私の娘はどこ?」


 立ち上がり、女が確かに存在していることを確認するビールフ。信じられないものを見たといった表情だが、やがて彼の頭の中で情報が整頓されていく。


「…………砂は落としてきたでしょうな。あんた、虚空船ヴィマナから虚空船ヴィマナへ、この月面を渡って来たのか」

「そんなこと、今はどうでも良いわよ」

「………………月下。あんたの娘達は全員死んでる。聯球儀イリアステルは崩壊した。『鍵』が生きている訳がねえでしょう」

「『月下』……って?」


 ビールフが女をそう呼んだ。妻が拾う。その敬称は、王族に使われるものだからだ。


「……違うわ。あなたが生きている。ビールフ。それはラムダ-4から崩壊しなかったことの証明。あなたがあの子を守ったのよ」

「違う。俺は……。職務を放棄した。革命の日に責任を取らされてクビになった。あんたの娘がどうなったかは知らねえんですよ」

「…………なんですって」


 女は憔悴した様子だった。一縷の望みをかけてここまでなんとかやってきたという風貌だった。


「………………?」


 そんな時。

 壁にもたれ掛かるビールフの肩越し。窓の外のとあるものを、見付けた。


 白髪赤目の少女が、外からこちらを見ていた。


「あの子はっ!?」

「あん……? 王族ウサギが外に居るのか」


 女の催促でビールフも確認する。サイドアップでワンピースの少女。

 彼女の周囲には、月沙レゴリスが舞っている。


「……あれは砂ウサギだ。どこの家かは知らねえが……。あんたの娘はあんたと同じで鉄ウサギ。人違いですよ」

「でも呼んでる。私、行くわ」

「…………そうですかい」

「これまでありがとうビールフ。さよなら」


 女はそう言って、虚空船ヴィマナの出入口へ向かっていった。

 それを見送って。


「……礼を言われることなんざ、できてねえよ」


 呟いた。

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